「三国志展」に三国時代の息吹は無いが、人形劇・横光ファンは愉しめたのかも
- 2019.09.08
- 未分類
- プロパガンダ, 三国志(趣味雑談), 三国志ジャンルの犯罪
「曹操マンセー展」……もとい『三国志展』、開催終了まで僅かの今になって駆け込みで行って来た。
中共の思惑に乗るのはとても悔しかったが、やはり心情的に行かざるを得なかった。永久の心残りになってしまいそうな気がして。
最近は中国周辺の情勢が不安定だから来年はどうなっているか分からない。
アメリカとの戦争になり核など落ちれば中国の文化財が全て消滅してしまう可能性もある。
これが最後かもしれない、と思ったら、せっかく日本へ来る“彼ら”へ会いに行かなければ申し訳ないという気がした。
しかし……、待っていたのはレプリカだけだった。
感想
レプリカと言っても当時の人が副葬品として造った物で、現代人の我々から見れば「本物の遺跡」ではある。
物の造形を愉しめる人なら、それなりにワクワクする展示なのだろう。
ただ、私が期待していた「時代感」や人間の息吹は全く抜けていた。まるで漂白したかのように。
ツイッターで上げた写真と感想:
※アカウント凍結に備えて埋め込みではなく転載
なんだかんだ文句を言いつつ… 昨日、気持ちに負けて行ってしまった三国志展。 全体の感想はまたブログで書くけど、一言で言えば 「三国志展に三国時代の息吹はありませんよ、皆さん!」 でした。 抜け殻しかなかった印象。 人形劇や横光が好きな人は思い出に燃えるのかもしれない。 #三国志展午後3:51 · 2019年9月7日
人形劇に思い入れはないのだけど、写真には撮ってみた。 諸葛亮は、羽… 持ってるねえ。笑
着物はいい感じ。あと、名前の字体がいいなと気に入る。 劉備はイメージと違うのでピンと来ない。もっと派手な赤金が似合う人と思うのだが。赤系背景は良い。 #劉備 #諸葛亮 #三国志展 #人形劇三国志
「蒼天すでに死す」に近い言葉が刻まれた碑。 黄巾乱は誰が見ても道教革命だが、これを「道教革命ではない。黄色はめでたいから掲げただけ」と中共および左翼学者は主張している。 ちなみに黄は相生の流行に基づく。参照。 「蒼天すでに死す、の意味とは?」
武器の写真は控えめにしたい。 矢の展示は子供騙しながら、下にいると飛んで来そうなので怖かった。自分には有り得る。笑
右は諸葛亮もよく使ったマキビシ。 うーん… 特に感慨はないが、武器は何でも嫌なものだな… #三国志展
それと三国志展で一番の売り、中国が日本人に見せたかった曹操墓だけど、私はもちろんスルー。 中共は曹操墓を「質素! 質素!」と宣伝しているのだが、日本人から見れば贅沢な古墳なので宣伝は逆効果かと。 一緒に行った人も、「これのどこが質素?」と首を傾げていた。 #三国志展 #曹操墓
その他。 金の円盤は「星図」だと思って沸き立ったのだが、「天門図」だそうだ。 そうだよな、さすがに円盤の星図はないよな…。
「天門図」は死者が天界へ導かれ仙人になることを願って棺に飾るもの。蜀から出土。 #三国志展 #蜀
全体に、あまり当時の息吹が感じられる物がなかった。 ほとんどが墓から出てきた副葬品つまりレプリカなので、人の「想い」みたいなものが移っていないせいだろう。 気持ちが動いたのは当時の人の文字が記された名刺と、劉備が発行した銭。古銭にはドキドキした。
見た目には地味。笑 #三国志展
いくらなんでもここまで徹底して漂白できるかなと感心するくらい、人間の気配が消えていたのでむしろ驚いた。
まさか本当に全て現代レプリカ? まさかね。
中共ならやりかねないが今回は日本人の専門家が調査したようだし、さすがにそれはないかと思う。
たぶん副葬品が中心の展示で、実際に使われた日用品や美術品が少なかったから人間の気配が無かったのだろう。(日用品が全く無いわけではないのだけど、少ない。故に人間の匂いが薄い)
それに副葬品の模型は単純に物としてのクオリティが低いのだ。和国(日本)の埴輪に比べれば高級だが。
実際に漢代の人が使っていた物はもっと精巧で、高度な技術を使っており、色使いも派手だったはずだ。漢から戦乱の世となり質素になりつつあったとは言え、現代人の我々の目から見れば目が眩むほど派手だったと思う。
なお、展示物の中で最も派手だった(笑)張飛の蛇矛だけは現代レプリカであること言っておく。当たり前だが。
現代日本人の精巧な技術を駆使したレプリカ展ならそのほうが面白そうだ。
ゲームやフィクションの武器などのほうが、人間の想像力と技術を愉しむことができて退屈しないのではないかと思う。
そう言えば冒頭写真、髯公のひときわカッコイイ像も明代のもので三国時代ではない。
三国時代の墓に埋葬されたレプリカの品々よりは、このように技術の粋を尽くした後世の美術品のほうが遥かに人間の息吹が感じられて惚れ惚れする。
『兵馬俑展』との比較
ところで、物に宿る「人間の気配」をあなたは感じられるだろうか?
