始皇帝は実際どんな人だった?『キングダム』で作り変えられた嬴政の実像

始皇帝は実際どんな人だった?『キングダム』で作り変えられた嬴政の実像

集英社の漫画『キングダム』で描かれる始皇帝(えい政)は、とても賢く民を想い平和を願う、理想的な“ヒーロー”です。

でも始皇帝は、本当にそれほど理想的な賢王だったのでしょうか。そんなに立派な人物だったら中華大陸で人気を得ているはずですが、逆に激しく嫌われてきた歴史があるのは何故?

不思議に思われている方のために。この記事では、えい政の実像についてお話しします。

まずは基礎知識から

始皇帝の肖像画(後世の人の想像) ウィキペディアより

始皇帝って、何?

一般に「始皇帝(しこうてい)」と呼ばれているのは、嬴(えい)政という名の実在人物です。

かつては秦という小国の王様でしたが、他の国々の住民を徹底的に虐殺して侵略し、ついには中華大陸を統一してしまいます。

統一国家・秦王の座についたとき、彼は王の名称はこの地位にふさわしくないと言って、みずから「皇帝(こうてい)」と名乗りました。以降、中国の元首は「皇帝」と呼ばれるようになります。

嬴政は皇帝となった最初の人なので、“始皇帝”と呼ばれているわけです。

皇帝ってどういう意味?

“帝”は古代中国で神と同じ意味(天帝)。“皇”は輝かしく、非常に優れたものを表します。“皇帝”という熟語は、神のなかでも優れた者という意味になります。

つまりこの名を自分に与えたときの始皇帝の気持ちを翻訳すれば、

私は古代の伝説上の王たち、全てを合わせた以上に素晴らしい王なのだ

私は最上位の神(天)であるぞ!

となります。

なんとも傲慢と言うか、ものすごい自信ですよねえ。現代の社会・共産主義国トップそっくり。

もちろん始皇帝の時代に共産主義などはありません。でも自分が唯一絶対神の座に就き、「一神教」によって世界を独占しようとする思想の源※は同じだったと言えるでしょう。

※思想の源についてはまた今度書きます

「天下統一は平和のため」という物語の真実。始皇帝が行った残虐行為

漫画『キングダム』や、中国政府お抱え学者の説では

始皇帝様は、思いやりがあって平和主義で、素晴らしく民想いの皇帝であらせられた。天下統一の大事業も、全ては平和という目的のため

ということになっています。

本当でしょうか。

なんだかもう、狂った偽善の臭いしかしませんが……

 

上の説、まるで〇国共産党が非人道的な行いをして外国から責められたときに、戦狼外交官が切れ気味に主張する狂った理屈にソックリです。丸分かりの嘘を堂々と言ってのける。言い続ければ善悪が反転し、自分たちが正義の人として崇められるようになると信じている妄言。

 

現実を言えば始皇帝は、漫画『キングダム』で描かれているような人格者ではなくむしろ完全に正反対です。自己中心的で冷酷無情、信頼できる友達は一人もいない、趣味は処刑(虐殺)だけという人物。

これはイメージではなく事実をもとにして述べていることです。その証拠となる残虐行為を見ていきましょう。

秦王、実父を自殺に追いやる

政は、形のうえでは父であった荘襄王が死去したあと、13歳の若さで秦王の座に就きます。

始めのころは後見人の呂不韋(りょふい)が首相として政治を行い、強権をふるっていました。しかし成長し元服した政はさっそく行動に出て、母親の不祥事にかこつけて呂不韋を追放してしまいます。

政から「おじ様」と呼ばれて尊敬を集めていた呂不韋を処刑することまではしませんでしたが、秦から遠く離れた地へ流刑としたのです。絶望した呂不韋は間もなく服毒自殺しています。

 

出生の謎について書いた記事でご説明したとおり、呂不韋は政の実父とされています。

政自身は出生の秘密を知らされていたかどうかわかりませんが、すでに世間では噂となっていたので彼の耳にも入っていたでしょう。

と言うことは、真相はともかく、政は実父であるかもしれない人を迷いなく自殺に追いやったということになります。

 

冷酷に思われる処遇ですがこれはまだマシなほうでした。呂不韋も権力を独占して相当に好き勝手なことをしていたため、処罰はやむを得なかったと言えます。始皇帝の残虐エピソードとしては序の口です。

