超限戦は『孫子』の劣化版、生兵法【古典で読み解く現代中国】

超限戦は『孫子』の劣化版、生兵法【古典で読み解く現代中国】

「超限戦(ちょうげんせん。英語:Unrestricted warfare)」という言葉を最近よく目にするようになりました。

これは日本のSNSで使われるとき、現代の中国共産党による“目的のためなら手段を厭わない”・“ありとあらゆる汚い手を用いて奪い取る”といったルール無視の侵略戦法を指しています。

正確な意味は後述しますが、まるで古代中国『史記』やフィクション『三国志』で描かれているような騙し戦法なので、「やっぱり中国人は古代から汚かったのだ!」と民族ヘイトする人々の主張を強める要因となっています。
でも本当にそうなのでしょうか?

筆者には中国の行いが幼稚な古典模倣、中途半端な兵法という意味の「生兵法(なまびょうほう)」に見えます。中国共産党は古典を表面的に学び悪用しているだけです。

この記事ではまず、中国共産党がどのように古典を学び現代へ活かしているか、具体的な古典をご紹介して解説していきます。半端ではあっても彼等が模倣していることは確かなので、中国古典を学ぶことは現代で非常に役立つでしょう。

次に、どのような点が「生兵法」で古代人と異なるのか?といった根本のところをお話しします。

「生兵法は怪我のもと(なまびょうほう-は-けがのもと)」。

悪用した古典模倣では永遠勝利など得られないことを、まさにその古典が教えてくれるはずです。

 

「超限戦」とは何か?

最初に言葉の意味を正しく解説してみます。

超限戦という言葉を造ったとされる人々

「超限戦(ちょうげんせん)」とは、1999年に中国人民解放軍の現役将校によって執筆され出版された本※のタイトルです。21世紀の新しい戦い方を的確に表していると評価されており、世界的ベストセラーとなりました。

 

※『超限戦』 喬良 (著), 王湘穂 (著), 坂井 臣之助 (監修), Liu Ki (翻訳)  Amazon 

なお「超限戦」は昔からあった言葉ではなく、著者たちの造語とのこと。

意味としては、漢字圏の我々には読んでそのまま理解しやすい「限度を超えた戦争」のことです。

内容を要約すれば

「普通の国家は国際ルールや人道・常識といった“限度”に縛られ、外国に対してできることが限られているから不利だ。そのような“限度”を取り払い、テロリズムを駆使したり、メディアの買収や民間人を使うなどして手段を問わず外国を侵略する。このようなハイブリッド戦が21世紀の新しい戦争となる」

という話になります。

もっとかみ砕いて言うと

戦争は戦場だけで行われるものではない。ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる手段を用いて行われるものだ(=相手を屈服させるためにどんな手段でも使ってOK

ということです。

なるほど現代中国の「国際ルール無視」「目的のためなら手段を厭わず」な戦法は、全て『超限戦』というテキストのもとで行われているのですね。

アメリカ合衆国や日本への謀略も、まさに限度に縛られた不利な相手に対する『超限戦』として行われた。テキスト通り忠実に実行されたわけです。

ちなみにこの書籍は現役将校の身分にある者たちが公表したのですから、実質的に中国共産党の声を代弁したものだと言えます(現役将校が中共の意向に反する著書を出版すれば殺される)。つまり『超限戦』は、中国が世界へ向けて堂々と表明している国家戦略綱要だと言って良いでしょう。

こんな現実を「妄想」と呼ぶほうが妄想家

この通り中国の謀略は本人たちが公表している現実の作戦

米国や日本のメディアは「妄想!」「デマ!」「狂った陰謀論!」と叫んでいますが、これほど目の前にはっきり見えている現実を「妄想」と呼ぶ人々のほうが妄想家と言えるでしょう。

もし中共からお金をもらって「デマデマ」と叫んでいる人ではないのなら、脳の機能に問題が生じて幻覚を信じるようになってしまったのだと思います。病院へ連れて行きましょう。

【参考】中共の犯罪を打ち消すために、メディアやSNSで「デマデマ!」「陰謀論!」と叫んでいる人たちは概ねお金をもらっているプロパガンダ要員。たまにプロパガンダを鵜呑みにした信者もいる:

Qアノンと中国が同列の陰謀論!? 手法を覚えてプロパガンダを読み解く

 

