「テキストをざっと読むだけ」孔明の勉強法は適当? ギフテッドの学習法を解説

諸葛亮と石田三成を比べてみた下の記事で、自明のことのように「孔明はギフテッド」と書いてしまいましたが、ギフテッドという現代用語については説明が必要と思います。雑談の補足として上げておきます。

諸葛孔明は⽯⽥三成に似ている、か︖

この記事では、ギフテッドの方のための支援となるように情報を詰め込んでいます。手っ取り早く答えを知りたい方はこちら。飛ばし読み:

自分やあの子は、ギフテッドか秀才か?見分けるための定義表

孔明がギフテッドだったと言う明白な裏付け

 

 

ギフテッドとは何か?

ギフテッド(Gifted)とは「神様からの贈り物として才能を持つ人」のこと。後天的に知能を身に付けた英才児とは区別され、教育法に依存せず、先天的に学習や芸術などの能力が高い人を表す定義です。

日本語の「天才」と訳しても同じ意味にはなるのですが、「天才」という俗語が持つイメージとは異なります。以下の特徴で俗語の「天才イメージのインテリ」とは区別されます。

ギフテッドがサイコパスと区別される最大の特徴は「精神性」

日本では、「天才=サイコパス。天才なら100%悪いことを考えている悪人に違いない」と思っている人が多いのですが、それはフィクションなどで刷り込まれた誤ったイメージ※です。

※現実のサイコパスは知能と無関係。むしろサイコパスの平均能力は低い

ギフテッドと定義される人には、能力とともに「共感力や倫理観も高い」という特徴があります。

Wikipediaギフテッドから引用:

ギフテッドにおける高度な知的能力と精神性は、誕生時点から生涯にかけて見られる。 ギフテッドは知性や精神性のどちらかのみが発達しているということはなく、生まれ持った高い知的能力と強い共感力正義感・倫理観、深い洞察力などの豊かな精神性を、個々が育った環境や教育環境に依存することなく兼ね備えている。

この太字で示した定義、「共感的理解、倫理観、正義感」それから博愛精神を持つことがギフテッドと他のインテリを分ける重大要素だと思われます。

能力は高いのに、何故か子供のように“青い”一面を持つ人――大人の社会(特に日本社会)では嘲笑され疎外されるような正義感を持ち続ける人がいたら、その人はギフテッドの可能性が高いでしょう。

つまり日本や中国の創作で描かれるサイコパス謀略家の「天才」とは正反対、と考えれば正しいですね。

東洋の「天才」定義がいかにチープであるか、ということを示しているようで恥ずかしく感じます。

 

ギフテッドの学習法は他の子と違う

ギフテッドは大きな括りなので、知能が高い人だけを表す言葉ではありません。芸術的な天才やスポーツの天才なども含まれます。

そのなかで学校教育現場などで突出した能力を示す人々のことは、知的ギフテッド(Intellectual giftedness)と呼ばれます。

ただし知的ギフテッドでも日本の教育課程で「優等生」と定義されるとは限りません。IQテストだけで選別することも難しいようです。何故ならギフテッドたちは型にはまることが苦手で、一般的な学習法を受け入れないからです。

彼らは先生から教えられた順番通りに一言一句漏らさず精読・暗記するなどの学習を嫌います。また、自分の好きなジャンルはよく学びますが興味のないジャンルの学習は放棄します。このため学校では教科によって成績に偏りが出ることが多いはずです。

たとえば、文学的才能は突出して高いのに数学は(日常的な算数も含め)極端に苦手、などのギフテッドもいます。その逆もあり。例として、文章読解や文筆が苦手過ぎて劣等生とみなされたアインシュタインなどが挙げられるでしょう。

【秀才とギフテッドの違い】

これは優れた分類表です。自分がギフテッドかどうか悩んでいる方は、この表で確認すると答えが出やすいはずです。

Wikipediaより引用:

