「からごころ(漢意)批判」、国粋主義の本居宣長を称賛するNHKの謎

こちらではご無沙汰しています。「劉備の伝記」更新お待たせして申し訳ありません。もう少し集中できるようになる3月半ば過ぎに書く予定でいます。

その前に最近のNHK番組での文革プロパガンダが目に余るようになってきましたので、メモと解説を置いておきます。

〔アイキャッチ画像〕

「本居宣長六十一歳自画自賛像」 寛政2年(1790年)

Wikipediaパブリックドメインより

 

国粋主義の過激思想「からごころ批判」、NHKが推奨するのは何故?

2022年11月8日に初回放送されたNHK『知恵泉~本居宣長 日本人の“心の原点”を探る』という番組を録画で観ました。

ファシストを称えるNHKという不思議な図

番組では江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)を紹介。

「中国の思想である儒教や仏教を日本人の心から排除して、“もののあはれ”に象徴される日本古来の考え方を取り戻すべきだ」

と唱えた、かなり過激なほうの国粋主義者であった彼を褒め称えていました。

反ファシズムを掲げる左翼放送局としては不可解な番組です。

 

宣長は中華思想を批判していない…?

NHKいわく

「本居宣長は決して儒教などの中国思想を批判したわけではありませんでした。ただ本質的な日本の文化を求めただけの学者です」

との説明だったのですが、この時点でかなり嘘というか誤った印象操作をしています。

 

本居宣長が儒教・仏教を排撃の対象としていたことは有名な歴史事実です。

彼は確かに儒教そのもの、仏教そのものを論破し否定したわけではないようです。しかし儒仏を害悪と捉え、「日本人の心から儒仏を排除すべき」との考えをもって批判したことは疑いようのない史実でしょう。

たとえば『馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)』――中華や朝鮮の思想は下等で卑しいから日本が統制してあげるべきだ、といった、ちょっと目を疑う独善な主張が彼の不寛容を裏付けています。「もののあはれ」とは正反対、NHKが推す「多様性」とも正反対な態度です。

 

そんな過激な国学者たちの思想が、のちに廃仏毀釈※という悲劇を生んだことはよく知られていること。

さらに大きな流れで読めば、その後の日本が極端なファシズムに染まり非合理な戦争に突き進んだ遠因も本居宣長らの国学だと考えることができます。

正確に言うと日本を戦争へ誘導した勢力(共産主義者)が国学を利用したわけですが、少なくともファシズムが根付く土壌を作ったのは彼ら国学者だとは言えるでしょう。

※廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは?

幕末~明治時代に起きた仏教弾圧。多くの仏教経典が焼かれ仏像が破壊された。

それまでの日本では神道と仏教が混ざり合い、寺社も区別されていなかった。本居宣長ら国学者たちはこの状況を憂い、「日本人は儒仏に害されている」と批判した。宣長の著書で国学に目覚めた平田篤胤は特に激しく仏教排斥を唱え、その後継である平田学派の者たちが廃仏毀釈運動をけん引した。

なお政府は神仏の分離は命じたが、仏像などの破壊を命じたわけではない。だが近代化を進めるために途中まで凶行を黙認した側面はあるのかもしれない(後に明治政府は仏像破壊をしないよう注意喚起している)。

左翼が国粋主義者を称える違和感

ここで違和感を覚えませんか?

寝ても覚めてもファシズムを憎悪してやまず、天照大神のもと戦争に突き進んだ日本帝国を罵倒・嘲笑している左翼たち。

その左翼の機関放送局たるNHKが、いったいなぜ「不倶戴天の敵」と考える国粋主義の始祖であり、日本ファシズムを作ったと言える本居宣長(言わばヒトラーと同じ天敵)を称えるのか? 左翼のイデオロギーに反するのでは?

 

……

 

考えてみたのですがよく分かりませんでした(笑)。すみません。

左翼の頭の中はまるで散らかり過ぎたゴミ屋敷のようで、論理的に解読しようとすれば矛盾に突き当たり意味不明となってしまいます。

【例】左翼はファシズムが嫌い→でも日本をファッショ化した本居宣長は称賛→バグ

おそらく二重思考に二重思考を繰り返し、命令が変わるたびに以前の考えを反転させるため、綻びをそのままにして突き進む習慣ができているのでしょう。つまりコンピュータならとっくにバグを起こして停止しているところ突き進み、自らのイデオロギーを破壊しながら無茶苦茶な主張を繰り返す……。

“もののあはれ”は多様性? 儒教批判すれば英雄?

分からないなりにあのゴミ屋敷を眺めると、左翼が本居宣長を称賛するのはどうやら以下の理屈からではないかと整理できます。

・国学を発端とした廃仏毀釈を「文化大革命」と捉え、憧れている

・本居宣長が掲げた「もののあはれ」イコール左翼が掲げる「多様性」

・本居宣長は儒教を批判した。ファシストでも儒教を罵倒していれば我らが英雄!

