「劉備の遺言は帝位簒奪を警戒したため、という説は妥当?」知恵民の質問と回答

『劉備と諸葛亮の信頼は嘘だった? 「君が代わりに(玉座を)獲れ」遺言の真相 』というテーマに関し、客観的な歴史ファンによる意見をまとめました。

史書の記録はこちら:

劉備は孔明を信頼していた。史実の親愛エピソード列挙 これでも否定する人は…

筆者の意見はこちらです:

劉備と諸葛亮は、いがみ合っていた!? 「君可自取(お前が政権を取れ)」遺言の真相

 

知恵袋から良回答を引用

渡邉義浩ら孔子学院関係者への反論はネットから削除され続けています。

以下は冒頭で触れた「参照すべき一般ファンの客観意見」ですが、この知恵袋書き込みもいずれ削除されるか、検索で浮上しないよう操作される可能性があります。またはYahoo!がサービスを終了して消えてしまう可能性もあり。

このような恐れから、保存のためにここへ引用させていただきます。回答者の皆様ご容赦ください。

〔引用についての法的根拠〕著作権法第32条:公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。※引用の要件として筆者も少しコメントします

質問

引用はこちらのURLからです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12141697587

rik********さん 2015/2/8 15:45

渡邉義浩氏の著書に「劉備の孔明への遺言は、陳寿の言うごとく交誼の顕れではなく、孔明の帝位簒奪を警戒し、ああいっておいて逆に釘を刺したのである」との主張が、ほぼ実際の史実として書かれてあったのですが、
三国志にお詳しい方、この主張を妥当なものと思われますでしょうか?

私は三国志については、演義と陳寿の正史の主な人物伝を読んだ程度しか知らないのですが、三国志の白眉ともいうべき箇所に関する著者のこの見方に、首を傾げざるを得ませんでした。

私が変に思った根拠ですが、簒奪を警戒していたなら、劉備の言行にそうした本音が少しは伝わっているのが自然だと思うのですが、それが全く無いこと。逆に、彼らの交友を示す逸話や、わが子にあてて「自分亡き後は承相を父と思うように」だとか、孔明を持ち上げ頼るように促しているものばかり残っています。そして何より劉禅は実際に孔明を熱く信頼し頼りっきりでした。

こうした点から、著者の言うように確かに名士を巡る部下の登用に意見の食い違いはあったでしょうが、「忠義の点で劉備は孔明をそれほどは信頼しておらず簒奪に釘を刺した」などと見るのは、何やら歴史ミステリー染みているというか、行き過ぎていると思うのです。

また、著者が実際の孔明を知っていた陳寿の記述を否定し「故国を思い両者の交誼を美化した」としていることにも納得がいきませんでした。魏が正統とする記述をしなければならない制約のなかで陳寿があれだけ故国の人物を称えられたのは、単純に本当のことだったからだと思うのですが…。

しかしいろいろ言っても私は三国志についてあまり詳しくないので、詳しい方の間で著者の見解がどう思われているのか、ぜひ聞いてみたいと思った次第です。どうかよろしくお願い致します。

ベストアンサー:

漢晋春秋さん2015/2/9 0:38

渡邉義浩氏は先の回答にもある通り、自説をさも真実であるかのように吹聴する(…と書くとはなはだ失礼な物言いではありますが)ような面がありますのでね。話半分に受け止めておくのがいいと思いますよ。

氏の名士論は非常に優れた考察で、これといって的確な反論も出来ないのが辛いところですが、そもそも名士という言葉は豪族社会(士太夫層)から出てきた清流派知識人たちが魏晋から南北朝への過渡期に貴族化・世襲化していく過程で生まれる言葉なので、この言葉を用いて三國時代を語ることそのものに無理があったりします(笑)。

まあ、それはさておき。

「私(主君)の死後、跡取りがダメなようなら君(宰相)が国を取れ」っていう遺言は、春秋戦国時代辺りに先例があったように思うのですがね。私は先秦史に詳しくないので、具体的にどの事例かお示しできないのが心苦しいのですが(^_^;