“戦争は戦場だけで行われるものではない…” 実は古代からの真実です

『超限戦』の基礎となる戦争定義「戦争は戦場だけで行われるものではない」とは、現代中共だけの専売特許ではありません。古代からずっと、世界中の戦争における真実です。

実を言うと私も以前からずっとこの真実を叫んできました(ネット片隅にて小さい声でしたが)。「戦争」の定義を完全に誤解している日本人の皆さんを見て、非常に危機を覚えたからです。

例1.戦争とは何か

「戦争」とは、現実に戦闘が行われている期間だけのことを指すものではありません。それ以前や以降の政治活動も含めた、長期間を意味します。

例2.戦争が何であるか分かっていない日本人たち

諸葛亮に関する日本人の意見を眺めていると、ほとんどの三国志マニアが
「諸葛亮は晩年しか兵を率いていないので軍事シロウトだった」
「作戦らしい作戦を立てたことが一度もなかった」
と考えているようです。
日本人は、「戦場だけが戦争」だと頑なに信じ込んでいるのですね。

このような「戦争」定義の誤り、軍事に関する無知ぶりは国際的に見て非常な恥だし、インターネットや書籍で披露するのも大変危険です。……

どうか
(他国等と開戦し、紛争継続中の状況下において)「戦争」とは平時を含めた政治・外交など組織行為の全てを含む。戦場における戦闘は「戦争」の僅かな一部に過ぎない
という基礎だけでも理解していただきたいです。

私は『超限戦』を意識してこのように書いたわけではありません。

(筆者は『超限戦』を愛読する者ではありません)

ただ、古代から戦争の真実であるから述べてきたまでのことです。

昔は一般の人々の間で広く浸透していませんでしたし、今もまだ『三国志』など歴史フィクション好きの方には全く通じない話なのですが、実戦に携わる戦略家たちは古代から全員この真実を理解していたと思います。

クラウゼヴィッツの有名な言葉 「戦争は政治の延長」

「戦争は戦場以外でも行われる」……この戦争の定義は、現代世界の識者の間では常識となっています。

きっかけは19世紀、プロイセンの参謀学校長であったクラウゼヴィッツが『戦争論』で次のように述べたことです。

戦争は、他の手段をもって継続する政治の延長に過ぎない

『戦争論』

つまり、「戦争と政治は本質的に同じもの」という意味。このように述べて彼は、戦争と政治との境目は無いのだという真実を明かしました。

クラウゼヴィッツのこの言葉は

「戦争は政治の延長に過ぎないのだから、戦場で人を殺すことも政治と同じく気軽に行っていい」

という意味に曲解され軍事行動を拡大したと言われており、すこぶる評判が悪いです。

確かに、第二次世界大戦はクラウゼヴィッツの言葉を信奉した人々によって起こされ甚大な悲劇が歴史に刻まれました。

ですがクラウゼヴィッツは言葉足らずだっただけで、戦争の真実を正しく見抜いて表現していたと言えます。

「戦争は政治の延長」
を翻訳すれば
「政治は戦争のうち」
であるという意味になります。

これは、「戦争は戦闘行為の遥か前、平時の外交戦略・政治においてすでに始まっている」ということ。

これがクラウゼヴィッツの本当に言いたかったことでしょう。彼自身が冒頭で書いている通り『戦争論』はメモ書き。戦略家として現実戦争を体験した者が目の当たりにする、善悪抜きの真実を述べただけに過ぎません。

第二次大戦後に研究が進み、クラウゼヴィッツの言葉を冷静に理解する人々も増えました。今現在は「戦争」と言ったとき、クラウゼヴィッツの用語定義が世界の常識となっています。

――しかし。

古代中国ではその戦争定義は、すでに『孫子』によって明かされていたのです。

クラウゼヴィッツも孫子と同じ真実を見ていただけ

西欧に先立つこと2300年ほど昔、古代中国の孫子※は既に戦争の真実を文献に書き残していました。

※【孫子(そんし)】って?

