レビューとしての『超限戦』雑感メモ

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〔これは2021/8/10メモ帳で書いた記事です。当ブログへ移動。本文常体〕

以前書いた『超限戦』に関する当ブログ記事は、SNS等で囁かれているこの本についてのイメージ――「中国共産党の汚い謀略」「シャドウ・ウォー」「目的のためなら手段を選ばない」等々に寄り添った一般論だった。

この記事もレビューと言うよりは雑感に過ぎないのだが、とりあえず読書感想として書いている。

 

超限戦について当ブログ内で触れたメインの記事はこちら:

超限戦は『孫子』の劣化版、生兵法【古典で読み解く現代中国】

 

客観的に感想を述べれば、教養ある若い将校が現代の『孫子』になることを夢見て書いた戦術論といった感じ。

コラムや文学、哲学の要素もある。日本で言うところの“文系”の人は読み物として愉しめる本だと思う。

称賛すべき着眼点はたくさんあるのだが、若い印象がある。今さら「戦争は軍事領域に留まるものではない」と新しい哲学のごとく述べるのは、軍人としてちょっと恥ずかしい。一般人向けに「戦争は戦場だけで行われるのではないと心得よ」と説教するならともかく。古代から自明だったこの真理を、世界の軍人トップへ向けて提唱するのはどうかと思った。

また、“偏正(黄金法則)”なる必勝法則を提唱し始めた辺りから俄然、幼稚さが漂い始める。
必勝法を夢見る東洋人の悪い癖が出てしまった。古代人のほうがまし。『孫子』は一個の必勝法則など教えていないだろう?

陣形において、そこを突けば崩れるクリティカルな攻撃ポイントは確かにあると思う。陣形は物理なので。しかし戦場以外の全ての場面にその黄金比が当てはまるわけではない。まして戦争全体には当てはまらない。

もっと大切なことを忘れていないか。戦争は一戦場で終わるものではないことを。(この書籍のなかで著者は何度もそのように述べているうえに、「戦争に定理は無い、鵜呑みにするな」と言っている。そのわり著者たち自身は戦争を理解していないと思う)

「『論語』を半分理解しておけば最終勝利する」とは、嘘や妄想ではなく数量的・経済的な真理でもあるのだ。その真理は、戦争全体を把握しておかねばとうてい想像も及ばないはず。

韓信は天才的軍略家だったが、劉邦がいなければ最終勝利を得られていない。韓信だけなら戦闘で勝利したとしても百日天下で終わっていただろう。

東洋人はどうも韓信ばかり称えて、劉邦の存在に目を瞑る癖がある。森全体を俯瞰して大きな図を見ることができない。

ヒトラーが黄金法則でフランスに勝っても戦争では大敗北したことを忘れたか?  山本五十六も黄金法則ギャンブルで真珠湾攻撃を成功させたが、戦争では大大敗北で日本民族を絶滅寸前に追いやったことを忘れた? …
戦場の法則を見つけるより先に、“戦争に勝利するとはどういうことか”について哲学的核心を理解しなければならないのではないかな。でなければ孫子はもちろん、クラウゼヴィッツにもとうてい及ばない。

こんな東洋人に比べて自由主義圏の西洋人には戦争に関しても哲学があると感じる※。だから東洋人は自由主義の西洋人に敵対すると、最終勝利が難しい。

共産主義者の人の心を無視した力業、“頭隠して尻隠さず”の丸分かりな謀略が何を失わせているか自覚すべきだ。君たちは核ミサイルより強力な戦力を日々失っている。

※“哲学”とは決して“道徳的”という意味ではない。ここではあくまでも、全体を見て俯瞰的なストーリーを組み立てること。近年の左翼化した欧米はそんな哲学的能力も失いつつあるが。

 

【修正点】

・「中共の人の心を無視した力業~」を「共産主義者の」へ変更。

・最後の文「(欧米は)まだ中共よりはまし」と添えていた箇所をカット。

2022年4月現在、堂々と嘘をつき善悪反転、共産主義ディストピアを現実化し始めた欧米左翼の非人道な振る舞いを眺めての修正。現代コミンテルンである米国左翼は、中国共産党を上回る凶悪さ下劣さを披露していますね。しょせん中国共産党は、悪魔のマスター白人コミンテルンの下僕でしかないということ。

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