20%の人が★一つ評価! 柿沼陽平『劉備と諸葛亮』レビュー

柿沼陽平著『劉備と諸葛亮』という歴史捏造プロパガンダ本について、以前も書いた通り鵜呑みにして絶賛するようなレビューがネットに溢れています。
この本の紹介:
たとえば、読書メーターというレビューサイトの柿沼本は絶賛レビューで溢れています。(読書メーターではこの本に関して批判的なレビューは削除されるという言論コントロールが堂々と行われた結果です。私も何度か投稿しましたが削除されました)
アマゾンでも何故か出版直後から★5~4つの称賛レビューが殺到……。ジャンプあたりで連載されている人気の漫画なみです!
歴史本はそれほど売れるジャンルではありません。なおかつお堅い新書でもあります。通常この種の新書で、出版当初から絶賛レビューが殺到することなどあり得ないのですが。読んでいない人たちが出版直後に絶賛レビューを投稿したとしか思えない(推測です)、不可解な現象ですね。
実はアマゾンにおいても、この書籍に関しては批判的レビューが削除され続けてきました。観察していると投稿後に削除されることが多いため、著者サイドから申し入れがあるのかもしれません。しかし最近ではあまりにも批判レビューが多過ぎるのか? アマゾンも削除を手控え、いくつか掲載されるようになりました。
この言論統制を免れて“選抜された”レビューですら★1つが20%を占めるという異常な状況。
★2~3の低評価を含めると30%もの人が批判的な感想を抱いているようです。
繰り返しますが、言論統制を免れた低評価レビューが30%ですから、現実にはもっと遥かに多い一般読者たちが批判的な感想を抱いていることになるでしょう。
削除されそうなレビューを引用
この本に関して批判的なレビューがアマゾンに掲載されるようになったとは言え、圧力が強まればいずれまた削除される可能性があります。
貴重なレビューをここに引用させていただきます。
★☆☆☆☆
Amazonのお客様 2020年11月8日に日本でレビュー済み
董卓のような悪名高い人物の評価をあげ、比較的前任(善人)とされる劉備の評価を下げれば新しい解釈であるとするような浅薄な方向性が存在しており、その方向性に導くための恣意的な記述が随所に感じられ残念でした。他のレビューでも類似の指摘がありますが、史実に基づくとあるのにもかかわらず、「・・・の人々にとっては、頭では理解できていても、感情的には受け入れがたいものであったにちがいない」という単なる主観に他ならない記述があるのはどうかと思います。
多くの文献からの引用を挙げ興味深い箇所もあるのですが、全体に散りばめられた恣意的な記述に気を取られ、内容への興味が失われてしまいました。
★★☆☆☆モグジーさん 2020年2月8日に日本でレビュー済み
前提からして、よく分からない。本書はいわゆる「三国志演義」の劉備、孔明のイメージをひっくり返す視点を投げ掛けてるのだろうが、言うまでもなく「演義」は学術書ではなく、分かりやすく面白いことを第一に書かれた物語なのだから、それに対して「本当は違うんです!」と書くことに何の意味があるんだろうか。
挑戦すべきは演義ではなく、一般的に正しい歴史とされる「正史」ではないか。三国志ファンに向けた本で、演義のイメージをひっくり返すなんて今さらすぎる。
★☆☆☆☆HoshinoOfさん 2021年6月8日に日本でレビュー済み
著者の柿沼氏はしきりに「三国演義は間違ってる、演義に呪縛された人は史実を知るべきだ」などと言っているが、『三國演義』は孔明の仙術などで話を“盛って”いるだけで、実は根本的なストーリーにおいてかなり史実に忠実なのである。
大衆向けフィクションの味付けをしながらも、意外に史実を徹底調査したうえで史実を裏切らないよう繊細に描かれたのが『三國演義』。不朽の名作と言われるだけある。比べて、昨今の三国志学者たちが主張する「史実」とやらは酷いものだ。
史書・遺跡・数的根拠…等々、論理な裏付けを一切持たない自分だけの主観で書いた本が目立つ。それどころか、『正史』を一度も読んだことがないのではないか?と思われる基礎的な知識の誤りも散見される。特に柿沼著のこの本は主観が酷い。主観しかない空想物語だ、と言って良い。
