「法治」とは何か。法の適用とリーガルマインド ※一般向け、現代の雑談です

「法治」とは何か。法の適用とリーガルマインド ※一般向け、現代の雑談です

この記事は現代法学の雑談です。一般向けとして分かりやすい言葉で書いています。

これは現代の話として筆者が他所で書いていた記事なのですが、「諸葛亮(の時代の話)」と混同し、諸葛亮への批判として支離滅裂な罵倒を送って来られた方がいました。下記事参照。

読者様が何の話か理解できないと思うので、こちらへ転載しておきます。

【支離滅裂な批判とは】他者の言うなりが「人道主義」?? 赤ヘル氏の悪口メールに反応してみた

※2017年頃筆。本文常体、追記箇所のみ敬体。文章の読みやすさのため多少補足します。

 

東洋人の法律オンチぶり

先日、中国共産党政府が「自由・平等・公正・法治」という言葉を「トップによる法の濫用は自由」という意味のニュースピークとして作り変えたことを知り、アンチテーゼとしてこれを書きたくなった。

【別サイト参考】中国のプロパガンダがすごい

本来の意味での、
公正とは何か?
法治とは何か?

知恵袋の質問(以下に引用)で強く危機感を覚えたのだけど、東洋人には法律オンチが多く、何が「公正」で何が「法治」なのかよく分かっていない人が多い気がする。

このように法律オンチだからこそ共産国政府が「法治」というニュースピークを掲げたときに、“何かおかしい気がするけど、何がおかしいのか分からない”と首を傾げることになってしまい、人権侵害の独裁がまかり通ることになる。

数年前に日本で起きた「法的安定性(ホウテキアンテイセイ)」論争もそう。

政治家たちは(与党野党ともに)あまりにも法律オンチ過ぎて、憲法学者たちが何を言っているのか僅かも理解できないようだった。

誰もが政策に関する話と、法的解釈に関する話の区別さえもつかず、論点をごちゃごちゃにして話をしていた。

だから学者が「違憲の可能性」を指摘している最中に、横から見当違いの政策論争を投げつけるという愚を犯す。まるで幼稚園児の会議を見ているかのようだった、あの幼稚な話し合いが世界中に配信されたことを思うと心底恥ずかしい。

これは東洋が、長らく人治の土壌であったことの弊害なのか。

いっこうにリーガル・マインド(法的精神)が根付かない。「法治」が何であるのかが理解できていない。

知恵袋の質問引用

何故、日本人に諸葛亮孔明の人気があるのでしょうか?

何故、日本人に諸葛亮孔明の人気があるのでしょうか?

私は三国志が好きで何度も読んでいますが、諸葛亮孔明は好きになれません。

私が彼を好きになれない理由が3つあります。

1つ目は魏延に対する扱いです。彼が家臣になった時に反骨の相があるからと殺そうとします。そして、北伐の際には敵諸共焼き殺そうとします。最後には、自分の死後に魏延だけを敵中に孤立させるように指示します。さらに北伐の際に魏延の献策した子午道からの長安奇襲作戦も一蹴し、持久戦を取ったばかりに敗戦を重ねます。この魏延への対応はあまりにも酷く、彼が謀反を起こしたのも肯けます。

2つ目は彼の賞罰に対する曖昧さです。北伐で命令違反を犯して大敗した魏延に対しての対応でも、副官の陳式を処罰した不公平な裁きがありました。そして、法正が罪を犯した時も「法正は蜀に必要だから」と不問にしました。馬謖に対しては厳格さを見せましたが、あれは北伐失敗のスケープゴートなんじゃないかとさえ思えます。魏延を焼き殺すことに失敗した罪を馬岱に責任転嫁したことです。これは、正直、恐ろしかった。

他にも色々ありますが、孔明はどう考えても日本人受けするタイプではありません。それどころか、日本人からすれば、最も嫌悪されるべき人間だと思います。それなのに、人気があるのが不思議でなりません。その理由はなんでしょうか?教えてください。

/mor********さん 2013/1/611:54:48

例によって、曹操盲信カルト教幹部、kan********という孔子学院の卒業生が渡邉義浩のプロパガンダ捏造史を書き込んでいます。諸葛亮が完全無能だと必死で作り話しているのも狂気を感じるなあ(そんな完全無能で政治ができるわけがないし、古代中華の人々が論評するわけがない。完全無能な人物は中華圏において“無視”され話題にも上りませんよ。“殺戮狂の実績”がある独裁者は別で、その殺戮の事実を残すためだけに名が伝わりますがね)。

「孔明派」と争って劉備が勝った、などという話は妄想過ぎて意味不明。主人と臣下が地位を争うとはどういうこと??(当然に、孔明のその地位は劉備から賜ったわけですが)

まるでSF話ですね。しかし質問者のお仲間だから当然にベストアンサーとなっています。ここは異次元空間。陰でたくさんの草(ww)が揺れていますよ。しかしB層はここまでカルトな嘘でも信じてしまうのだろうか?

