「中華思想」の嘘を暴く。漢民族は恐怖の侵略民族だった!?
最近ネットで「中華思想」という言葉をよく見かけます。
「漢民族の思想である中華思想こそが、現在の中国共産党(=漢民族)の残虐性と侵略志向の根拠だ。漢民族は人類の敵、諸悪の根源だ」と声高に叫んでいる人たちがいるからです。でも、果たして本当にそうなのでしょうか?
【参考】Twitterで見かけた「中華思想ガ―」捏造史観をばらまく人々
ここでは根本的な誤解を解いて、「今・ここに在る現実の中国」を読み解くための歴史知識をご提供していきます。
今、中国共産党が周辺国の侵略を目論んでいることは事実です。でもその行動原理は本当は何であるのか、正しく見定めなければなりません。敵の正体を見誤れば敗北必至です。
Contents
基礎講座
「中華思想」の発祥、古代中国の歴史
まずは古代中国史の基礎知識から。超特急でかいつまんで書きますので、少しだけお付き合いください。
現在ネット上で言われている「中華思想」は中共が歪めて利用しているものなので混同しないよう注意すべきです。ただし、言葉としての源が古代の中国大陸にあることは確かです。
発祥は紀元前。石器時代の遥か昔です。
その当時、黄河流域の中央あたりに「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる地域がありました。
「中原」とは「中心地」というような呼び方で、時代が進み漢代以降になると覇権を象徴する用語にもなっています。現代日本で無理やり喩えるなら「霞が関」に近い表現でしょうか。(広さや正確性は無視して喩えていますので要注意)
その中原に最初に住み始めた人々が自分たちのことを「華夏(かか)」と呼んで誇ったのが中華思想の始まりとされます。
「華」とは大陸諸民族の中央を表し、自分たちが世界の中心だという意味の言葉。「夏」は盛んに栄えるの意味で、華をさらに美化するための修辞です。
中原の位置:
華夏族はやがて中国全土に散り、住み着いた土地でそれぞれ国を建てました。各国が覇権を争い、長い長い戦国時代が続いた後、全土を統一したのが秦の始皇帝です。
しかし秦は間もなく衰退し、再び内戦が始まります。戦争の末に勝利を治めたのが『項羽と劉邦』で有名な劉邦(りゅうほう)で、彼は自分の国を「漢」と名付けました。
※「漢」とは地名。劉邦が挙兵の拠点とした場所(漢中)のことです。古代中国王朝は始祖が拠点とした地名を国名とします。
漢王朝は紀元前206年~紀元後220年と約400年も続いたので、全土が交流し血統もミックスされ、漢代末期には言語もほぼ統一したと考えられます。そのため国民の間に「一つの民族」という意識が生まれて結束が強くなりました。
この漢の国民と子孫を表す呼称が「漢民族」なのですが、中国共産党は中国圏に住む人々や世界中の華僑を漠然と「漢民族」と呼んでいるようです。少数民族など、民族意識の高い人々以外はぜんぶ「漢民族」と定義する方針らしい。いかにも中共らしく適当ですね(笑)。
学術的には、古代「漢民族」と今「漢民族」と呼ばれている人々が同一かどうかは疑問視されています。私自身も、古代漢人と現代中国人は違う民族と感じています。なにしろ漢という古い時代の民族ですから、DNAも変質しているはずで文化も全く異質。今の中国人と同一民族と考えるほうがおかしいのです。……と、民族の話はまた後で書きます。
「中華思想」とはどんなものか
さて、では華夏族とその子孫である漢民族が主張した「中華思想」とは元々どんなものだったか?
先に豆知識としてお伝えしておきたいのは、「中華思想」と言っても中国人や台湾人など東アジアの人々に通じない場合があることです。
本来は「華夷(かい)思想」と呼びます。
華夷の夷は、「夷狄(いてき)」の夷。かつて中国中央から見た周辺の民族を、蔑んでこう呼んだものです。
実は日本でもこの蔑称は輸入されていて、「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」などは“夷狄=異民族を征伐するための将軍”という意味です。「南蛮(なんばん)」も中国で南方民族を蔑む蔑称が語源。さらに言えば、近代日本では中国を表す「支那」も一時期蔑称として使われたことがあります。
この通り日本人も含め、どこの民族でも自分たちを一番優れていると誇りたがり、他の民族を見下したがるもの。残念ながらこれは動物的本能と言えるでしょうか?
