易姓革命とは何か? 早過ぎた民主リコール制度

香港デモを応援している人々や中国ウォッチャーの間で、中国大陸で暴動が起こるたび

「易姓革命か!?」

という噂が流れます。

しかしこの言葉を正確に理解している人は少ないようです。

なかには間違った知識のまま、「易姓革命は民を奴隷化するためのシステム」と正反対の話を拡散している人もいます。

ここに易姓革命とは何か? 基礎から分かりやすくお話ししようと思います。

言葉の意味

中共の使う「革命」は正反対の偽造語

Twitterにて中国ウォッチャー界隈を眺めていますと、
「易姓革命は、独裁のための全体主義システムだった… これがあるから中華はいつまでも民が虐げられ発展しないのだ。易姓革命こそ漢民族による、諸悪の根源だ!」
などといった勘違いの呟きを見かけます。
(主に日本人の知ったかさんの呟きです)

「易姓革命」は奴隷化システムとは正反対の話。

おそらく中国共産党が「革命」という言葉を独裁の根拠として使っているために勘違いされたのでしょう。
中共の言う「革命」とは「共産革命」に限定された意味であり、それは永久に更新のない絶対権力のことです。ソ連も同じように「革命」を絶対権力の意味で使いました。
本来の「革命」とは正反対の意味です。
このように共産主義者は言葉の意味を正反対に変えて使うため、本来の言葉と混同しないように注意が必要です。

※同じような共産新語(Newspeak)に中共が使う「法治」「公正」があります。これら言葉の意味を正反対に作り変える用語偽造技術は近代西洋哲学~共産思想に基づくもので中国伝統文化とは無関係です。
(「中国における法治とは古代から“権力者が民を虐げる”という意味だった」と語る共産党員の解説は嘘だから信じてはいけません)

古代中国の「革命」とは、日本における“Revolution”に相当する一般用語の意味そのまま「政権交代の社会革命」のことです。
つまり革命で作られた政権は再びの革命で覆される可能性がある、ということ。
“永久的な革命政権”などというものは、字義としても意味が通らず全く有り得ないことなのです。

言葉は共産新語ではなく、本来の意味で覚えましょう。

「革命」の正しい意味とは

この熟語は日本の漢文調で書き下すと「命(めい)を革(あらた)める」と読みます。

元々は『易経』の六十四卦『沢火革』が由来。

革。巳日乃孚。元亨利貞。悔亡。(かくはおわるひにしてすなわちまことす。おおいにとおるていによろし。くいほろぶ。) http://joe.g1.xrea.com/kaisetsu/k49.html

古代の思想家である孟子(もうし)はこの易経の概念を発展させ、革命論を世に広めました。

孟子はこう言っています。

残賊の人、これを一夫と謂ふ。一夫紂を誅するを聞く。未だ君を弑するを聞かざるなり
『梁恵王章句』

意訳:
人道に反する王は“残賊”と呼ぶべきであり、これは一介の平民である。天から命を受けた“君主”としての資格はない。
だからたとえば民を虐げ暴政の限りを尽くした桀王や紂王などは「平民」と言える。
紂王を倒した武王は平民である紂を罰しただけで、君主を殺したなどとは聞いたことがない。

儒教では下位の者が上位である君主から権力を奪うなどということは“もってのほか”の罪とされますが、民を虐げる王などそもそも王としての資格がないので、倒して新政権をたてても良いという考え方です。
暴虐政権を倒して権力を継いだ者は、新たに天から民を治めよという「命令」を与えられることになります。
これが命を革める、すなわち「革命」の本義です。

いかがでしょう。
大勢の民を殺し、暴虐の限りを尽くしている中国共産党に「天命」があると思いますか?
既に遥か昔に「天命」を失っている中国共産党は残賊のなかの残賊と言えます。そのような中共政権が未だに「革命政権」を名乗る資格など全く無いのです。