他国の民をジェノサイド(大虐殺)、徹底破壊・侵略して奴隷化する

覇権主義は秦の伝統であったようです。始皇帝より前の時代から秦国は侵略戦争を続けており、数多くの虐殺を繰り返していました。

これは政の時代の話ではありませんが参考までに書いておくと…

 

魏・韓と戦って打ち破った秦軍の白起将軍は、敵の兵士を斬首。さらには捕虜も生き埋めにし、合計で24万人を虐殺したとされます。その後も数々の戦いで容赦のない虐殺をしています。

さらに趙との戦闘「長平の戦い」では、敵軍45万人のうち戦闘で死んだのは5万人ほど、残りは投降したのにも関わらず全員を生き埋めにして殺しました。

(個人的に、数十万人の軍隊というのはいくら連合軍でも当時の人口を考えればおかしい気がします。処刑された人の数に一般の住民も入っていたのかもしれません)

 

秦が特徴的なのは他国民が絶滅してしまうのではと思われるほど、徹底したジェノサイド(大虐殺)を行うことです。敵国の兵士はもちろん、投降してきた捕虜、一般民を含めて生き埋めで殺す侵略手法は、中国史上最も最悪で残虐と言われました。

この悪しき伝統を受け継いだ政も侵略戦争を続け、他国民を虐殺しながら占領していきます。かつて幼少期を過ごした趙を侵略したときには、必要もないのに私的な恨みを持つ相手を探し出してまで処刑させたといいます。

 

政がほとんど趣味の快楽殺人者のごとく虐殺をお愉しみになった結果として、秦は中華統一を果たしました。

どこからどう見ても「平和のために」「民のため」などという気持ちなど無く、ただ他国の領土が欲しかっただけでしょう。民のためを想う人格者が、必要もないのに捕虜や住民を虐殺しますか? 人の物が欲しくて仕方が無いから虐殺して奪っていったら、しまいに殺す相手がいなくなってしまった… というだけの状況と思われます。

 

暗殺に怯える日々、関係ない者まで皆殺し

中華を統一して、これ以上ない地位である「皇帝」の座に就いた政。

しかし彼を待っていたのは豊かで平穏な楽しい生活ではなく、権力を奪われ殺されることに怯える日々だったようです。

 

まだ秦王だった時代に、燕の荊軻(けいか)という暗殺者に命を狙われた事件は有名です。未遂に終わったこの暗殺事件の後、荊軻の血縁者はもちろん全員処刑されましたが、全く関係のない荊軻が住んでいた街の住民も皆殺しにされたといいます。

その後、高漸離(こうぜんり)や張良(ちょうりょう)など第二・第三の暗殺者が始皇帝を襲います。

 

荊軻に暗殺されそうになったとき恐怖で腰が抜け、逃げ惑うことしかできなかった小心者の始皇帝。さぞ暗殺者が怖くて眠れぬ日々を過ごしたことでしょう。

焚書坑儒という文化大革命

始皇帝の行った残虐行為として最も有名なのは、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」です。

用語解説

  • 焚書とは:書物を焼くこと。始皇帝は自分の気に入らない書物を全て焼くよう命じました。主に儒教の書物がターゲットで、『詩経』『書経』など儒教で大切とされる伝統の書物は焼き尽くされ、所持することも禁じられました。
  • 坑儒とは:始皇帝が儒家を大量捕縛し、生き埋め処刑した事件です。処刑のきっかけは道教の方士たちによる讒言(ざんげん。濡れ衣を着せること)だったとされていますが、伝統を嫌っていた始皇帝が日頃から儒家をうとましく思っており、讒言を良い機会として一斉始末したものと考えられます。

これは現代で言うところの言論弾圧、文化破壊行為です。

近代で言えば毛沢東による「文化大革命」という文化破壊・虐殺史に相当します。

 

西洋でもアレクサンドリア図書館がキリスト教徒の手によって破壊されました。それによって、たくさんのギリシャ文化を伝える書物、芸術文化が消失したと言われています。

西でも東でも、昔から唯一絶対の神を崇拝する横暴な信者たちや、自らが唯一絶対神になろうとする独裁者は過去を否定して文化破壊することが大好きなようです。

 

何故に独裁者たちがこんなことをするかと言うと、伝統があっては自分の権威が弱くなってしまうから都合が悪いのです。

唯一絶対神たる独裁者は常に、「自分絶対」「自分が法律」でいたいようです。

隕石のせいで周辺住民を皆殺し、予言書でジェノサイド

他にも、虐殺・処刑事件は頻発していました。

始皇帝に一度でも意見した者が拷問の末に殺されることは当たり前。反乱の兆しがある地域では、周辺住民が皆殺しにされました。

 