実はそのような差別は、コンプレックスの裏返しとも言えます。
華夏族や漢民族が、自分たちを世界の中心と考え、周辺の民族を見下したことは事実です。しかしそれは周辺民族と自分たちを区別するための保守的な意識。
大国として周辺の小国から貢物を受けていたことも史実ではあります。紀元前から建築・美術・学問において文明的に発展した漢民族が、「先進民族」としてのプライドを抱いたことも確かだと思います。
ただ、漢民族は長いこと国家を統一し保ち続けることに必死で、周辺の民族を侵略して従えることなどに関心がありませんでした。侵略を発想したこともないというのが当時の漢人の実像ではないでしょうか。
当時の漢人にインタビューしたらこう答えると思います。
「え? 異民族を侵略したいかって? 馬鹿かお前! なんで俺たち高潔な漢民族が、野蛮人を引き入れて養ってやらなければならないんだい。そのうち野蛮人の子が漢を闊歩するようになったらどうする?」
これも強がりの回答で内心には怯えがあります。日本人が外国人受け入れに消極的な心理とよく似ているでしょう。
(また別の機会に書きますが、実は現代日本人の性質・文化は古代漢人によく似ています。現代中国人よりよほど日本人のほうが漢人に近い)
単一民族の意識が強い国民は、外国移民を受け入れることによって自分の生活が脅かされ、血統が乱れて民族の純粋性が失われることを何よりも恐れるものです。
現実には、漢民族のほうが他民族からの侵略に怯えてきました。その怯える気持ちの裏返しとして、「俺たち漢人スゴイ!」と誇ったのだとも言えます。
――つまり、日本スゴイ! という言葉が当時の漢人たちの「華夷思想」を正確に翻訳していると言えます。語弊あるかもしれませんが。
今の日本人は侵略目的で「日本スゴイ!」と叫んでいるわけではありませんよね? 古代漢人も同じ。ただ「かつての自分たちは凄かった」というプライドを抱いて自分を鼓舞したかっただけ。
まとめれば、古代漢人の中華思想は決して「侵略のための思想」ではなかったということです。
実際は、漢民族のほうが異民族に侵略されてきた
目覚ましのためにもっと歴史の話をしておきます。
今、ネットで吹聴されている「漢民族の王朝は古来、異民族を侵略し続けてきた」との言説は大嘘! 実は漢民族のほうが、ずっと異民族の侵略を受ける側だったのです。
証拠は史実にあります。
漢代以降、中国王朝の移り変わりは下の通りです。年代は省き、国が乱立した時代は国名を略します。
後漢 → 三国時代 → 晋(五胡十六国)→ 南北朝 → 隋(五代十国)→ 唐 → 宋(金)→ 元 → 明 → 清 → 中華民国 → 中華人民共和国
このうち「金・元・清」が、他民族によって漢民族が侵略され支配された王朝です。唐の皇帝である李淵も漢民族を名乗ってはいましたが、実際は他民族だったとする説が有力です。その前に晋の衰退期には周辺の民族が流入して(五胡十六国時代)混血が進んでいますので、厳密に考えれば、三国時代以降の中国史大部分は漢民族以外の歴史だったと言えるでしょう。
漢民族の多くは異民族から侵略されたときに大虐殺されています。モンゴル帝国=元の虐殺の酷さは世界的にも有名です。漢民族はその後幾度も虐殺の憂き目に遭いました。
それなのにデータ上、1000年代以降の中華大陸は一気に人口が増えています。これは移民と混血がさらに進んだことを示しています。おそらく言語の分化はこの頃から進んだものと考えられます。漢代末期には全国共通の言語だったものが、やがて多民族国家となったために言語が分かれたのです。ですから現在、純粋な「漢民族」はほとんど生存しないか、残っていたとしても少数でしょう。
他民族侵略によって、漢文化も改変されました。髪型や服装のスタイルまで変更を余儀なくされています。たとえば日本で中国人のイメージとして真っ先に浮かぶ辮髪(弁髪。下図参照)も、清代に大陸を侵略して帝国を築いた女真族(=満州族)の髪型で、漢民族から見れば屈辱的な髪型です。
漢民族はもともと“髪に力が宿る”と考えており、男性でも髪を切ることはありません。「髪は女の命」と言いますが、漢代には「髪は漢(おとこ)の命」でもあったのです。髪を切ったり剃ったりすることは、死刑に並ぶ重い刑罰でもありました。それなのにここまで髪を剃られ、漢人から見て奇矯な髪型を強いられるということはさぞ屈辱であったでしょう……。その屈辱に耐えられず剃髪を拒否した者は、当たり前のように処刑されました。