諸葛亮が前出師表で記した「三顧」も、殷の湯王が宰相の伊尹を招聘する際の故事にならって、劉備を湯王、自身を伊尹になぞらえたのではないか…とする回答も過去にありましたし、三國時代当時あるいは裴松之の時代などでは基礎知識レベルだった歴史知識が現代の我々には一見して伝わらず見落とされている…という可能性は大いに考慮する必要があると思います。

そういう点を考慮するならば、渡邉氏の解釈は成り立たなくなると言ってよいのではないかと思いますね。

渡邉の説に「優れた考察」などあるわけないでしょう、始めから嘘の歴史を造る目的で考えたこじつけでしかないのだから。

ただ「そもそも名士という言葉は豪族社会(士太夫層)から出てきた清流派知識人たちが魏晋から南北朝への過渡期に貴族化・世襲化していく過程で生まれる言葉なので、この言葉を用いて三國時代を語ることそのものに無理があったり」という事実を的確に指摘しているのを見ると、嫌味で言われたのかなと思います。

補足しておくと、確かに「三顧」(無名下位の者に礼を尽くして訪問するという行動)という表現は知識人だった諸葛亮が劉備の行動を一言で喩えるために用いた言葉です。しかし『出師表』で書いた通り「何度も訪問した」という事実が無かったわけではありませんし、自身を伊尹になぞらえて持ち上げるために使った表現でもありません。『出師表』におけるその記述の前後の文脈を読めば、「先帝は私ごとき卑しい者のために何度も訪問してくださった、伝説の君主に相当する素晴らしい方だった」と言いたかっただけだと分かるはずです。日本人、要文章読解力。

禅譲の故事も尭から舜の例が『書経』にありますが、劉備は古典をただ模倣したかったわけではないと思われます。もし故事を模倣した余興として述べただけの遺言なら、全土にあれほどの衝撃を与え語り継がれることもなかったでしょう。当時の常識を逸脱した“あり得ない”とされる本心だったからこそ混乱を招いたのだし、話題となったのです。

他の回答:

mot********さん 2015/2/9 15:07

渡邊氏の論は、名士ネットワークの考察、三国の政治経済の具体的な実像など、参考になる部分が、少なくないと思います。しかし、慎重に可能性の一つとして語るべきところまで、かなり強く断定的に語ってしまう、あまり良くないところも、あると思います。

他の方もおっしゃっていますが、劉備が、もし本当に警戒していたなら、制度を変えようとする動きを見せているなり、遺言にしても、孔明には普通に「劉禅を補佐してやってくれ」とはっきり言い、渡邊氏の説で孔明と競合しているという益州の名士に「孔明には気をつけろ」と言っておく、そうした通常の対応で釘を刺していたほうが、よっぽど有効だったと思います。

それなのに、なぜそういったことをせず、わざわざ、現に残っている遺言のような、回りくどい方法で、釘を刺したのか刺していないのか、分からない言い方をする必要があったのでしょう? 結果的に見ても、釘を刺すどころか、劉禅らの信任によって、孔明がやりやすいようになっています。

やはり、現実的に考えて、渡邊氏の論は、空想めいているところがあると思います。

>結果的に見ても、釘を刺すどころか、劉禅らの信任によって、孔明がやりやすいようになっています

その通りと思います。
自分の子供に後を継がせたい、家臣に権力を奪われたくないと思っている者はこのような危険を絶対に冒せません。
たとえば豊臣秀吉に劉備と同じような遺言をする勇気があったと思うでしょうか? あり得ません。
「お前が政権を執れ」などと遺言すれば、その通りになる確率が99%でしょう。

kou********さん カテゴリマスター 2015/2/8 22:11

私もそれはうがち過ぎた考えだと思いますね。

まあ、劉備の言葉を額面どおり受け取っていいかはまた別かもですけど。

私は、劉備がこう言う事で、全権を託した丞相・諸葛亮を動きやすくしたんじゃなか、と思います。
この時期、諸葛亮より古参な人もまだいましたし、魏延のようにクセのある人もいました。
中には、諸葛亮のことを良く思わないような連中もいたかもしれません。
そういう人々の口を封じるのが目的だったんじゃないか、と思いますね。