たとえば
1.諸葛亮は蜀の民に圧政を敷いていない(正史に蜀の民から好かれたと記録されている。圧政で民から好かれることは人類史上ありえない)
2.諸葛亮は南方民族を奴隷化していない(裴松之注によれば、諸葛亮は南方を地元の豪族に統治させ漢軍を引き上げさせたとある)
3.劉備が民を想う統治者で、道義をもとに行動したのは史実(荊州で曹操軍に追われても民を捨てられなかった、等々)
この程度のことは『正史』を一読しただけで分かるのだが、柿沼氏は『正史』の記述を知らないようだ。
つまり彼は『正史』を一度も読んだことがないと思われる。
もしかしたら『演義』は全て嘘だというその思い込みだけを根拠とし、やみくもに全否定すれば史実になると思ったのか? あとで史実を知ったら赤面するだろう… まあ、まともな人間の心を持つ研究者ならばだが。
歴史学がスタート地点に置くものは当然ながら正統な歴史書とされる記録文献だ。ところが柿沼氏は小説の『演義』をスタートとして、小説と反対の物語を創作すれば史実になるのだと信じた。
これは歴史学とは呼ばず、ただの「フィクション小説」である。しかも『演義』以上に史実から遠い、史上最低に劣化した『三国志』フィクションだ。
★☆☆☆☆
無理矢理かつ恣意的な論調が目立つが、この手の本にはよくある事か
Kenneさん 2018年5月25日に日本でレビュー済み
例えば通説や物語等で善玉とされている人物を実はこんな悪人だったと言ってみたり、逆に悪役として描かれてきた人物を実はこんな善人だったと言ってみたり。歴史物ではよくあるこの手の天邪鬼な流れを見るにつけ思うのはシンプルに、人間はそのように善悪一面だけで語れるものではないだろうということだ。歴史に名を残した人物であるならば尚更のこと。
この本についてはとりあえず善玉として描かれてきた人物を悪人としたいという姿勢ありきで、史実の単純な記述を「これは~という可能性がある」「これは~であるはずだ」などと主観的かつ無理矢理な論調で恣意的な結論に持っていく部分が多々見られ、記述すらない当時の民の「民意」を著者が何故か代表し勝手に推し量った上でのブラック企業的である等といった突然の現代的視点からのレッテル貼り、他との比較も無い決めつけも多く、その辺りは率直に言って非常に萎えた。二次創作の物語ならそういう路線のものはあってもいいし個人的には面白いと思うが、これが実像です!この人物の真実の姿なのです!などとドヤ顔で宣言されるのは正直引く。まあ歴史上の人物についての研究書というのはえてしてそういうものになってしまうのかもしれないが、最終的に出てくるのがこいつはこういう奴だから(笑)という謎の断定なのはあまりに短絡的で一面的な捉え方であり、誠に残念。
またこれまでの常識を打ち破るだの美化されてきた人物の本当の姿~だのとあるが、タイトルにある諸葛亮や劉備については、三国志初級~中級者がよくかかる麻疹といわれるアンチ演義病、アンチ蜀病に罹った人間などには割と悪し様に言われることが多い人物だと思われるので、既にレビューされている方も言われている通り神格化されている関羽や、こういった時に触れられることの少ない呉の人物について掘り下げる方が新鮮かつ常識を打ち破れるのでは。小説やゲームでは美化されている~とあるが某ゲームではその暗部がほぼ抹消されている孫権や曹丕の方が、ストーリー上で北伐や夷陵が描かれる諸葛亮や劉備よりも美化(というより漂白か?)されているとも言えるだろうし。かつて蒼天航路が流行った時分から曹魏=大正義・大ヒーロー、蜀漢=梟雄・ヤクザ・トリックスターのような認識をしている人間もかなり増えたので、いつも美化される蜀漢~という言い分に今更感もある。近年では持ち上げられ美化されているのは今や曹魏の方という見解も界隈ではよく見かける(蒼天航路は正史ベースと言いつつぶち込まれた多くのオリジナル要素から見ても、魏を主役に据えた三国志演義ともとれる)。まあ個人的には正直そこ二国よりも孫呉にスポットを当ててほしいのだが。物語で美化されてきた蜀漢の暗部だけでなく、持ち上げられ過大評価されることの多い曹魏や司馬一族の暗部や凄まじい自滅をした孫呉の暗部、他後漢やその他の地域に生きた人物の暗部も平等に取り上げているとても興味深く面白い本が出たばかりだったので、尚更恣意的な部分が目についてしまいこの評価で。