「孫先生」という意味。軍事指南のテキスト書『孫子』そのものを指します。書いた人は孫武(そんぶ)または孫臏(そんびん)で説が分かれます。いずれ別記事で解説しますので、とりあえずここでは「軍事に長けた孫という名の先生が指南書を遺した」とだけ理解してください。

孫子は戦争の目的が「他国を屈服させ占領することであり人を殺すことではない」、とすでに理解していて

相手国を占領するためにはまず戦闘以外の手段で屈服させるのが最善。武力を用いた戦闘で敵の領地を攻めるのは最終手段の下策

と説いています。

正確な引用

百戦百勝は善の善なる物にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり。故に上兵は謀を伐つ、その次は交を伐つ、その次は兵を伐つ、その次は城を攻む、城を攻むるの法は、巳むを得さるがためなり

有名な「戦わずして勝つ」という言葉のもととなった考え方です。

このことは、逆から言えば、「現実の戦闘は外交・政治の延長(最終手段)」と言っていることになります。

同じ真実を見ていても、考え方が違えば結果が異なる

孫子とクラウゼヴィッツは同じ真実を見ていました。

しかし同じ真実を見ていても、考えの方向性(志向)によって結果が真逆となるのが人間です。

たとえば戦争の定義が広いことを明かしたクラウゼヴィッツの論は、敵国の全てを「軍事力」とみなします。このことは確かに真実なのですが、「民間人も兵士と同じ扱いをすべきである」という単純な解釈をしたために、絨毯爆撃や核ミサイル投下などで大勢の民間人が殺されてしまうという第一・第二次大戦の悲劇を招きました。

いっぽう、「武力行使は下策」と言った孫子の兵法は、局地戦を主とする現代戦に取り入れられています。アメリカもブッシュ政権時、イラク戦争の際に「ピンポイント爆撃」の拠り所として『孫子』を引用したことは有名です。私は“都合の良い引用”と感じましたが。
全面戦争の悲劇を経験し、決して使えない核ミサイルという歯止めに縛られる現代人は、古代人の兵法『孫子』を参考にせざるを得なくなったのでしょう。

 

『超限戦』は『孫子』の超々劣化版

さらに、同じ指南書を読んでいてもどの箇所にウエイトを置くかで実際の行動は変わります。

『孫子』であれば二つの側面から読むことができます。

孫子、二つの側面

孫子が指南しているのは

1.戦闘回避:相手も味方も殺さない。戦闘はなるべく行わないか、ごく一部に留める。消耗しない戦い方の推奨
2.謀略推進:政治、外交、人心掌握。あらゆる手段を用いた謀略(騙し打ち)を積極的に奨める

大きく分けて以上の二点です。

1の側面だけから見れば、『孫子』は人命第一の不戦主義にも見えます。
たとえば史実の諸葛亮などは『孫子』のうち、1側のみを取り入れていた者と言えるでしょう。(その代わり亮は2の謀略・奇策を排除したので、『孫子』の良い生徒ではなかったことは確か。そのため中国で史実孔明は「戦争下手」と非難されています)
アメリカの「ピンポイント爆撃は孫子兵法を参考にした」発言も、この視点から眺めた『孫子』を指していると思われます。

2の側面だけから見るならば、『孫子』は狡い戦い方を全面的に認め推奨している、詐欺師の親玉と思えるでしょう。
いわゆる「手段を厭わず」の狡猾な中国人のイメージは、『孫子』のうち2を鵜呑みにして実行した人々がモデルです。(なお、フィクション孔明にはそのような人々の行い全般が投影されているのですが、史実孔明は真逆であることは上で述べた通り。中国の『三國演義』などフィクションでは、史実がどうであれ『孫子』-2の奇策崇拝が投影されるようです)
「やらねばやられる」といった激しい争いが続いた戦国時代では、このような騙し討ちをしなければ生き抜くことができなかったのでしょう。

ところで、肝心の現代はどうか? というと。
現代中国共産党は特殊です。中国古典を活用しているように見えながら、根本のところで異質だと感じます。
中共はどうやら『孫子』のうち2の側面だけを過剰に重視したうえ、曲解・拡大解釈して用いているようです。

 

中国共産党が参考にしている『孫子』の言葉

『孫子』のうち、中共が偏愛していると思われるのはたとえば次のような言葉です。

兵は詭道なり

かみ砕いて言えば、「戦争は騙し合いである」という意味。

これこそ現代中国の『超限戦』根本理念でしょう。

正確な引用

兵は詭道なり。故に能なるも不能を示し、用なるも不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれを備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。