その後、清代末期の歴史は皆さんご存知の通り。
アヘン汚染によって骨抜きにされた清は欧米列強に侵略され、中国人たちは「クーリー(苦力)」と呼ばれ売り買いされる奴隷の身分となりました。その後も日本帝国軍に侵略され統治されることになります。
この通り、漢民族・大陸の歴史とは被侵略と屈辱的な従属の歴史です。
……それでは改めて、「漢民族は侵略民族」と主張している人々へ問います。
ここまでの歴史のいったいどこに、「古来、異民族を侵略し続けてきた漢民族の王朝」がありましたか?? 笑
本当に最低な嘘つきたちです。年表を見れば一目瞭然、すぐバレる嘘を堂々とつくあたりさすが例の詐欺師集団だな! と呆れます。
まとめ
私は決して漢民族をかばうためにこのような記事を書いているわけではありません。漢民族を絶対善などと思っている者ではないからです。
古代の漢民族には高い精神性を持つ人が数多くいて、かつては優れた思想や文化がありました。しかしそれでも漢民族の全ての人が清廉だったわけではなく、なかには始皇帝や曹操など人民を虐殺した残虐な支配者もいたわけです(追記:正確に言えば始皇帝は漢民族ではありませんが)。他、細かな歴史を眺めていけば残虐な漢民族は数多く見つかるでしょう。
ただ、どこの民族にも残虐な人は必ずいます。他民族も同じ。残虐性と侵略志向だけで比較するなら、他民族のほうが漢民族に圧勝するはずです。特にモンゴル民族の元は世界で最も広い地域を侵略した大帝国であり、侵略志向では堂々一位を獲得できます。しかしだからと言ってモンゴル民族だけが世界で唯一残虐な人々だというわけではありません、もちろん。
こうして見てくれば、中共の残虐性と侵略志向が「漢民族の性質による」とする主張は嘘だと分かるはずです。
漢民族の「華夷思想」が侵略のために唱えられた主義だという話は、さらに明白な嘘です。
「漢民族は古来、異民族を侵略してきた」という言説をまき散らすのは、あまりにも酷い。歴史を逆転させた大嘘です。嘘をつくにも程というものがあります。
その嘘が重大な犯罪から目を逸らさせ、真犯人を逃がすためのものだとすれば皆様が危険です。
今、東アジアは中共・共産侵略の危機にさらされています。嘘を鵜呑みにし架空の「漢民族」をヘイトするのはやめて、正しい歴史を知り、すでに自国の中に住んでいる真の敵を知るべきです。
“獅子身中の虫”。身近な敵の正体こそを見極めましょう。
(参考)この記事を書いたきっかけのツイート
現代中国人は「大中華主義(華夷思想)」を刷り込まれて育ったが、現実には漢民族が他国を支配して帝国を築いたことはなかった。
— Kei@復帰(@kei20152) November 20, 2019
※大帝国を築いたのはモンゴル族。漢民族は常に被支配層だった。
このため現代中国人はリベンジ欲が異常に強くて、中共に操られている。
スレッド続き
@kei20152(筆者)・2019年11月21日:思うに、「大中華主義(華夷思想)」を拠り所にしている現代中国人も、「大中華主義」を敵視している民族主義者たちも、等しく華夷思想という架空ファンタジーに翻弄されている。
どちらも中共の嘘に騙されてコントロールされているのだ。
これこそ共産の欺瞞だということに気付かない。愚かだな。
KitamiHibiki ( ╹⋏╹)@KitamiHibiki·2019年11月25日:現代中国人のリベンジ欲は殆ど共産主義教育による西方国家(帝国主義)に向けたものです、歴史の関連部分は近代以降になる、つまり階級闘争史観によるものです、元などによる外族支配は割と中国人は気にしていない
@kei20152·2019年11月25日:
>外族支配は割と中国人は気にしていない確かに。現代中国人はさすがに元などへリベンジを抱いていないでしょう。
むしろ今の中共は元帝国を「我が中国の偉業」と呼び、一帯一路の根拠としているくらい。それはモンゴルだろ(笑)と言いたくなります。>階級闘争史観
これが核心だと私も思います。
おそらく日本人・香港人・大陸人までも現代人の多くは「共産主義」を理解していません。
だから中共も民族主義に話をすり替え、人民の自負心を煽っているように思います。(実際の目的は共産による東亜支配)周辺国の人々はそのまま中共の言葉を鵜呑みにし、「中華民族」を憎む現状があります。
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