『正議』解説補足。認知戦と古代「民意」の違い

『正議』解説補足。認知戦と古代「民意」の違い

これは『認知戦』の記事に掲載していた文章ですが、あまりに脱線し過ぎていたため別記事としました。

認知戦の記事:

認知戦とは? メディアが上から「民意」を強制、あなたが兵器となる時代

「見えない力」としての民意には前提として天意がある

今年の初めに私が書いた記事、『正議』翻訳についての解説もおそらく「これは認知戦のことだ」と誤解してしまう方がいるでしょう。

『正議』諸葛亮著 現代日本語訳(原文あり)

残念ながらフィクションの姑息な描き方ゆえに、孔明には“目的のためなら手段を選ばず”なイメージが根強くあります。このため『正議』も「民衆を洗脳して兵器として利用しようとしたんだ!」と考える人が多いのではないかと想像します。

そうではない、「見えない力」としての民意を信じて戦うということは、「民を利用する」とは全く異なるどころか正反対なのだということを強く言っておきます。(現代の認知戦を唱える犯罪者たちへ。歴史を自分たちにとって都合良く捻じ曲げ、自分たちの犯罪を正当化するために利用するのはやめろ)

たしかに上の文を読めば、諸葛亮が「民の支持」も軍事力や国力のうちだということを早くから認識していたことが分かるでしょう。しかし現代のハイブリッド戦と決定的に異なるのは、「偽物の民意」を創作して上から押し付けるということは全くしていない、その逆ですでに存在した「天意(天道)=民意」に従っただけであるということです。

ポイントは多数意見に左右されるだけのポピュリズムとは違い、道義にかなっていることが大前提の話だということ。

たとえば現代のように劣化した教育によって道徳が廃れた時代では、いくら道義に沿った行いをしたとしても称賛されることはないどころか、逆に非難され貶められる逆転現象が起きます。

しかし人類の大きな歴史で見れば、人間の本能は必ず天たる形而上に存在する“道義”へ戻ろうとします。現代中国人が文化大革命で強制されても“天道”を失わなかったように、強制が続かなければ不自然な思想は元に戻る。

人間の本能なのか、形而上に「自然法」のイデアが本当にあるのか分かりませんが、非道な行いが責められ勢力を弱まらせていくのは人類共通の絶対法則です。

もし劣化した時代の多数意見を「民意」と勘違いしてポピュリズムに陥り、悪事をはたらけば本末転倒。だから今のような獣化教育が施された時代の場合は、たとえ全く人の支持を得られなくても信念に従って「天道」を信じる他ないと言えるでしょう。そのためには天道イデアを知覚するセンサーのようなものが必要で、それこそ難しいことなのかもしれませんが。「何が善で悪なのか分からない!」と教えられたことを鵜呑みにして善悪反転に酔っている状態では無理だろうと思います。天道センサーを取り戻すことが先です。

 

以上『正議』の法則を簡潔にまとめると、

1.自然な人類の状態では、民意は天意(天道)を反映したものとなる

2.本物の民意(強制によらない自然な民意であることが前提)という、兵力以外の見えない力を得た者が最終勝利するのは人類の絶対法則

3.民衆虐殺など天道に叛いた行いをした者は一時期は栄えても必ず転落する、あるいは未来の後継者が報いを受ける

となります。

素朴な道徳観を述べているだけなのではありますが、現代軍事や政治論に照らしても間違いのない真実だと私は思います。

 

オマケの話。リアルタイムの三国時代はどうだったのか?