能力があっても無いようなふりをしたり…、利益で相手を誘い出し…、挑発して攪乱し…、卑屈になって相手を油断させ…、親しい者は離間させ…、虚を突いて無防備なところを攻める。

等々。

いかがでしょうか? まさに中国共産党が『超限戦』で説き、二十年数年間行ってきた謀略を表していますね。現に最近もアメリカ等の敵国に対して「攪乱」「買収」「離間(国内分断)」といった謀略、“シャドウ・ウォー”を実行したでしょう。

しかし中共は「詭道」を偏愛するあまり、曲解していると思われます。

彼等はどうやら『孫子』の言葉を単純に、「敵国を騙すのが戦争。だから騙して良い、騙せば勝てる」という意味に理解しているようです。
これはマルクス主義の「嘘を百回言えば真実になる」という教義と共通している(ように見える)ため、共産主義者として大変魅力的に感じたのでしょう。

だから中国共産党は堂々と嘘をつきます。嘘をつくことが正義だと本気で思っているので、自慢げでさえあります。

実際、孫子が述べたのは「戦争は力業で行ってはダメ。そのつど工夫しろ」ということです。現に中共が行っているような「雑な嘘を何度も叫ぶ力業をすれば、勝てる」(笑)などとは一言も言っていません。

ましてバレバレな嘘を脅迫によって押し付け、相手国の人々の心を踏みにじっては永久的に禍根を残すことになります。

人心を掌握できない無能を孫子は最も諫めています。(後述)

賛同されない手法で他人の土地を侵略するマルクス主義流のやり方は、『孫子』など東洋古典に照らせば下策中の下策なのです。

 

戦いは奇をもって勝つ

読んでそのまま。「戦争は(最終的に)奇策・奇襲で勝つ」という意味です。

正確な引用

およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ

昔から東洋人は奇策が好きですね。中国人だけではなく日本人も。

これは奇策で華々しく勝利する、『三国志』などのフィクション戦記に夢中になった記憶を持つからでしょうか?

そんな奇策をもてはやす文化の源は、この孫子の言葉にあるのでしょう。

嘘をついて人を騙すことが大好きなマルクス主義者は、自分たちの流儀を肯定されたと勘違いするのか、なおさらこの言葉を好きになり飛びつくようです。とにかく有利な立場を得たいという彼等の本能に響くらしい。だから現代の中国共産党は特にこの「奇策」、手段を厭わない騙し討ちを偏愛します。『超限戦』でもさまざまな奇策の手段が書かれているはず。

でもフィクション好きな皆様の、そして中国共産党の解釈は歪んでいると私には思えます。

要約で私が“(最終的に)”と付けたように、孫子は始めから奇策だけで勝利できると言っているわけではありません

対峙するときはあくまでも正道を守り、正攻法で戦うこと。正攻法と奇策とを戦況に応じてバランス良く用いること。こう述べています。ただし奇策を使うときは一気呵成に攻めて勝利せよ、と言っているわけです。

特に戦争初期に奇策を用いると手の内を明かすことになるので禁忌です。

【私の考え】軍事的な議論、奇策は是か非か?

手の内を明かすことを孫子は諫めましたので、当初から奇策一点張りの中国共産党の戦い方を褒めることは決してしないでしょう。

 

生兵法は怪我のもと

他にも中国共産党が『孫子』を半端な理解で歪めて用いているらしい痕跡はあるのですが、長くなるので今回はここまでとします。

さて、兵法を素人が半端な理解で用いることを「生兵法(なまびょうほう)」と呼びます。そんな半端な理解で兵法を用いると痛い目に遭うよ、と教えているのが「生兵法は怪我のもと」ということわざ。

冒頭に書いた通り、私には中共がこの自惚れた“生兵法”の状況にあると思えてなりません。

「心を攻める」の意味をはき違えている

根本的に中共が『孫子』の理解で誤っているのは、人心掌握に関する考え方です。

孫子は著書全編を通して人心掌握の大切さを説いています。「心を攻めよ」というのが『孫子』の肝です。

しかしまず重要となるのは、“人心掌握”の解釈。

“人心掌握術”とは現代人が思っているような

「本心では人々を大切に思っていないのに利用するため表面だけ取り繕い、騙し、脅してコントロールする」

ということを指すわけではないのです。

たとえば他者の領地を征服するとき、本気で相手国の人々に認められ受け入れられたうえでなければ入ってはならない。残虐な殺戮や拷問をするなどもってのほか。そのことは人道からも当たり前ですが、現実に脅迫で無理やり人を組み伏せても後で恨みが噴出して内乱が生じ、いずれ自分も殺されることになるからです。