優秀な子供(Bright Child) ギフテッド(Gifted Child)[26][27]
答えを知っている 質問する
反復6-8回で修得する 反復1-2回で修得する
質問に答える 詳細を討論する、話をそこから展開できる / 質問に疑問をもつ
成績はトップグループ グループの枠を超えた成績
アイディアを理解できる 抽象化思考ができる
興味を示す 非常に好奇心が強い
一生懸命に努力する 遊びながら、集中力に欠けたり、でもよい成績をとる
同学年の生徒といるのを好む 大人や年上の生徒といるのを好む
よい暗記力 よい推測力
よいアイディア 常識外れたアイディア(とっぴな、ばかげたアイディアに見える)
簡単に学ぶ 退屈、すでに答えを知ってる
学校が好き 学ぶことが好き(でも学校は好きではない)
受容的 真剣、情熱的
自己満足する(正解した時) 厳しい自己評価(完璧主義)
精巧に真似ができる 新しいデザインを創造する
興味を持って聞く 強い情感と意見を表す
単純で順序立てたやり方を好む ゴールを明確に設定し、そこから逆算する。複雑さを求めているような誤解を受ける
注意深い 心身ともに熱中、没頭する

 

アスペルガーと混同しやすい

ギフテッドは、

・自分なりのやり方を持つ

・先生に言われた通りに勉強しない

・馴れあいを無視して言うべきことは正直に言う、という率直性を持つ

などの性質から集団で孤立しがちです。

このため、ギフテッドの人はしばしば発達障害(アスペルガー)などと誤診されるようです。日本では特にギフテッドの認知度が低いので医師が精神疾患と誤診して投薬し、能力を潰してしまうなどの不幸な事例が後を絶たないとのこと。

ただしギフテッドは孤立しやすいうえに繊細であるため、現実に鬱病を発症していることはよくあるでしょう。

優秀さへの恐怖、罪悪感

画一的な能力教育を重視する日本社会では特にそうですが、ギフテッドとして生まれると自分が優秀な成績をとることに後ろめたさを持つことも多く、わざとテストの回答を間違えたりするなどして成績コントロール(成績調整)を行う場合があります。

神経が鋭敏な「Overexcitabilities(過度激動)」

ギフテッドの能力や、神経過敏でメンタリティに問題を生じやすいなどの特徴は、脳の神経細胞が活発に反応する特性に鍵があるようです。

一般より“感じやすい”ため物事を深く考える。そのことが能力に結びついているのだと思いますが、いっぽうで感情のセンサーが過度に反応しやすいことはメンタルに負担をかけると言えます。

このような特性はHSP(超高感度人間)やスキゾイドなどにも共通します。同じ要因、“神経過敏さ”が惹き起こす生きづらさでしょう。

【OEの肯定的、否定的な面】

再び上Wikipediaより引用:

ギフテッド教育の専門家はドンブロフスキは「積極的な分離」(w:en:Positive Disintegration) [6]という人格形成理論を主張している。ドンブロフスキの積極的な分離理論の中核をなすのが、刺激に対する並ならない反応(OE Overexcitabilities 過度激動(刺激増幅受容性))である。これは神経の感受性が増すことによって通常の人間よりも刺激を生理的に強く経験する性質であり、ギフテッドの特徴である。

否定的な分離とは、一般社会的な生き方から受動的・破滅的に離れてしまうことで、行為の主体性を喪失するため精神病や自殺を引き起こす可能性がある。それに対して積極的な分離とは、一般的な受身の人生から離れるべく、まず対象から主体的に分離し、物理的あるいは精神的な距離を置くことで、より広い視野を俯瞰し、強い知覚に基づく深い理解を形成し、より高いレベルの認識を求め続けることである。たとえば、一般社会に対してでさえ積極的分離と再融合を繰り返すギフテッドは、自己や世界の概念が徐々に変化しながらも少しずつ社会の矛盾を解きほぐし、問題を認識し、最終的に独創的な生き方のビジョンを得てその解決や克服、その実現を目指す。しかし、その分離過程では、常に、緊張、不安、気分的うつ、恥、罪悪感といった精神的苦痛を伴う。その自己の葛藤は、常に深い感情作用と連動しており、人生の要となる出来事から日常の内省行為まで、世の中がそうあるべき姿と現実世界とのギャップを思い知る強烈な機会となる。