実際、劉禅は諸葛亮を否定するような人を処罰してますし、劉備の遺言と劉禅の信頼が独裁者となった諸葛亮の大きな後ろ盾になったのだと思います。
それを意識して、諸葛亮も度々、先帝は・・・と劉備の事を持ち出したりしていたんじゃないか、とも思いますし。

おっしゃるように、本気で諸葛亮を警戒していたのなら、本人にしょうもない事をいうより、丞相制を廃止して三公制にするとか、諸葛亮の権限を抑えるように考えるはずです。まあ、それも国情からやれない、警戒しつつも諸葛亮の才能に頼らざるを得ない、なんてことかもしれませんが・・・、どっちにしても、そんな遺言になんの拘束力もないですしね。

劉備の言葉は「額面通り」以上です。

本文で書いた通り劉備は本気で「お前が王となれ」と言っていたのですが、「諸葛亮を動きやすくした」かったのは事実でしょう。究極に思い通りできるのは禅譲を受けること。でも、諸葛亮にはそれはできなかった。

「それを意識して、諸葛亮も度々、先帝は・・・と劉備の事を持ち出したりしていたんじゃないか、とも思います」
この人も穿っていますね。
そんなことは全くありません。
(こういう穿った疑いを持つのは日本人だけだという気がします。本当に恥ずかしい)

何も裏などない、ただ人間として本心から“先帝”を敬慕していただけです。
何なら毎日・毎時間ごとに「先帝は」と持ち出して懐かしみたかったところ、周囲に遠慮して抑えていたくらいだったと思います。

タッチーさん 2015/2/8 18:53

私もあの人の三国志観は
ちょっと歪んでいるように思います。

>孔明の帝位簒奪を警戒し、
>ああいっておいて逆に釘を刺したのである

間もなく亡くなる人物が釘を刺したところで、
孔明に簒奪の野心があれば本当に実行しますよ。

実力も実権もあるんだから。
でも実際には自分の命を削ってまで
忠臣として動きましたよね。

本当に劉備が孔明の簒奪を警戒していたならば、
本人には何も言わず他の忠臣達に
孔明が簒奪に動く事を警戒するよう指示するなり
可能ならその対処法を伝えるなりした方が
遥かに効果的でしょう。

正史か演義のみかは忘れましたが
孔明が自分の死後に魏延が反乱を起こした際の
対処法を考え、予め密命や手紙を残しておいたように。

ちなみに私は劉備の遺言及び劉禅に宛てた手紙は
三国志指折りの名文だと思っています。

【返信コメント】タッチーさん 2015/2/9 12:42
私的に、本当に劉備と孔明の間に亀裂が生じていたり
或いは孔明が自分が劉備に警戒されていた事に気づいたら
北伐なんてやっていなかったと思うんですがね。

魏延のくだりはフィクションですね。
諸葛亮も、魏延の裏切りは考えていなかったし何も釘を刺したりなどしていません。

未来から「あの人は反乱を抑えるためこれこれの対処を考えた」などと作り話するのは簡単です。
中華ドラマでよくあるパターン、何の伏線も置いていないのに「あれは実は最初から計画していたんだ」と言ってしまう(笑)。渡邉義浩の話はそのレベル。さすが中国共産党員、どれほどチープで筋の通っていない嘘でも堂々とついて恥ずかしくないようです。

自分が死ぬような病に罹れば分かると思いますが、死ぬ人はそこまで先々のことまで考えて謀略を仕掛けるようなことはできません。する気も起きない。だって、もう自分は死んで地上を去るだけですからね。