孫子は、「本気で本心からの支持を得るべきである。そのためにはどうしたら良いか? 考えろ」と著書全編を通してずっと述べているように思います。

たとえば史実の劉備は計算ではなく信念のまま動いて人々の支持が集まりました。
今、不正に立ち向かうトランプ大統領も世界中でファンを増やして“本物の人心”を集めているように感じます。

ほんとうの“人心掌握”とは、この後者のリーダーたちのように計算ではなく人道にかなった行いをして、本物の支持を集めることを意味するのです。
孫子は「そんな本物の人心を掴むリーダーとなるためになるにはどうすべきか? どんなリーダーになれば良いか? 考えろ」と言っているわけです。

中共のような恐怖政治で、人心掌握は不可能

中共は恐怖で押さえつけ人々を黙らせたり、メディアを買収して大声で叫ばせることで「人心掌握できた!」と思っています。しかしそんなものは人心掌握ではありません。

ウイグル・チベットや香港の人々へやったように、逮捕・拷問・洗脳・殺戮という手法で人々を組み伏せて黙らせ「人心掌握した」と思っていても現実は違う。恐怖で押さえつけられた人々は声を上げられなくなるだけです。心の底では激しく根深い恨みを抱いています。つまり全く「心」を掌握できていない。

さらに中共の極悪非道な行いは外国からとことん軽蔑され、怒りを買い、 #天滅中共 #中国共産党は人類の敵 “CCP is the enemy of mankind” といった声が日々高まっています。

人心を掌握するどころか、結果は真逆となっています。

人心を無視したらどうなるのか……

では具体的に、人心を掌握できない国家・軍隊はどうなるでしょうか?

『孫子』でも『史記』でも古典の回答は同じ。
人心掌握できない者は、たとえ一時的・部分的勝利を得ても大反撃に遭って大敗する。(政権であれば短命に終わる)
となります。

おそらく中共は古典のこの根本部分を完全無視して、自分たちの価値観に遭った表面の言葉だけ模倣しています。
それは古典を悪用しているだけに過ぎません。

「生兵法」とはまさに、このようにテキストを浅く解釈して半端に模倣し、肝心のところを歪めて都合良く利用することを言います。

そんな生兵法がどのような結果を招くか? 古典により答えは出ています。

中共はいずれ、自分たちが踏みにじった人心によって包囲され転覆することになるでしょう。

 

中共員は東洋人ではなく「マルクス主義者」なのだと認識すべき

この通り古典と比較して詳しく観察すればお分かりの通り、中国共産党の行いは古典に従っているように見えても、実は相反することをしています。

何故に彼等が「人心掌握」の部分を曲解したり無視したりするのかと言うと、基本的に民を「影響力ゼロの虫ケラ」と考えているからです。
このような
人民=羊、奴隷
とみなすのはもともと一神教~マルクス主義の考え方であって、東洋思想によるものではありません。

(東洋は民の力を絶大なものと考えている。古代中国で「天意」とはほぼ「民意」のこと

結局、中共は中国人の振りをしているけれども、本質はどこまでもマルクス主義者に過ぎないということです。

マルクス主義に脳を侵された人は華人ではなくなります。まして古代人と等しい漢民族などであるはずがありません。
それどころか、人類の道義を失っているのだから「人でさえない」と言えます。

つまり中国共産党員は東洋の歴史から完全にはずれた、東洋から見て全く異質の宇宙人だと思うのが正しいでしょう。
その侵略者たちが東洋古典を勝手につまみ読みし、悪用して「自分たちは東洋思想の継承者だ!」と嘘を叫んでいる。許し難き蹂躙です。

東洋は早くこの侵略者を追い出して本来の思想を取り戻すべきです。

 

★業務連絡。Twitterから来たフォロワーさんへ:

Twitter、中国政府に不利となる言論の統制を強める

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