ドンブロフスキは、短時間の単純な感情は人格の成長にあまり影響はなく、否定的感情も含めた激しい感情作用こそが人生を変えるような劇的な体験をもたらし、積極的な分離を起こすと考えた。つまり精神的苦痛は、個人が心理的により高いレベルへ成長するために不可欠であり、その深い感情作用を最大にもたらすものはOEである、と結論付けている。ギフテッドの子供が、OEという平均以上に敏感な精神状態にあることは、勉学や芸術で著しい成果をあげるだけでなく、日常におけるすべての活動においても精神に特異な反応を起こしていることを示す。つまりギフテッドは、誕生時より常に外界・内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返していることが、彼らの著しい成長に関連しているという仮説である。

(太字は筆者)

太字箇所、繊細さで苦悩することが多いギフテッドには勇気が出る言葉だと思います。

生きづらさ故に自殺を考えているギフテッドの多くが、この話で救われるでしょう。

 

孔明は天才? いいえ、典型的なギフテッドです

中華圏では長いこと「天才」と呼ばれてきた諸葛亮。

最近はアンチによって「諸葛孔明は天才なんかじゃない! 完全に無能な人物だった!!」と声高に宣伝されています。

相反する評価に、三国志初学者の方は「いったいどっちが本当?」と首を傾げていることでしょう。

私が思うに、フィクションのなかで描かれている諸葛亮の天才ぶりは行き過ぎています。そもそもがフィクションで描かれているような、未来を完璧に見通した神がかりな作戦ばかり思いつく「天才」など世界のどこにも実在しません。そんなものはフィクションの中だけに存在する架空動物と思ってください。

ただ、史実の諸葛亮はアンチが言うような「完全に無能」な人物というわけでもありませんでした。

古代社会、完全無能では国政を担うことなどできない

これは当たり前のことです。猿以上の知能を持つ人なら誰でも分かる理屈でしょう。

国政を担っていた人間が「完全無能」という話など、そもそも筋が通らないおバカな説ですね(笑)。そんな説を吹聴している人たちは自分が猿以下の低知能である、と公開告白しているようなもの。暴力で民を独裁支配している共産国などでない限り、完全無能な人物が国政を担うことなど不可能※です。

※無能な人々が軍事で政権を奪い独占した例は、20世紀~21世紀の共産国に散見されます。結果として餓死や虐殺などで、合計1億人以上が不慮の死を遂げました。そのような政府と呼べない愚かな政権でも長年支配を続けていられるのは、現代科学兵器による言論統制・抑圧があるから。現代のような科学技術が無かった古代では絶対不可能です。

【参照。劉備や孔明たちがリアルタイムで評価されていたのは史実】

【史実】劉備たちはリアルタイムで超絶人気だった『パリピ孔明』第10話

とにかくこの正史すら読んだことがない自称学者たちの説は、事実の記録も理屈も無視した空想物語だと言えます。なるほどマニアたちから嘲笑されているわけです。

諸葛亮を庇うわけではありませんが、彼には少なくとも国政を担う者に必要な範囲の、常識的な能力があったことは間違いない事実です。上級マニアの関心を惹いているのは、実際その能力がどのような種類のものだったかということらしいです。

諸葛亮はギフテッドだった

次のような諸葛亮の史実の特性から、彼がギフテッドだったという可能性が高まります。

諸葛亮は若い頃、当時一般的だった論語の暗唱など一言一句を追う学習法を嫌っていた。テキストは一度だけ読めば良いとして読み返すこともなかった(これは最も典型的な知的ギフテッドの特徴)

・独自の発想を持っていてよく発明した(ギフテッドは合理性と創造性を併せ持つ)

・中道主義、俯瞰主義(ギフテッドは多角的に物を見るため俯瞰思考が得意)

・高い倫理観を持っていた(法的安定性重視。言行一致。「儒教原理主義者」と中傷されるほど倫理に自ら縛られる傾向もあった。これはギフテッドの特性)