 

「もののあはれイコール多様性」とするプロパガンダは、又吉氏などの口から盛んに「いい言葉だなあ」と言わせていることから嫌でも感じ取ることができました。確かに不寛容で独善だった本居宣長が正反対の「もののあはれ」を唱えていたことは、独裁・全体主義の左翼が「多様性」を唱えている矛盾とそっくりです。

 

また国学者たちの廃仏毀釈を文化大革命と同じと考えて崇めていることも露骨に伝わってきました。廃仏毀釈と毛沢東の文革は目的が違うのに同じとみなすのは頭が悪過ぎて呆れますが。彼ら左翼にとっては毛沢東や習近平が中国で行っている文化破壊・虐殺と同じに見えて、うっとり憧れてしまうのでしょう。もしかしたらただ破壊や虐殺というだけでもゾクゾク惹かれてしまうのかもしれません。

「宗教弾圧」であったことも彼らにとっての憧れポイントでしょう。今まさに自分たちが行っている宗教弾圧(統一教会や自民党の吊るし上げリンチ)は廃仏毀釈と重なって見え、素晴らしく美しい行いと見えるのだと思います。

 

また「儒教を批判すれば誰でも英雄」については、まさに今の彼らが第一命題として掲げる

“東アジア圏から儒教を廃絶する”

に適っています。

なおこの命題には次のような戦略上の目的があります。

・東アジア圏の文化を根幹から破壊

・家族制度を崩壊させる

・道徳観の破壊、善悪の喪失

・指導者の指導力を奪う

・精神の拠り所を失わせる

…等

いずれも社会体制を崩壊させて人々の絆(つながり)を断ち、権力を乗っ取り、人民の精神をも支配・完全征服を果たすという大目標へつながります。

攻撃対象:西のキリスト教、東の儒教

西洋ではこのターゲットが

“キリスト教の破壊”

ということになります。社会体制の根幹を支配している宗教を打倒すれば、おのずと権力構造のトップを直接に奪うことができます。このため共産主義者は欧米でキリスト教を狙い打ちしています。下記事参照。

共産主義が生まれた歴史と、カルト思想との戦い方【共産社会主義の分析2構造】

東洋においてこのキリスト教に匹敵する宗教は「儒教・仏教」だと考えられたため、東洋の共産主義者たちは儒仏を主なターゲットとして攻撃しています。毛沢東の文化大革命や習近平の儒仏弾圧が典型です。

日本はまだ表向き共産国ではないため見えづらいのですが、左翼たちがLGBT法案や夫婦別姓(氏)を推進しているのは遠回りながら儒教の廃絶を目指した工作です。

もちろん戸籍制度を崩して社会体制を混乱させ国を乗っ取るという具体作戦でもあります。しかし戸籍制度で保全される「家父長制」は儒教そのものと考えられますので、最終的には儒教の廃絶を目指しているのだと読めるわけです。

本居宣長と共闘、いずれ吊るし上げ

おそらく本居宣長の主張は、たまたま偶然にも「儒教・仏教を廃絶する」という左翼の目標に合致していたため祭り上げることにしたのでしょう。

表向き目指すところが同じなら、天敵のファシストであっても称賛し祭り上げる(利用する)。

その時だけ認知症になって天敵であることさえ忘れてしまう。

これが左翼ならではのご都合主義による“共闘”です。

 

思えばかつて左翼は国学者の主張を利用して日本を太平洋戦争へ導き、「戦争革命論」で国家転覆を企てた前科があります。今回も同じ計画で日本を民族紛争の泥沼へ引き込むつもりかもしれません。そのために国学者を称えている。

(古典の素養がないとこのような歪曲利用に気付かず、扇動されて戦争へも突き進んでしまうということです。太平洋戦争での成功事例があるため今また繰り返すつもりなのでしょう)

しかしそれも儒教を完全に打倒する日まで。

上層部の計画が変われば一瞬で思考を反転させ、本居宣長をファシストと呼び吊るし上げることでしょう。

 

追記:構造で読めば日本の「国学」と共産主義は同じ

先に

“左翼が天敵である国粋主義(彼らがファシズムと罵倒するもの)を称えるのはおかしい。左翼イデオロギーに反するのでは?”

と書きましたが、実は共産主義と日本国学は思想として構造が同じですから共産主義者が本能的にシンパシィを覚えるのは当然なのです。

たとえば…

・一神教である

・自分たちだけを正しいと主張し他者を弾圧する独善

・他者を下等な奴隷とみなして支配する独裁主義

といった構造が同じですね。

何故なら共産主義と日本国学は源が同じだからです。つまり生みの親はキリスト教であり、キリスト教のDNAプログラムを受け継いでいるということです。

【参照】平田篤胤はキリスト教(欧州)の手先…国学は日本侵略のために投げ込まれたキリスト教由来のプログラム

しかし一神教同士は相容れない。

だから共産主義者はキリスト教を「教会と家父長による奴隷制度」と呼び、日本国学を(利用しないときは)「侵略ファシズム」と呼んで敵対視してきたわけです。

自分の親であり兄弟であるのに利用したり噛みついたりする。なんという醜悪さでしょうか。

まさに“蟲毒”という呪いにかかったような虫たち、互いを喰いあう宿命からは逃れられないようです。