それは技術に注がれた情熱なのかもしれないし、実際に魂のエネルギーが移って発散されているのかもしれない。霊感などない私にはどちらなのか分かりかねるが、とにかく教養のない現代人である私でも感じ取ることができる圧倒的な気配だ。
2015年にやはり東京国立博物館で行われた『大兵馬俑展』で展示されていた物たちは、とても濃厚な時代の息吹、人間の気配を発散していた。
紀元前の瓦や下水管、大量の古銭、蒔絵や焼き物など昔の人々が情熱を注いで造り使った物には今もエネルギーが残っているらしい。圧倒されてしまった。
兵馬俑も実物は今にも動き出しそうな気配があり感動する。写真や映像では決して分からない実物の凄みに打たれた。
だから今回もそのような息吹が感じられるのではないかと期待して行ったのだった。
だが『兵馬俑展』に比べれば『三国志展』はまるでガラクタの展示会だ。
(あくまでも『兵馬俑展』に比べればだが)
展示の対象となる時代の長さが違う、そのため展示物の数が少ない、そもそも三国時代は戦乱の時代だったから物が残っていない……、という差があるにしても少しの息吹も感じ取れないとは腑に落ちない。
『兵馬俑展』が破格サービス過ぎたのか?
ここまで差があって同じ料金を取るのはどうなのだろう。クレームを言う客はいなかったのだろうか?
思うに、今回は
「日本人向けに曹操を称えるためのプロパガンダ展示会を行いたい」
との中共からの要請を受けて、NHKと朝日新聞が協力して強引に開催されたのではないかな。
展示物の全体的なクオリティがいまいちだったので、NHK人形劇や横山光輝の原稿などを並べてごまかした……ようにも思う。
三国時代の人々の気配へ会うつもりで行った私には落胆しかなかった。
先般の「人形劇復活」と同じように、政治的な思惑で人の心を踏みにじる者の意識しか感じられなかったのは侘しい。
先般の「人形劇復活」とは:
何か、遺骨すら石ころで縁故者もいない、形ばかりの閑散とした葬式に出た気分だ。
いかにも共産主義らしい悪魔のセンスで仕立てられた張りぼてだったと言えるだろう。あまりに虚し過ぎて怒りすら湧かない。どうして地上にこんな悪魔が棲んでいるのかと疑問に思うだけだ。
それでも私は葬式に参列するという義務を果たした気分だから、心残りはない。
行っておかなければ「不義理」と思って自分を責めていたかもしれないので、行って良かった。
フィクション(人形劇・横光)ファンを眺めて安心する
私のような史実しか興味のない者はともかく。
NHKの人形劇ファンは「本物」の人形が展示してあることを愉しんでいた気がする。
横山光輝ファンは生原稿にかぶりつきで、一歩も動かず凝視しているファンもいたので笑った。
そうだ。
始め、私のような非オタが行ったらオーラで「仲間ではない」ということがばれて、攻撃的な目で見られるのではないかと恐れていたのだった。でも皆さん全く他の客を見ることなく展示物を必死で見つめていたので安心できた。笑
こんな人たちを中共プロパガンダで染めるために集め、おざなりの展示をした開催者は本当に許せん。
参考:
まあ、そんなことにすらファンの方々は気付いていない様子だが。
ツイッターの投稿を眺めていても、喜八郎さんの人形と横光の生原稿写真に萌えている声が最も多いと感じる。
それと人形劇および横光グッズに歓喜されている。
昔なら「ちょっと引くわ……」と生ぬるい目で眺めていたオタさんたち(ごめんなさい)。でも何の罪もなく純粋に創作を愛しているこの人たちが、今はとても微笑ましく感じられ安心する。
どうか中共のプロパガンダに染まらないでね。
どうか今のまま昔の人形劇や横光を愛して続けてください。ただ純粋なる創作を愛すること、それだけで心の防御になるから。
そしてできればいずれ、史実も見て欲しい。中共学者の与えるプロパガンダ教科書(渡邉・柿沼など孔子学院講師の書)を鵜呑みにするのではなく、きちんと自分の目で史書を見て、自分の頭で考えて。
『蒼天航路』を信じて曹操信者になっている人たちのほうは、危ういなあ。完全に中共の手先となりつつある。もう洗脳されきって処置無しなのかな?
曹操を絶賛するその口が左翼工作員のものでないのだとすれば、騙されて気の毒だなと思う。
史実を読んで曹操の現実の人格を認めている人はまだいいのだが、それでも民衆虐殺や拷問を正当化して推奨していると地獄への道をまっしぐらに歩むことになる。
あなた方には自分が虐殺するか、されるかの二択しかない。
史実とともに現実の犯罪をきちんと見つめて目を覚まして欲しい。
「無辜の民を虐殺することは悪いこと」
「拷問を愉しむことは悪いこと」
という人として当たり前の基本を思い出すべきだ。
あなた方は5歳の幼女をDVで死に至らしめる父親に加担した母親と同種の人間だ。いくら「カッコイイ」という幻想を抱いていたのだとしても、DVという行いを愉しむ者に萌え萌え叫ぶ時点で人として終わっている。
この先、世の中がどうなるか分からないが汚い者はもっと汚く、嘘つきはさらに嘘を極めていくだろう。
暗黒の思想を推し進める人々と、人間道義(人道)を求める人々とで世界が二分される気がする。
人間としての義を信じている人は決して道を誤らない。救われるのは上の純粋な創作を愛しているファンたちのほうだと思う。
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