★★★☆☆☆
豆腐さん 2018年6月2日に日本でレビュー済み
著者の経歴を見ると、中国古代の貨幣経済を専門に研究されている若手の研究者らしい。サブタイトルの「カネ勘定の『三国志』」ともあわせて、経済面に焦点を当てた、新しい視野の三国志の解説本か?と大いに期待したが、残念ながらその期待にかなう内容ではなかった。
大半の内容が、既存の何かの三国志本で見たような内容。貨幣経済の研究者ならではと感じた記述は、劉巴の提言した貨幣政策の部分程度。董卓を単純に暴君とする評価に長々と異を唱えつつ(これも、一部薄っぺらい意見が目につく)、有名な董卓による貨幣鋳造と経済の悪化にさえ全く触れない残念さ。
「経済史的視点からみて~」といいつつ、軍事力を確保するには財源がいる、財源を確保するには広い地域に権限を持つ長官になる必要がある。この程度の話は三国志に限らない一般論に過ぎず、SLGの歴史ゲームやっていればわかる程度の話をいちいち語られるのも辟易した。また「従来の漢代史理解は近年の漢代出土文字資料の激増により、大きな修正を求められていた。三国志研究をしているだけでは、この点は見えてこない。自身の研究蓄積を活かす鍵はここにあると感じた」と語るものの、出土史料による新しい歴史の視点というものは残念ながら感じられず、「赤兎馬」は固有名詞ではなく一般名詞だったなどのトリビア的知識の披露に過ぎないのも残念だった。
三国志演義をはじめとする小説、漫画、ゲームでは国を憂い民を慈しむ正義のヒーローとして描かれる劉備や諸葛亮を、単純に正義と賞賛していいのか?というのも大きなテーマの一つであるようだが、「軍事を優先したから民は苦しんだはず」「戦争で民は苦しんだはず」みたいな文句が随所に見られ、やたら犠牲となる民衆の悲惨さをアピールするものの、これまた素人でも言える一般論による推測だらけで、具体的な民衆の記述はほとんど無く、研究者による著作に求められるレベルには感じられない。
そして、独裁政治を行い、度重なる軍事行動で民を苦しめながらも、諸葛亮の治世で大きな不満も反乱も起きなかった点について、具体的説明も無く「思想統制」の成果だと切り捨てるに及んでは呆れるしかない。若手研究者としての意気込みだけは随所に感じられるが、どうにもそれが空回りしているように感じる。限られた分量の中で、幅広い読者層に向けて、一般的な知識も伝えたい、近年の研究状況も伝えたい、一般的なイメージを覆したい、専門の経済史の分野もアピールしたい。あれやこれや詰め込んだ結果、残念ながら散漫な出来になってしまったのではないか。
最後に引用しました豆腐さんのレビューについて、とりわけ重要と思われる点を太字で示しました。
董卓などの暴虐な人物を「悪人と考えるな、善人として見ろ」と叫ぶ。何の論拠もなく素人の推論で「諸葛亮は圧政を敷いて民を苦しめた」と断定する。これは中国共産党の掲げる“善悪反転”に従ったプロパガンダです。
さらに「諸葛亮の圧政について批判が起きなかったのは思想統制の結果」※と独裁賛美?するなど、共産主義者丸出しの思考回路です。諸葛亮は共産思想の統制などしていませんよ(笑)。これも、諸葛亮を「法家の独裁者」として造り替えるように命じた毛沢東の指令に従ったプロパガンダです。
【毛沢東の指令に基づく中共プロパガンダとは?】曹操、諸葛亮のキャラクター作り替え命令
※事実をここにも書いておきますと、恐怖政治で虐げられた民が、その独裁者の死後も恐怖が無いのに称え続けるということは100%あり得ません。諸葛亮が蜀で称えられたという歴史事実は恐怖政治の独裁が無かった証です。
柿沼陽平の主張は、先般の池上彰氏の「独裁にはメリットだらけ! 共産独裁は素晴らしい~」と中共の政策を絶賛する番組とそっくり同じ。
人権ゼロ、為政者はいつでも好きなだけ国民を虐殺できるという共産独裁を賛美する、この左翼たちの思考回路は異常です。
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