地上は生きている人たちのための世界。死者がコントロールしても無意味。
だから、「後はお前たちに任せた」と遺言するのがせいぜいです。

フルボッコちゃんさん 2015/2/8 16:28

穿った見解ですよね。私も渡邊氏の著書は持ってますが、あくまで彼個人の主張に過ぎないと思いますよ。

この人は、自身の唱える名士論によって三国志の全てを解釈しようとする悪癖(?)があります。史料を突いて君主と名士の対立を見出したがるのも、その一環です。
参考文献に自分の著書ばかり列挙するような人ですから、彼の著書ばかり読んでいると考えが偏って洗脳されてしまいますよ。

一理あると思った部分だけ取り込んで、あとは読み流すくらいで良いと私は思います。

ただまあ、魏志や呉志と違って、蜀志は陳寿オリジナルのようなものですから、美化することは不可能ではないです。
諸葛亮を持ち上げることは、故国を持ち上げたい陳寿と、相対的に司馬懿も持ち上げたい晋の、利益が一致していますし。
晋にとっては、魏を美化される方が困る部分もありますし、制約も蜀志より魏志の方が多かったでしょう。特に魏における司馬氏の失態や凶行は多くが隠蔽されていることは、裴注で分かりますので。

「諸葛亮を持ち上げることは、故国を持ち上げたい陳寿と、相対的に司馬懿も持ち上げたい晋の、利益が一致」…ここだけ、ちょっと意味不明で筋が通っていない話ですね。

晋が持ち上げたかったのは魏であり、曹氏と司馬氏です。
「諸葛亮を持ち上げて相対的に司馬懿を持ち上げる」ためには、敵対した諸葛亮が軍事的に強かったという作り話をしなければならないはずですが…? 陳寿はそうするどころか「諸葛亮は戦争が苦手だった」と貶めていますよね。全く筋が通らない。

だいたい、『蜀志』のどこが「美化」に相当するのか分かりませんね。全体的にも諸葛亮をA級戦犯として貶めています。
ただ当時でも既に有名だった史実は歪めることができなかったので(当時の人たちの厳しい目がありましたから※)、そのまま書いただけという印象です。

※現代人は何故か全ての出来事が陳寿『三国志』が著されて以降に知れ渡ったのだと考えているが、それは愚かな空想。当時にも人間は存在していて、現代人よりも遥かに強力な情報伝達力で語り伝えていた。今の史実として伝わる話の大筋は、すでに当時からものすごく有名だったことをまず理解すべき。

現代日本人は諸葛亮のエピソード全て(たとえば劉備に忠誠心を持っていたことなど)を嘘だと思いたいために、史実さえも「美化」ということにして消し去りたいのでしょうか? 人として悲しい。外国人から「日本人は善悪の基準を自分のなかに持たない」と言われていますが、現代日本人からは“義”や“愛”といった人間性が消えてしまったのでしょうか?

それはともかく、フルボッコちゃんさんは渡邉について「参考文献に自分の著書ばかり列挙するような人ですから、彼の著書ばかり読んでいると考えが偏って洗脳されてしまいますよ」と書き込んでくださったことが有難かったです。

 

まとめ。陳寿の暗号に学ぶ

陳寿が政府に忖度しながら必死で真実を伝えたことでも分かる通り。
中華は日本と違って昔から政府の圧力が強く残虐だったため、歴史家は常に命懸けです。
その代わり暗号に潜ませてでも真実を伝えたいという熱意は強くなったのでしょう。

現代C国のジャーナリズム(一般人のウェイボー・ウィキリークス投稿含む)も、その伝統を受け継ぎ、命懸けで暗号メッセージを伝えてきています。
外にいる我々は彼らの真なるメッセージを受け取るべきではないでしょうか。

権力そのものでしかない孔子学院によるプロパガンダを鵜呑みにし、洗脳されてはならないのです。奥から聞こえてくる民の声、決死のジャーナリストの声だけに耳を傾けるべきです。

東洋の人々の自由と人権が守られ、真実が語られる時代となりますように。
心からの祈りを籠めて本日は筆を置きます。

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