史書に則ったまともな回答のみ、ここに引用しておきます。kou********さんありがとうね。

kou********さん

2013/1/6 23:30

3つあると言いつつ2つ目までしかないのは置いておきます

まず、前提として三国志には「正史」と「演義」があります
正史は本物の歴史
演義は歴史を元にした歴史小説です
あなたの言っているエピソードはほとんどが演義だけのエピソード、つまり後世の後付創作です

後付創作なので、やりたい放題です
諸葛亮は何でもできるスーパー軍師になっています
例えば実際の歴史で魏延は反逆をします(実は反逆とは言い難いのですが、長くなるので割愛)
演義では諸葛亮が魏延の反逆を相当早い段階で見抜いて警戒していたというストーリーになっています

が、やりすぎたせいで逆に諸葛亮のせいで反逆したようになってしまってますね
特に焼き殺そうとした場面は魏延の人気がほとんどない本場中国ですら「諸葛亮の性格が悪すぎる」と受けが悪く、現在ではその部分がカットされた小説が主流のようです
そのためこのエピソードを知らない諸葛亮ファンも多いのではないでしょうか

ちなみに本当の歴史としての諸葛亮と魏延は、意見が対立することはあってもお互いの能力は認め合っていたようです

賞罰については諸葛亮は当時としてはトップクラスに公平でした
自分で自分を罰することもありました
これは演義でも正史でも同じはず
法正のような例外は、当時としてはよくあることで孫権や曹操も似たようなことをやっています

馬岱の件は勘違いか読んだ本の書き方が悪かったかです
実は馬岱の処罰は、魏延を欺くための演技でした
わざと彼を処罰して地位を落とし魏延の副官にすることで魏延の反逆を防ごうという策略です
蜀版苦肉の策であり、責任転嫁というわけではありません
ただ、このエピソードも魏延を焼き殺そうとしたエピソード同様カットされてるものが多いようです

諸葛亮の人気の一番の理由は、まあぶっちゃけ活躍の場が多いからでしょう
また、三国志の関連物はいくらでもあります
特に最近のものであれば、不要なエピソードは消して日本人受けするようなアレンジをしつつ主要人物の活躍はそのままなストーリーになったりします
そうなれば当然さらに人気が出ます

公平で忠義心が高く手広くなんでもやり当時の人々からの評価も高い
むしろ日本人受けする人物だと思います

2022年6月15日の余談

私が魏延の演義設定について知っているのは、この質問文で読んだアホ話だけです。魏延の演義版キャラクター設定などは全く知りません。

ところでこの質問文を赤ヘルと比較してください。全く同じ内容だと分かるでしょう? つまり左翼に台本が配られていて、彼らはその台本をコピペしてネットに誹謗中傷を書き込んでいるだけなのです。考えなくて良いお仕事を一生やり続ける。だからますます脳が退化して調教が重症化していくのでしょう、可哀そうに。

なお、「魏延が孔明に焼き殺されたエピソードは本場中国の小説でもカットされることが多く、ほとんどの人が知らない」そうだから、質問文を書き込んだ者は中国共産党(から受け継がれた日本左翼)の古い台本を使っていることが露呈していますね。赤ヘル時代のものかと。

「法治」とは何か

では、何が「法治」なのか?

