中国思想の歴史をポイント解説。中華、王朝ごとの思想は?【ご質問回答1】

中国思想の歴史をポイント解説。中華、王朝ごとの思想は?【ご質問回答1】

ご質問をたくさんいただいています。感謝です。

各思想の基礎を解説する前ですが、全て書き終えるまで時間がかかるので、先に少しずつご質問の回答を書いていきます。

※ご質問文は匿名で引用させていただきます

〔アイキャッチ画像:中国 桂林杉湖の日月塔 byTK Kurikawaさん〕

 

ご質問: 時の政権(王朝など)に最も影響を与えた思想は何か?(儒家と法家でしょうか? また政権が統治もしくは支配のために採用・利用した思想はその時の一般庶民たちはどう受け止めていたか?もしくはどれくらい浸透したか?

回答:「政権に影響を与えた思想」は王朝ごとに違います。

というわけなので語れば長くなります……。

この記事は「中国思想史」として回答していきますね。なるべくわかりやすく、一記事でおさまるようにポイントだけ書くようにします。

 

紀元前、戦国時代の思想は各国それぞれでした。

諸子百家時代(戦乱の時代)はまだ大陸が統一していなかっため、各国がお気に入りの思想家をアドバイザーとして採用するなどして、それぞれの方針で統治していました。儒家を採用する国もありましたが、戦争の時代ですから兵法を著した孫子なども大きな影響を与えています。

つまり秦より前は大陸全土の王朝ではっきり統一した思想はまだ無かったと言えます。

ただ伝説の理想国家であった周、その国をつくった武王と父の文王は聖人とされ、多くの王たちが模範としたようです。そのように周を模範とする考え方が、孔子の話として『論語』にまとめられ儒教となりました。

だから結果として、紀元前500年頃から近代に至るまで、中華大陸全土(~東アジア)で最も影響力を持った思想は「周をお手本とした道徳・礼儀」だったと言えるでしょう。

 

※儒教とは何か? 基礎はこちら

儒教とは何か【中国思想をわかりやすくガイド!1】

 

秦の統一後、法家が影響力を持ちます。

この状況が、秦が大陸を統一してから一変しました。

秦の国教として採用された法家思想は、「国家が民を法というシステムで抑えつけて統治する」という過酷・苛烈な思想です。

これは民を縛るためのファシズム的な意味での法治です。よく言われていることですが、西洋ではマキャベリに近いのかもしれませんね。完全に同じではありませんが。

(マキャベリズムはファシズムやマルクス主義のベースとも言える、恐怖支配の源でしょう。だからこそ中共は虐殺王・始皇帝に自分たちのルーツであるマキャベリを投影して「理想の聖人」と呼び崇めているわけです)

秦代は皇帝が絶対の独裁政権、中央集権システムで、皇帝はどのような酷い要求でも民に課すことができました。その代わり、民はほんの少しでも文句を言えば即刻処刑されました。それどころか何の非がなくても、皇帝が「殺したい」と思えば気分で虐殺できたわけです。もちろん民には言論の自由など一切ありませんでしたし、生存の権利すらありませんでした。民は皇帝のために息をしているだけの虫に過ぎないという、まさに地獄のディストピア国家です。

このような恐怖支配は人間の本能に反します。当たり前です。

それだけではなく、中央集権制度そのものが中華伝統に反していました。このため秦という国は民からも各地域の豪族からも激しい反発を受け、短命で終わったわけです。

昨今ネット等でばらまかれている

「中国は土地柄、中央集権しか統治不可能。このため古代から中央集権制度しか存在したことがなかった。だから、中国が独裁を変えることは永久にできない」

との言説はヘイトの嘘だと、この歴史事実で分かるのではないでしょうか。

現代の中国共産党の苛烈な中央集権も、中華伝統に反することは明らか。ただ、現代は科学兵器や個人情報収集技術による圧倒の力によってねじ伏せられ、人々は革命を封じられている状況なのだと思います。現代と古代の違いは「科学技術があるか否か」です。

 

漢代は、儒教が採用されました。

秦が滅び、内戦の末に劉邦(りゅうほう)が「漢」という国を建てます。

漢も中華全土の統一国家でしたが、苛烈な中央集権制度とはせず、各地の豪族に委ねた緩やかな統治(封建制)を採用しました。

また漢は儒教を国教として採用し※、役人が身に着けるべき基礎的学問としました。

ただし中共が国民に強いているような強制学習ではありませんし、まだ義務教育などもありませんので、一般民の隅々まで詳しく儒教を知っていたわけではありません。儒学を修めた人が「先生」と呼ばれ知識人として尊敬されていたくらいです。

一般民は、ただ何となく親から聞いた「親孝行しなさい」「君主には忠誠心を持ちなさい」といった教訓を、それが儒教だという認識もなく信じていたと思います。これはちょうど江戸時代の日本の庶民が、儒教由来ということも知らず道徳を守っていたのと似た感じ。

このように漢は中華伝統に即した儒教道徳を採用し、緩やかに奨励したために400年も続く長命国家となったのだと言えるでしょう。

漢には明るく自由な気風がありました。決して完璧な理想国家ではなく、「上下関係に厳しい」「形ばかりの礼儀作法にこだわり過ぎ」「貴族が強過ぎ」というおかしなところは多々あったのですが、秦や後の独裁国家に比べたら善い国だったのだなと思います。それは中華伝統を禁じることなく、むしろ奨励したからでしょう。国が上から制度教育を押し付けるのではなく、国のほうが一般の伝統に合わせに行った故の成功例と思います。

