子曰く「民意は天意。仁義を貫く国が栄える」…これが儒教の真髄です
前記事では華流ドラマ『孔子春秋』に潜む政治プロパガンダを指摘してみました。
今回は同じドラマから、政府の思惑とは全く逆の意味で活用できる孔子思想の真髄を引用していきます。
【孔子学院にご注意。こちらの記事をどうぞ】
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これこそ本物の儒教です。ドラマ『孔子』で参考にすべき言葉集
長年、日本・台湾・香港の左翼や道教系宗教団体(法輪功など)によって「儒教=悪」というイメージがばらまかれてきました。
さらに今では儒教を弾圧し続けてきた中国共産党が方針転換、スパイ養成学校の看板に孔子を掲げて悪用し始めたので、孔子と儒教のイメージ悪化が進んでいます。
しかし儒教は本来、憎むべき悪の思想などではありません。
確かに臣民教育で悪用されてきた歴史はあるのですが、偏りなく儒教のすべてをきちんと学ぶと「独裁思想」どころか正反対の、民主主義を推進する思想であることが理解できるはずです。
「天道」「人道」「仁義」という言葉が儒教から来ていることだけでも分かる通り、儒教は人間性を高め民度を上げる世界最高峰の道徳教育なのだと言えます。
「おてんとさま」という日本人が当たり前に口にする言葉も、漢字では「お天道様」と書き、儒教で説かれる天道のことを意味しています。「おてんとさまに恥ずかしくないように生きる」とは、天道・人道に照らして間違っていない生き方のことです。
日本人も江戸時代に徳川家康が儒教の教えを徹底したため、道徳心が高まり世界中で称賛される振る舞いを身に付けることができたわけです。しかし戦後、GHQと左翼によって「儒教=悪」のイメージがばらまかれ、儒教教育が破壊されたために日本でも心の荒廃が進みました。このまま左翼の言うなりで儒教排除を続けていたら、日本の美徳が失われ社会が崩壊するでしょう。
いっぽう本家の中国大陸では文化大革命時に激しい儒教弾圧が行われ、儒教は死に絶えたと思われてきました。
ところが儒教の書物を壁に塗り込んだり、地下に埋めるなどして細々と伝えてきた人々がいたようです。今、思いがけない中国政府の方針転換によって儒教が蘇ろうとしています。
前記事で書いた通り、中国共産党は孔子を悪用するつもりです。あくまでも政治プロパガンダとして儒教を都合良く使っているだけのこと。
しかしこのたび私はドラマ『孔子春秋』を観て、一般の大陸人は本気で儒教を蘇らせようとしているのだと感じました。
以下に引用するのは『孔子春秋』にて真実の儒教解釈が表現されている箇所です。政府がプロパガンダのつもりで流しても、大陸一般人は古代からのメッセージを正しい意味で受け取るでしょう。
「民の目は天の目」儒教は古代民主主義の原型
このドラマ『孔子春秋』では、繰り返し「民」という言葉が出てくることが驚きでした。後で書く通り「民」という言葉も中国共産党は都合良く意味をすり替えているのですが、一般の国民はそのように受け取らないでしょう。
何故ならこれは現実に儒教の真理だからです。
こちらの台詞を目撃したとき、私は思わず叫び声を上げてしまいました。
第22話より:
民の目は天の目
民の心は天の心
「民意=天意」!
私はこの言葉を自分なりの儒教解釈(イメージ)として抱いてきたのですが、他者の創作で目にすることができて涙しました。自分が信じて来たことは正しかったと答え合わせできた。
【民意=天意に触れた記事】
伝統的には、孔子の思想でこのような考えがクローズアップされることはなかったと思います。同じ儒教のなかでも『孟子』の教えとして説かれるべき話ではないでしょうか?
しかし元々は孔子もこのような思想の持主であったと解釈することが可能です。
実際、私の感覚として古代中国は「民意=天意」という思想が浸透した原始民主主義だったと思います。
ドラマ中の孔子も私と同じ考えのようです。以下は上の画像前後の台詞。
(反乱軍に攻められて都が危機に陥った。迎え撃つ孔子は、国軍を率いている弟子の子路へ命じる)
孔子:50歩ごとに水がめをおき民家は燃やすな
子路:この期に及んで民家ですか! 兵は訓練を始めたばかり、武器は壊れているし馬も足りません
(この言葉を聴いた孔子は怒った様子で黙る)
子路:先生
(孔子、ゆっくり振り返り弟子を睨む)
孔子:私の教えは?
子路 :(気まずそうに目を逸らしながら)……“仁者に敵なし”
孔子:疑っているのか
子路:先生、剣や槍は仁義を知らぬ
孔子:曲阜(都)に来た民の数は?
冉有:都に来たのは8万戸 24万7千人です
孔子:24万7千人の心で足りるだろう?