具体例として上記、知恵袋の質問文をもとに書いてみる。

彼女の話はほとんどフィクションの妄想設定なのだけど、これだけ史実(陳寿の書いた文章)に基づくのかな。

そして、法正が罪を犯した時も「法正は蜀に必要だから」と不問にしました。馬謖に対しては厳格さを見せましたが、(……以下、妄想炸裂。笑)

法正の罪を不問? 何のことかよく分からなかったのだが、もしかしたら法正が行った私刑を「罪」と言っているのか。

(なんで当時の法律を知らないのに、勝手に「罪」と呼んでいるのかは不明。この質問者のリーガルマインドも法正レベル)

「法正、自分を中傷した者を勝手に処刑」
これは確かに、現代日本では許しがたい罪。
中国ではありがちで当たり前な人治主義だけどね……現代中国では日常の光景として見られることだろうな。

むしろ裴松之がこのことに
「家臣が賞罰権を握れば国家の基礎がゆらぎ、~諸葛氏の言い訳は政治と刑罰の在り方において当を失している」
と怒っているのが意外だった。この国の人にしてはめずらしく真っ当な意見。全くその通り、感心。

なお、諸葛亮が「法正は蜀に必要だから」という理由だけで罪を不問にするということは絶対にないと思う。申し訳ないがこの箇所の陳寿の文は嘘ではないだろうか? (『正史』は概ね正しいが、これは晋からの依頼で魏を正統とするために書かれた歴史書なので、蜀を貶める目的による嘘が一部に含まれている)

私刑は純粋に、法に照らして処罰することができないため、黙認するしかなかったのだと考えられる。
現代・民主主義国家なら処罰できるこのような職権濫用も、当時の法では処罰できなかった。(もちろん、後漢の法でも難しかったと思われる。皇帝判断、あるいは牧などの為政者判断でしか処分できなかったはず)

法律で明確に刑罰が定まっていない場合には、何人も裁くことはできない

特にこの当時、諸葛亮たちは入蜀したばかりで法整備もまだだったと思う。理論的に処罰不可能。そもそもその法整備自体が、諸葛亮一人ではなく法正とともに行ったもの。当然だが法正は自分が処罰されないと分かっていて職権濫用している

★さらに付け加えると、当時の諸葛亮には法正を裁く権限などありません。赤ヘルへの回答補足、史書からの引用をここにも転載しておきます。

法正の存命中に諸葛亮は法を執行する権限がなかった。裴松之の指摘、史書から引用。翻訳文は『正史 三國志5』ちくま学芸文庫より】

批判。考えてみるに、法正は劉主(備)より先に死亡した。ここで、法正が諫めたとあるからには、劉主の在世中の事柄だということになる。諸葛亮の職務は股肱ともいうべき補佐役であって、事は元首にあたる君主が決定すべきものである。また、劉主の時代に、諸葛亮は益州の牧を兼務しておらず、恩賞や刑罰は、彼から出てはいない。郭沖の述べている諸葛亮の答を検討してみると、彼自身がそういった権限を有しているようにいっているが、人臣がとるべき態度からはずれている。諸葛亮のつつましやかで忠義な生き方からみて、そんなことはありえないことである。…

いっぽうで馬謖の場合、明確に法律で定まった「上位の命令に背いてはならない」という軍法違反があった。
これに背いたことにより大勢の犠牲者を出したのだから、不問にすることは考えられない。
たくさんの兵士が死んだのに、諸葛亮が自分と親しい部下だからといって不問にしたら遺族はどう思うか? 兵士の親御さんは?

人ではない、予め定められた法によって裁くのだ。
それが法治。

ここでポイントは、
予め定められた
というところ。
法でまだ罪として定まっていないことは、法で罰することはできないという大原則がある。

これを、現代の法律用語では
罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)
という。

法を厳密に運用するなら殺人でさえ法律で罪と定まっていなければ、裁くことはできないのだよ。
誰がどう見ても罪だと感じていても、ただそれだけで法が罰することは不可能。

――この罪刑法定主義には批判があるのだけど、法に落ち度があって殺人者を死刑にすることができず、納得できない人がいるなら私刑するしかなくなる。だからなるべく落ち度がないよう作らなければならないというのが、立法者の義務。

法はコンピュータのプログラムに似て、定まったプログラムしか実行できない宿命なのだ。
でもこれが法というものの本質。

「法治」とは、そこまで厳格でなければならないもの。

それが東洋人には分からず自分の感情とごちゃ混ぜにしているので、西洋人から
「法律オンチ」
と呼ばれる。

法律オンチであるがために、たとえばC国K党が「党の指示に従う」という魔法の呪文を入れて人権侵害をしたときに抵抗できなくなる。
日本においても国が法文の解釈を奔放に行ったときに、見当違いの指摘しかできない。
恐ろしい状況だと思う。