象徴的な事件に、「隕石虐殺」があります。

あるとき天から落ちて来た石(隕石)に「始皇帝は死ぬ」と書かれていました。この文言を恐れた政は、誰が書いたのか周辺住民を捜査したがわからなかったので全員を皆殺しとしています。

 

さらに、予言書での虐殺事件もあります。

方士(道教の修行者)から献上された『録図書』に、「秦は胡によって滅ぼされる」と予言されていたからといって、胡族をジェノサイド(民族浄化)しました。

 

この辺りまで来るともはや、病気の虐殺モンスターと呼んで良いでしょう。

『キングダム』のキャラクターは弟とすり替えられている?

筆者は、漫画『キングダム』の成蟜(せいきょう)――人格者である兄に嫉妬して殺そうとする嫌なキャラ――が現実の嬴政そのものと思いました。

あの脅威の自己中心さ。臆病さ。
他人の命をわずかも大切と思うこと無く、自分に忠義を尽くした者まで「卑しい身分の出だから」というだけの理由であっさり殺してしまう冷酷非情さは、政を描いたのだとすれば完璧に史実通りだったのですが……。

成蟜(C)『キングダム』集英社,原泰久

ちなみに成蟜という人は実在人物で、兄が秦王となったあと反乱を起こしています。

反乱を起こした理由は史書に書かれていないのでよくわかっていませんが、もしかしたら明智光秀のように、残虐な兄が王となれば民が苦しむと思ったから止めようとしたのかもしれません。

秦軍に攻められた成蟜は敗北し、自殺または餓死。成蟜に従った兵士たちは皆殺しにされました。その亡骸は弔いを受けることもなく城外に晒されたといいます。

(『キングダム』の中で、政の軍が弟から受けた扱いと同じですね。二人の人物像が笑ってしまうくらい正反対に入れ替えられているようです)

 

『キングダム』はあくまでもフィクションです。「フィクションなら何をやってもいい、どんな創作をしてもいいんだ!」と主張する人たちがいます。しかしいくらフィクションでも、ここまでの正反対なキャラ作り変えは駄目でしょう。

 

特に実在人物の行ったことについて、現実にやった虐殺行為などを「無かったこと」にし、真逆の美談を造り上げるのは犯罪です。

ここまで現実を大幅に書き換えなければならないなら、完全架空の世界で、架空キャラクターで描けば良かったのではと思います。でも、作者の原泰久氏がそうしなかったのは何故なのか?

推測される理由は別記事で書いています。

『キングダム』は中共プロパガンダ! 始皇帝いい人キャンペーンの裏事情

 

始皇帝は漢民族なのか

ここまで観てくると、始皇帝の残虐な行いが現代中国共産党とそっくりに思えるはずです。

だから現代で中国人ヘイトしている人たちが

「始皇帝の残虐性こそ、漢民族(中国人)が古代から残虐だったことの証!」

と叫んでしまうのも無理はないと思います。

 

しかし漢民族には始皇帝のような人だけではなく素晴らしい人々も大勢いました。

それに、なんと始皇帝は厳密に言って漢民族ではありません。笑、残念。

 

始皇帝の出生については下の記事に書いています。少し難しくなりますが、興味があったら読んでみてください。

【参考】始皇帝の謎。政は漢民族ではなかった

 

そもそもDNAで差別すること自体が人として最低の行いですが、彼らは民族主義を掲げているわりに、漢民族ではない人の行いを証拠として「漢民族こそ諸悪の根源」と主張しているところに頭の悪さが表れてしまっています。

民族差別は頭の悪さがバレて恥ずかしいだけではなく、現実に無意味だからやめましょう。

 

残虐行為に走るかどうかは民族・血筋・DNAで決定するのではなく、“その個人の精神性(考え方)”によります。

それは思想の源だったり、幼少期から受けてきた残虐教育による考え方の癖です。憎むべきは虐殺性質をつくるその“考え方”であって、DNAではありません。(あるいは突発的に生まれる障碍者、サイコパス。生まれつきの脳障碍でのサイコパスは、考え方の修正ではどうにも治らないので別枠で対処を考えるべき)

 

もし残虐行為を地上から減らしたいのなら、過去に殺戮を行った経歴のある民族を全てジェノサイドするよりも、教育の在り方を考え直したほうが圧倒で近道です。精神性を豊かにする昔ながらの文化教養だけが、悲惨な殺戮を地上から無くす唯一の盾と私は思います。

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