…民の目は天の目、民の心は天の心
天が負けると言うなら従おう
素晴らしい。現代の『超限戦』とは真っ向から対立する考え方。
もちろん物理的な戦争で武器を持たず正義だけで立ち向かうのは無理ですが、どのような形であっても最終的に仁義のあるほうが勝利する。これが天の道理。(道理≒合理)
そう、これこそ古代中国の思想です。私はもちろん同意ですし深く共鳴します。
「暴政を敷く国家は滅びる」古代中国の教えは現代でも通用する
次に、これは『史記』などの史書に繰り返し説かれている話。老子の言葉として表現されています。
第14話より:
老子:(孔子に対して)お前はまだ大道を知らない
孔子:教えてください
老子:“天が育んだ万物には盛衰があり 地が育んだ青草には栄枯がある 水は低きに流れ腹が減れば飯を食う”これが大道だ
文王にも殷(いん)を倒す意思があったかもしれぬ 機を見ていただけだ
その頃、民の不満はまだ満ちてはおらず 武王の時に機が熟した
武王が怒っている民の前で声を出すだけで 殷の王朝は倒れたのだ
民でも聖人でもただ一人の努力と情熱では仕方ない 文王になれても武王にはなれぬ
聖人はむやみに動かない 待つことを知っていて力を蓄えるからだ 分かるか?
「殷は倒れた」とは、暴政を敷いて民を苦しめた殷の紂王が倒されて殷が滅びたという史実を指しています。
ここでは老子が孔子へ“機を見ること”の大切さを説いているのですが、「暴政を行う国は自然の摂理で滅びる」という真理を表現した話でもあります。
これと似た話が後に弟子たち同士の講義シーンで再び説かれます。
21話より:
講師:殷の湯王(とうおう)が夏(か)の桀王(けつおう)を討伐した際、湯王は桀王を攻める前に様子を探りに行かせた
民は“桀王は暴虐だ”と
小虎(新入生):暴虐とは何です?
兄弟子:自分の意の向くままに人に害を与え、批判を聞き入れず増長すること
講師:そのとおり
小虎:桀は王では?
講師:人は常に大勢に囲まれており 将来王や役人商人になる者もいる 最初は子でやがて父となる どんな人も他人と繋がりを持ち一定の責任を負う 無責任に気分次第で人を傷つけることを暴虐というのだ
湯王はすぐに攻めず 1年後、夏の都へ様子を見に行かせた
民は桀王の悪口を言うのも恐れ こっそり言葉を交わすとすぐ別れた 湯王はそれでも攻めない
その翌年、都へ様子を見に行くと 夏の民は顔を合わせても怖くて話もせぬ 空を見上げて歩くだけだった 湯王はようやく出兵を命じた 殷の兵は何の抵抗も受けなかった
桀王が死ぬ際、周りには誰もおらず 妃や大臣、悪事を働いた将軍も皆逃げたという
…小虎、どう思う?
小虎:桀王の宝物は…(略)王ならばすべての宝物が手に入るのにさらに銭を欲した 多くの人の支持を得ることが真の宝物なのに
講師:(頷きながら)小虎よ 世の人々の忠誠こそ王の財だ
その通り!
これが典型的な古代中国の教え。
“恐怖支配で民を弾圧すれば国が滅ぶ”という考え方です。これも原始民主主義。
「民は恐怖で声も上げられない状態」とはまるで、今の中国大陸のようですね。
「暴虐とは自分の意の向くままに人に害を与え、批判を聞き入れず増長すること」も、まさに今。
同じメッセージでしつこいようですが、強烈な力のある言葉ですのでこちらの画像も再び引用しておきます。
37話より:
民が主人であることが繰り返し説かれる
他にもこのドラマではたくさんの「民のための政治」が説かれていて感動を覚えます。
細かな解説は省いて一気に引用していきます。
10話より。小賢しい悪者として描かれている少正卯にさえ、こんな台詞を言わせている:
民の気持ちをつかめなければ国は滅びるでしょう
第21話より:
子貢:師がこう言ったのを今でも覚えている
“己に勝ち民のために行動すれば――真の喜びを得られる”と
37話より:
魯王:国に仕えたくないなら、私に治国の大道を教えてくれぬか?
孔子:賢人を使うのです
魯王:(首を傾げ)どうやって民を従わせる?
孔子:公正な人を使うのです ずる賢い者を辞めさせれば民は従います
魯王:聞けば――民はずる賢く商人は利を求めるとか 鞭で叩いて従わせるものでは?
孔子:(呆れた顔で魯王を見て立ち尽くす。その後、目を閉じて首を横に振る)
世の役人は民の育てた作物を食べ 民の織った物を着ています なのに満福で鞭を持ち“悪人を叩く”と言う
いずれは――その鞭で自分が叩かれます
魯王:(ハッとした顔で孔子を見上げ、立ち上がる)
孔子:永久に変わらぬ王朝などないが 永遠に称えられる仁者はいます
(首を横に振りながら)王様の話は まったく間違っています
魯王:王宮にいる私はどのように民を愛せばいい?