 

※「国教」との表現は西洋風で正確ではないのですが、ここでは俗語として使っています。なお、漢代はまだ科挙(かきょ)という役人採用試験がありませんでした。儒教は「役人として身に着けていなければ不適任だよね~」と言われる一般常識というイメージ。このため国民への儒教教育もそれほど厳しいものではなかったのです。

 

科挙の誕生。以降の中華王朝の国教は、概ね「儒教」

漢が滅び、三国時代が過ぎて晋代以降、中華の地は周辺の異民族から何度も侵略を受けるようになります。

異民族に侵略されると当然ながら思想制度が変わります。しかし異民族の王たちも

「中華の巨大かつ強靭な伝統に抗うことは得策ではない」

と考えるのか、始めのうちは自分たちの文化を強制しても、やがて漢の伝統を取り入れ従うようになります。

また、漢人たちも政権を取り戻すと、異民族の蹂躙に抗うように儒教の伝統を強く打ち出してきたようです。

 

隋の時代に「科挙(かきょ)」が生まれ、唐代にこれが強化されたことで儒教教育が復興。さらに強く儒教が浸透することになりました。

科挙とは中華における役人採用試験のことです。
もともとは出身家系に関わらず、民間からも役人を登用するために生まれた公平な制度です。(やがて不正が行われるようになり腐敗していったようですが)

科挙は超々難関試験で、合格することは針の孔を通るより難しく、一次試験を突破しただけで地元では「聖人」のように称えられたそうです。

この科挙では儒学を中心とした知識が問われました。そのために、以降、科挙制度が続いた清代末期(20世紀初頭!)まで中華では儒教が絶対かつ頂点の思想となりました

 

いっぽう民間では、科挙で難しくお堅いイメージとなってしまった儒教を敬遠する人が増えたようです。
儒教由来の道徳はもちろん肌身に浸透し、消えることはありませんでしたが、思想団体としては道教系のほうが強まり広まっていきました。道教は占いが中心ですし、宗教結社を作りやすいこともあって、儒教よりも「魅力的だった」からでしょう。つまり、道教は一般受けする。

 

以降の中華思想は、

政府役人と士大夫(貴族階級):儒学
民間:無意識的な儒教道徳+道教+中華ナイズされた仏教とキリスト教

といった感じで浸透していき、バランスを保っていました。この状況は1949年の中華人民共和国建国まで、あまり変わりませんでした。

 

仏教とキリスト教等と、現代思想について。

仏教は南北朝時代から国に保護されて広まりました。
しかしインドの原始的な仏教思想そのものではなく、儒教の先祖崇拝と混ざり合って中華らしくなった後に、多神教・道教の神様のように参拝されるようになりました。

たとえば我々が仏教だと思っている「墓」にお参りし「位牌」を奉る儀式は、古代儒教のものです。線香も。(お参りの作法は儒道の区別不可能)
インド仏教にそのような儀式はありません。そもそも仏教では墓をつくらないので。
等々…

このように、輸入した宗教を土着の伝統と混ぜてしまう習慣は日本と同様
我々日本人もそうですが、代々自然に行ってきた仏教の伝統が「実は儒教だった」などと一般人が考えることは無いのです。ふところ深い多神教国家ならではの特徴ですね。

しかしこの多神教的な無防備さは、時として残念な結果をもたらすことがあります。

 

中国で一神教のキリスト教が本格的に広まったのはヨーロッパ中世・大航海時代以降です。
進んで取り入れたのは道教の小教団。
しかし道教の宗教団体でもキリスト教を取り入れると一神教化し、「ハルマゲドン」といった終末思想を呑み込んで先鋭化していきます。

このような道教×キリスト教系の宗教団体が起こした内乱として、白蓮教の乱、太平天国などが有名です。これらの乱は想像を絶する大虐殺をもたらしています。一神教カルトの恐ろしさの一端が見えます。

現代でも道教系の宗教団体は一神教の教義を含むことが多いので、賛同する部分では応援しても、団体に入ったりせずに距離を置いて眺めたほうがいいでしょう。(例:法輪功など)

 

なお、これは認識していない現代人が多いようなのですが、共産社会主義(マルクス主義)も一神教の一種です。
マルクス主義は一神教の強化バージョンとして生まれ、神を殺して一個の超人が君臨、民を奴隷化するための思想。だから人類史上最凶かつ最悪の、虐殺構文なのです。

 

おそらく中華は緩い多神教で、何も拒絶せずに受け入れてきたために付け込まれ、共産主義に乗っ取られてしまったのだろうと思います。

日本もこのように「何でも受け入れる」多神教である点、中華と似たところがあります。
ぎりぎり救われてきたのは島国で地の利があったのと、昔の為政者が賢かったからです。(特に徳川家康が賢かった。江戸時代に儒教を強化して免疫を高めたので、キリスト教からも共産主義からも救われた)
しかし今は日本も免疫が弱まっています。大変危険な状況だと思います。左翼に汚染されているこの状況を自覚せねば、現代中国と同じ地獄が日本で実現してしまいます。

 

冒頭ご質問の回答は以上です。

…ちょっと中華思想史の話が長くなってしまいました。すみません。

今回の話を踏まえて、次回以降、もう少し踏み込んだご質問に回答させていただきます。

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