三国志ジャンルで本当に価値あるサイト 『歴史の読み物』さん記事、感想

三国志ジャンルで本当に価値あるサイト 『歴史の読み物』さん記事、感想

(中級者向、常体)

日本の三国志ジャンルは腐っている。眺めていると絶望感が増していくばかりだから、良いサイトも閲覧していこう。昨日のBingにて「諸葛亮+性格」で検索したところ、トップに掲げられていたのは良質な歴史サイトさんだった。救われた。

 

昨日の検索結果

2020/7/25 Bing:

上は画像です。リンクはこちら↓
諸葛亮孔明 漢王朝の復興を目指し、魏に戦いを挑んだ蜀の宰相 /『歴史の読み物』さん

仮名を振ってあり読みやすいのだけど、内容は『正史』中心で硬派だから本当の初心者には難しいかもしれない。
スマホユーザーは「漢字多い!」「難しそう!」と感じて即バック…しそうなサイトではある。
でも日本のインターネットにはめずらしい、誠実で真面目な歴史サイトさんだ。
中級者以上にはお奨め。

…私も勉強させていただきます。浅学ですから。はい。

Kindleで書籍も出されているらしい。サイトからの転載ではなく新たに文を書いているとのことで、頭が下がる。

⇒『正史に基づく三国志 蜀志篇』をkindle storeにて販売開始しました

どうしようもなく低レベルな歴史捏造を生業とする学者が『三国志』ジャンルの重鎮などと呼ばれ権益を貪っている日本の状況下、このような本物マニアの方が歴史本を出されていることを頼もしく思う。

現代日本では本物の学者は市井にしかいない。
そしてGoogleも同じ状況。
このように良質なページが、Googleでトップを取ることは不可能に近い

※前はうちの記事も『歴史の読み物』さんの記事もGoogleで1ページ目に表示されていたのだが、今は圏外。工作員からの苦情に応じて下げてしまうのだろう。それで今、上位には嘘つきキュレーションサイトのゴミページばかり並んでいる。
(Bingも同じことをしているらしい。実は先日までBingにて、うちの記事がトップに表示されたのだが圏外へ追いやられた。YouTubeで垢BANするような工作が行われたらしい。上サイトさんも狙われるだろうからリンクで応援している)
検索会社は金のために人道を裏切り、このように低品質で役に立たない記事ばかり並ぶ検索システムを造って、ユーザーがいつまでもついてくると思っているのか?

「諸葛亮孔明」の紹介記事 引用と感想

せっかくだから上の記事について感想を書かせていただく。
以前も引用したことがあるが、その時とは少し文章を変えられたらしい。
今回は長めに引用してちゃんと感想を書かせていただきます。

まず、記事タイトルで“諸葛亮孔明”と名・字をフル表記されているのはフィクションのマニア向けに分かりやすく、だろう。

前半は『正史』通り。
『正史』も正しいとは限らないのだが、上の記事はあくまでも「正史の紹介」として書かれているのだからこれで良いと思う。

少しだけ内容を抜粋。

裴松之の意見について

裴松之の意見を引用して「諸葛亮はどうして何もしていなかったのか」と問われているが、 皆同じ疑問を持つらしいな。永遠の謎?笑
謎となっている理由は、諸葛亮の性根が「変わり者」であるという事実が一般に浸透していないから(遠目には常識人に見えるらしい)。彼の本当の性格は『正史』にもどこにも書いていないから仕方がない。

 漢王朝が崩れ、姦臣が権力を奪うのなら、世に隠れて生涯を過ごすことになったとしてもかまわないと、あるいはそのような諦念すら抱いていたかもしれません。
それが才能に自信を持ちながらも、隠者の暮らしをするという屈折した行動に、表れているように思われます。

諦念と言うか、始めから佞臣たちと仲良しゴッコする気は無かったと思うね。
汚れた水の中では一秒も棲めないタイプ。

ただそれよりも「志は一つではない」、つまり出仕して地位・名誉を得ることだけが人生ではないという考えのほうが強かった。と思う。

あと何度も書くが自信は特に無かったと思うな。
「自分で自分の個性を認める」という意味での自信ならあっても、他者と競争して勝つという意味での自信は。
そもそも変わり者は他人軸では生きられない。生きようとも思わない。他者など視界に入っていない。それは「自分は雑魚とは違う」という自惚れとはまた違って、ほんとうにただ他者が視界に入って来ないだけである。
(私もそうだが)この種の変人タイプに悪気はない。