孔子:7歳の子に分かることが70歳の年寄りに分かるとは限りません
魯王:簡単な理屈と言うのか それは聞いたぞ
孔子:大道は常にそこにあるのに 王様が私心を押さえられぬだけ それで少しずつ小人の道へとそれていくのです
魯王:妙手があるのだろう 富国強兵や国のまとめ方を教えてくれ(捨て台詞をして立ち去る)
孔子:(肩に留まった白鳩を見ながら)何を言っているのですか
37話、クライマックスでのこの台詞は感動しました。
「永遠に称えられる仁者」によって告げられるこの言葉に心震えます。
すべてが全くその通り……。
中国共産党は「ずる賢い者を辞めさせる」という考え方を都合よく解釈して粛清に使うと思いますが、一般人は真理のほうを受け取るでしょう。
共産主義者たちは「民主」の意味をすり替えて使っている
最後に、今回引用した話でも注意すべき点を書いておきます。
ドラマの中では繰り返し「民」「民主」という言葉が出てくるのですが、中国共産党は下のような意味でこの言葉を使わせていると思われます。
国民弾圧を「民主主義」と呼ぶ共産党
2021年3月18日アラスカで行われた米中トップ会談で、中国側は20分にわたり一方的な主張を展開。その話のなかで、中国政治局委員は
「(ウイグル人虐殺・香港市民弾圧などの非人道な行いは)我々中国政府としての民主主義を行っているのだ。アメリカにはアメリカなりの、中国には中国なりの民主主義があるのだから内政干渉するな」
と述べました。
今まで通り「共産主義では非人道の虐殺が中心的な統治手法とされる。口出しするな」と開き直るならまだしも、今回から自分たちの行いを“民主主義”と呼び変えた。
ジェノサイドを民主主義と定義する、驚愕の言葉の意味のすり替えを世界へ披露したわけです。
これまでも「法治」「自由」「公正」「平等」「人権」などの言葉を自分たちに都合良く正反対の意味へすり換えてきた中国共産党。
またか……と呆れかえるばかりですが、これは古代中国からの伝統ではないので勘違いなさらないでください。
復習! 左翼のニュースピークとは
言葉の意味をすり替えて犯罪を正当化する手法は、一神教と西洋哲学を起源とするファシズム・共産主義に独特な技術です。
【参考記事】共産主義者の嘘つき史とニュースピーク手法
共産主義者にとっての「民」「民主」とは何か?
中国政府が国民を弾圧することを「民主主義」と呼び、ジェノサイド(民族浄化の大虐殺)を「人権保護」と呼ぶことにしたのは、アメリカ左翼による下準備があったからです。
アメリカ左翼の行った「民主」ニュースピーク化とは?
左翼にとっての「民主主義」とは少数プロレタリアート(労働者・無産階級)による独裁圧政を意味する言葉です。
画像で復習。左は一般的な「民主主義」の解釈、多数派による国政コントロールのこと。右は共産主義者にとっての「民主主義」、自分たちごく小数の左翼だけを「民」と定義したうえで「左翼による寡頭独裁が民主主義だ」という反転させた解釈をします。
2020年のアメリカ大統領選挙では、左翼が不正投票などの手法を使って“選挙を盗”んだことを正当化。「共産主義プロレタリアート(民)による独裁が民主主義である」という言葉のすり替えを促進させました。
【参考】左翼自身が選挙不正を「民主主義の保護」と呼び、言葉のすり替えを行った記録
中国共産党はこのアメリカ左翼が敷いたレールのおかげで、「我々は独裁支配という民主主義を行っている」という定義替えを堂々と公表できたわけです。
孔子が現代人へ伝える真の「民意」とは
この通り、世界中の共産主義者と中国共産党にとって、「民主主義」とは共産党員という小数の特権階級だけを表す言葉です。
しかし当然ながら、ご都合主義で言葉の意味を書き換えても真理は変わりません。
真理の世界において言葉の意味は一つ。
「民」とは少数プロレタリアートなど特権階級を除いた、大多数の一般国民を指します。
「民主主義体制」とはそんな大多数を統治者と見た、一般国民による政治コントロール体制を指します。
孔子たち儒家が発信した「民」「民主」の定義も同じ。
孔子の時代から正しいこと、善悪は変わりません。それはイデアなど宇宙全体で共通概念として存在しています。
善悪反転させて真理を改ざんしようとする者は“人に非ざる悪魔”。悪魔の言葉に耳を傾けないでください。
このドラマで繰り返された「民」「民主」は、共産主義が唱えている意味ではなく、真の意味だと感じられます。大陸人はそんな真理を受け取る人のほうが圧倒で多いでしょう。
大陸の一般人はそれほど馬鹿ではない。中共がプロパガンダとして利用しているつもりの孔子こそ、暴虐国家にとって最強の毒になる。
今の大陸人がこのようなドラマを浴びるように観ているとすれば期待が持てます。人間性を取り戻した国で共産ファシズムは存在を続けられないのです。いずれ大陸の独裁は根底から骨抜きになり、崩れ去るでしょう。
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