・よく泣く、文学的な感性が高かった(繊細で感情が強いギフテッドの特性に合致)

・自分の能力を過小評価する卑下タイプ(ギフテッドの特性に合致)

等々

※出典:陳寿著『諸葛亮伝』裴松之注『魏略』他

このなかで決定的にギフテッドだったことを裏付けるのは、若い頃の学習法「テキストをざっと一読するだけ、読み返さない」です。

このエピソードはまたアンチのかっこうの攻撃材料となっていて、

「孔明の勉強は適当だった。孔明は勉強が苦手だったんだ♪」

と喜んで吹聴しています。

しかしテキストを一読するだけという勉強法を指して「勉強が苦手だった」と考えるのは、自分を基準としているからでしょう。

現に、テキスト一度読みで高い成績をとる人間は実在します。それがギフテッド。

たいていのギフテッドは精読や暗唱といった退屈な学習を嫌うようです。テキストは読み流すだけ。それで十分と考えるからです。と言っても一度読んだだけで全文暗記するわけではありません。だから細部記憶に弱く、「適当。いい加減」との批判も当たってはいます。ただ彼らは、目的とは関係ない些末情報は後から仕入れ補完すれば十分と考えているわけです。些末よりも根幹の大筋を押さえることが重要、それさえできれば「何が重要なのか」というポイントをつかむことができます。

三成の記事で書いたように、日露戦争時の日本海軍参謀、秋山真之なども同種のギフテッドだったでしょう。「ヤマ勘」の語源となった山本勘助もそうだったのではないでしょうか。

ギフテッドが告げる「ヤマ」とは、実は膨大な情報を処理した結果としての最重要ポイントなのですが、他人からはその思考の筋道が見えないために直観などの神秘能力にも見えるのだと思います。

このように学習特性から言って、ギフテッドは事務作業には向きません。しかし作戦家(参謀)・法律家・医師など膨大な情報から最善の答えを導き出す仕事には向くと言えます。

諸葛亮はギフテッドのなかでも人一倍倫理観に縛られるタイプだったため、“人殺し”である戦争には慎重となってしまいました。このため結果を残せず、「戦争下手」と批判されています。だから孔明のことを東洋における定義、謀略が得意という意味の「天才」と呼ぶのは誤りと言えます。ただギフテッドだったのは確実。合理を重視するという現代的な意味での戦略家としてなら、確かに天分があったと言えるのかもしれません。

(以下数項目、横道過ぎたためカット)

ギフテッドが求める評価

最後に筆者の想いを書きます。

ここで私はアンチに対抗するため、「諸葛亮は完全無能というわけではない」と述べました。

ただし、諸葛亮の評価を昔のような「天才崇拝」に戻すつもりは毛頭ありません

「天才」として過剰に持ち上げられることは大変な恐怖であり精神負担になることを、かつてギフテッドの一人だった筆者は身をもって知っているからです。それはアンチの人格否定に等しいくらい残酷な人間性の否定、場合によっては虐待にもなり得ます。

しばしば自殺してしまうギフテッドがいるのは、「天才」という氷の壁の中に閉じ込められて呼吸ができなくなってしまうから。ガラスケースの中の人形と同じ扱いをされたからです。人間として認められず、誰とも対等な交流ができない状況に置かれたら、人は長く生きていけません。

分かっていて欲しいのは、ギフテッドも人間だということです。ただ能力が特殊だというだけのことで、内面は一般の成人よりも繊細で未熟かもしれないごく普通の人間です。

障碍ある人を差別しないことと同じように、ギフテッドも差別しないでいただきたいなと思います。

ギフテッドの最大の夢は「対等に見られること」。崇められたり、貶められることのない人生がほしい。……ただそれだけのことなのに、なかなか叶い難い夢ではあります。

難しいかもしれませんが、ギフテッドを見つけても対等な友達として接してください。軽いノリで接すると喜びます。事実と異なる人格否定の誹謗中傷など、悪口の暴力をふるうことはもってのほかですが、愛ある適切な批評なら感謝すると思います。“事実に即した適切な評価”に飢えているからです。