「フレキシブル」「適宜に」という意味

もう一点、私がよく使う「フレキシブル」や「適宜に」の意味について。

たとえば私は「風水に中毒するのはダメ。ただし欲張り過ぎずインテリア趣味としてなら構わない」と考えている。
このフレキシブルさについて、
「恣意的なのでは? 風水がダメというなら全て禁じなきゃダメじゃん、嘘つき」
という批判が来るのだけど、そうではなくて実際、法の運用には「適宜」な幅がある。

(風水がカルマにどの程度影響するかなど、あの世の法については数量的に正確なことが分からないが、ここでは人間界の法に喩えて考えてみる)

たとえば
“風水のやり過ぎはいけない”
という法文があったときに、小さな行いから大きな行いまで禁じて一律の罰を科すのは不当になる。

もし、たいして影響のない改名まで「風水罪」で罰せられるとしたら、人の夢や楽しみを奪ってしまうだろう。
そのような不当さを俗語で「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」と言う。

法の運用は杓子定規に行うと結局は不公平となる。

だから同じ括りの罪であっても、
「この程度の行いは被害が軽いから、軽い罰で済まそう」
と裁判官は判断する。
この刑罰の量の判断が、
刑の量定(けいのりょうてい、量刑のこと)
というもの。

たとえばよく耳にする「執行猶予(しっこうゆうよ)」。
これは罪は罪なのだけど、一度目だから刑罰を執行するのを少し待って反省するかどうか見ようね、という判断。

これが、
「適宜に」
ということ。

決して自由奔放にその場で有罪無罪を定めることとは違う
あくまでも予め定められた罪と罰の範囲で、「適宜に」罰を決めるのが正しい法の運用と言える。

2022年呟き

読み返すと、ちゃんと誤解のないように「フレキシブル」「適宜に」の用語を解説していましたね。

赤ヘル氏はこの段へ来るともう文章読解できなくなって前段の記憶が飛び、最終的には単語以外ほとんど全て忘れてしまった様子(笑)です。それで、自分勝手な物語を創作して非難を送り付けてきたらしい。

赤ヘル氏も知恵袋で質問している方も、ミステリー小説などとても読めないだろうなあ。1ページ読み切る前に物語を忘れてしまうのだから。

補足。道徳と法治の関係

初めて法的な話に触れる方が必ず疑問に思うはずのことを書いておきます。

私はよく「人道に照らして間違っている」などという表現をします。

これは「道徳」の規準

もし私がこの道徳を最重視しているとするなら、
「法で統治するべきと主張するのは、おかしいのでは? (お前は人治派なのでは?)」
と思う人がいるでしょう。

東洋では、法治と道徳は対立するものだと考えられがちです。
おそらく東洋で長いこと人治が一般的だったのは、道徳基準だと人治でなければならないと信じられてきたからでしょう。

しかし本来、道徳と法治は同じもの。
と言うより、同じであることを目指さなければなりません

国民の人権を極端に制限する独裁国家でない限り、法律は人間が自然に持つ道徳観に沿って作られます。

このため理論上は道徳と法律が同じであるはずなのです。

もし、道徳と法律が対立するなら、それは法律が間違っていることになるので修正しなければなりません。

しかし修正されるまでの期間は、たとえ王様などの権力者でも法律を守らなければならない。
何故なら何らかの法律を破ることを許してしまうと、全ての法律を守らなくていいことになってしまうからです。
国民全員が誰も法律を守らなくなった時、社会秩序は乱れ、国家も崩壊してしまいます。

法が定められている限り、法に基づいて治めなければならない。

これが「法治」です。

なお、私は法治を貫くことも道徳の一部であると考えています。
社会の秩序と人々の安全を守ることは、間違いなく人としての道に適うからです。
それが、ソクラテスが命を投げうって教えたかったこと※なのではないかと考えています。

※古代ギリシャの哲学者ソクラテスは不当な民衆裁判で死刑の判決を受けた。弟子たちは彼に「不当な判決だから従わないで欲しい」と言ったが、ソクラテスは「法律は守らなければならない」と言って毒を飲んだ(死刑を受け入れた)。

これが「だめなものはだめ」の反映です

ここの段で書いていることが、赤ヘル氏への回答文で書いた「だめなものはだめ、という自然の道徳観は立法時に反映される」という話です。

赤ヘル氏はこの最終段になると、もはや話が難し過ぎて白目?でしたか(笑)。さすが虫脳。

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