今の「プーチン絶対悪」「ゼレンスキー絶対善」との勧善懲悪プロパガンダを眺めていると、まるで曹操が悪者とされたフィクションの『三国演義』のようです。

そのせいでまたしても、“蜀漢正統論”などというプロパガンダが実在したと信じている陰謀論者は

「三国時代も今と同じようにプロパガンダで曹操様が悪者にされたんだ。ぜんぶ孔明がやった。孔明ってやつはどこまで汚い嘘つきなんだ!!」

と考えるかもしれません。それこそ孔明が魔法使い(笑)なのだと信じるフィクションに洗脳され過ぎ、頭が悪い人の空想と言えます。

 

何度も書いている通り、現実ではリアルタイムに曹操が民に憎まれ、劉備など蜀人物が民からの圧倒的人気を得たのです。

それはもちろん上からプロパガンダで押し付けた善悪などではなく、民間のほうから発生した自然の評価です。

リアルタイムの評価記録:

曹操ってどんな人?〔後編〕 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

 

1800年前の三国時代には、テレビメディアもネット検索会社もSNSも存在しなかったことをお忘れなきよう。状況の異なる古代と現代を混同してはいけません。

嘘が圧倒的な大声で叫ばれるプロパガンダは、現代技術があって初めて可能となったものです。

もちろん古代においてもプロパガンダが無かったとは言いません。上に書いた通り『孫子』兵法で説かれているような心理戦はたびたび行われてきました。しかしメディアも匿名SNSも無い時代において、今日のように民をターゲットとした大規模なプロパガンダを行うことは物理的に不可能です。まして、千年も二千年も残るような評価を意図的に創作することなど、古代人には絶対不可能。遥か後世の「蜀漢正統論」などを、生前の諸葛亮がプロパガンダでコントロールできるわけないでしょう。

古代のように匿名が不可能な社会で、知り合いづてに噂話が広がる状況においては真実のほうがより広く強く伝わりやすい。メディアが強制するプロパガンダの無い時代においては、「火のないところに煙は立たない」という諺が正しかったと言えます。

 

ただし古代においては、真実が極端に拡大されて話を盛られて伝わりやすかったという不都合はあったと思います。スピリチュアルな考えと物理次元の考えが混ざり合って区別のなかった古代、中華では「仙術」なども本気で信じられていました。だから必ず人気のある人物は仙術使いのようなフィクションを盛られてしまうことになります。それは日本で言えば二次創作の娯楽みたいなもの、噂を聞く人たちも話が盛られていることは「お約束」として分かっているので喜ぶし、次の人に伝えるときも自ら積極的に盛るらしいです。このため、指数関数的に話が膨らんでいくことになります……。恐ろしや。

ちなみに、蜀人物について仙人のような逸話を盛った民間伝承が語られ始めたのは生前のリアルタイムです(リアルタイムの壮絶人気を史書で裏付けるのは難しいのですが、たとえば諸葛亮の死の直後に廟を建てたいと一般庶民が朝廷へ殺到したという話や、百年後にはすでに蜀人物を山車に掲げて練り歩く祭りが記録されていることなどが証明になるでしょう)。『三国演義』はその当時からの俗話をまとめたものに過ぎないと思われます。後世の『蜀漢正統論』について私はよく知りませんが、おそらく元々存在した蜀人気に乗っかった、それこそポピュリズムだったと推測します。

 

このように極端に走りやすい欠点のある華人ですが、基本的に彼らは史実・現実に基づく評価をベースに話を盛る特徴があります。

つまり、

虐殺などをして憎まれた人物は徹底的な悪人として話を盛られる。

人気を得た人物は仙術も使えるスーパーヒーローとして話を盛られる。

これが中華の絶対ルールだったようです。(現代、共産党統治下での歴史修正を除く)

 

なお現代の「認知戦」ではこのような古代の勧善懲悪をもとにして話を創作していると考えられます。

どうやら今回のプロパガンダを計画した担当者は、プーチンを曹操、ゼレンスキーを劉備に見立てて話を創っていますね。

きっと欧米の人たちは誰も知らないでしょうが東洋人ならピンときますよねえ。

…したがって、このようなところからも「作戦の中心に中国人が参加している」と読めるかと思います。

戦闘手法もプロパガンダも、全てにおいて中華臭が臭うのですよ。欧米人はごまかせても東洋人をごまかせると思うなよ。

 

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