孟子の思想、根本解説

易姓革命は先走り過ぎた「民主リコール制度」だった

ところで何故「易“姓”革命」と呼ぶのかと言うと、政権が変わるたびに氏姓の違う者が王となるから。
これが血統を主権の正統性としてきた日本や古代ヨーロッパなどと違う中国文化の特徴だと言われています。

易姓革命があったから中国は何度も政権が変わり、内乱を繰り返したあげく衰退してヨーロッパ列強に侵略されたのだ、とする批判もあり一理あると思います。
最大の問題点は、時代が進むほどに古代の教養が失われて「誰でも・勝手に新たな政権を名乗ることが可能」と誤解されたことでしょう。

そもそも『孟子』は孔子儒教の補完版として読むべきものです。
言わば、
「上位が絶対。上の者は下の者に何をしてもいい、下の者はどんな暴力をふるわれても受け入れなければならない」
という無限のDVを許すことになってしまった孔子儒教の欠陥=プログラムの脆弱性を補うためのセキュリティパッチなのです。
だから本当は孔子儒教とセットで読まれなければならず、「徳治(善良な徳を持つ王様が国を治めること)」が大前提にあることを忘れてはならないのですが。
孟子の革命論を都合良く曲解し、権力を求める者が誰でも政権転覆させて良いということにしたために反乱が止まなくなったわけです。

本来、「天命を持つ者」だけが革命を起こす資格があります。
「天命」とは何か?
それは現実においては民による統治の委託のことです。

孟子は次のように述べています。

民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。是の故に丘民に得られて天子と為り
『尽心章句』

訳:
国で最も貴いのは民であり、社稷の神がこれに次ぎ、為政者は最も軽い。そのために民衆に選ばれ承認されると「天子(天命を受けた天の子、君主)」となる。

この通り古代中国において天命は民の承認があってこそ成立するものと考えられていました。
※『孟子』という書籍に収められた思想は孟子個人の発言ではないと考えられる箇所が多くあります。従って誰が著したか分かりませんが、おそらくこれが古代中国人の共通認識だったと考えられます。

王が民のための政治を行っていて民から支持されていれば「天命」があると言えるのですが、暴政を行い民の支持を失った場合に「天命」を失う。
つまり「民は天命を映す鏡」と言えます。
そのために政権側から見ればほとんど、民=神のように見えていたはずです。
(ポピュリズムで民の人気を得ることを意味するのではないから注意。まず「本当に民のためになる政治を行うこと」が前提です。これは孔子や孟子の前半に説かれている通りです)

この前提が浸透していたので古代の賢王たちは民のための政治を行い、民も王を敬って従いました。
民の承認を失い「天命」という資格を失ったなら、王も当然のこととして次の有資格者へ禅譲します(地位を譲り渡す)。
これが正しい意味での「易姓革命」。

こうして見てくればお分かりでしょう。
「易姓革命」の本質とは独裁を防ぐための古典的な民主リコール制度だった、ということになります。
日本の「下剋上」とは全く意味が違うのです。

西洋に先立つこと約二千年。あまりにも早過ぎた民主リコール制の提唱でした。
大陸では時代が進み教養が失われるごとにこの思想を正しく理解する者が減り、現代に至っては中共の文化破壊・思想破壊によって忘れられてしまったものと思われます。

中華は本来、民が強い民主主義の地である

一般に孔子『論語』など儒教のイメージが強い中国。
このために弱い民はずっと虐げられ、権力者に粛々と従う奴隷だったと誤解されています。

しかし実は『孟子』で著された民主主義こそが中華思想の真髄です。
一部の知識人たちが崇めた孔子儒教などより、圧倒多数の民たちが受け継いだ『孟子』の精神こそが中華という地の本性。

この精神は大陸で廃れてしまいましたが最果ての地で生きていたようです。
遥か未来の現代、孟子が蒔いた種が香港革命で開花したのを私は見せつけられています。

アイキャッチ画像:「孟子 肖像画」Wikipediaパブリックドメインより