私の考え:『出世だけが成功? 志って、何だろう。裴松之の怒りが理解できなかった 』

三顧礼

(劉備は)まだ会ってもいない諸葛亮をそこまで見込んでいたということになりますが、司馬徽と徐庶が薦めるのであれば、という思いがあったのでしょう。

『正史』だとそういうことになりますね。
でも現実には樊城で会っていた。劉備は自分の目で見たもの、自分で聴いたものしか信じない人だった。自分の鋭い感性に徹底した自信を持っていた人。そして一度確信したものには、ブレることは決して無かった。

……以下、長いのでまた別の機会に感想を書くとして、最後だけ引用させていただく。

司馬炎の評価

司馬炎の評価。これは私は知らなかった。 (史料で読んでも目に入らなかったのかも)

蜀の高官だった樊建は、滅亡後は晋に仕え、皇帝である司馬炎と、諸葛亮について話をしたことがありました。
司馬炎が、諸葛亮の統治の様子を質問をすると、樊建は「自分の悪い点を知らされれば必ず改め、過ちをそのままにすることはありませんでした。
そして賞罰に対する誠実さは、神明を感動させるに足りるほどでした」と答えます。
司馬炎がこれを聞くと「よきかな。わしがこの人を手に入れ、補佐をさせていたならば、今日の苦労はなかっただろう」と述べました。

なるほど……。
陳寿の評価文は、(太字箇所)樊建の言葉の引用だったか。

蜀に居て、彼を直接に知っている人からの言葉なのだから事実なのだろうし、「身近な人たちにこう思われていた」と知れば諸葛亮も嬉しいのでは?

具体的に過ちを指摘されたなら、反省して改善していく。※
賞罰も法に従って正当に。
それは当たり前のことなのだが、多くの人は地位が高くなってくると難しくなるのかもしれない。
人類の歴史を眺めていると、真の法治が実現した例のあまりの少なさに落胆する。現代はさらに酷い。

※改善:具体的に指摘、がポイント。“性格を直せ”、“正論を言うな”などの大雑把な批判は改善しようにもできないし、誹謗中傷でしかない意見は無視でOK/著名人の方々は、自分を直接に知りもしない一般人の意見全てに向き合って自殺する必要はない

陳寿評について

同じページから、

諸葛亮は、特に蜀においては完全無欠の人であったかのように扱われ、このために諸葛亮の欠点を指摘した陳寿は、私怨があったから諸葛亮を中傷したのだ、と言われるようになってしまったのです。

そうね。
今でも芸能人のファンによるアンチ叩きがある。そういう行き過ぎたファン行動は良くない。

いっぽうで諸葛亮には生前からアンチ(政治的な目的での反対派)がいたことも確かだが、何度も書くように陳寿の評価は正当で客観的であり、私怨によるものではないと断言できる。

諸葛亮が人並み外れた英傑だったのは確かですが、魏を攻撃して成功しきれなかったのは事実であり、その原因が、前線において機略を駆使し、敵を翻弄するのが得意ではなかったところにあったとするのは、的確な指摘だと言えます。

私もそう思う。
まず奇策というのはタブーだ。さらに彼の性格タイプとしても「機略」は無理だったでしょう。
その前に「人を殺すのは可能な限り避けたい」という、軍人としては致命的な欠陥があった……。ファンの気持ちを踏みにじることを述べて申し訳ないが、「諸葛亮は戦争をしたくなかった」というのが真相だったと思える。

先日、私の上司が『三国志TK』というドラマを観終わったのだが、初心者とは思えない鋭いことを言っていて驚愕した。

司馬仲達も諸葛孔明も、戦争したくないのに仕事だから仕方なくって感じだったな! あの二人は敵でもライバル同士でもなくて、実は仲良かったんでは??

うん、おそらくご名答と思うよ。笑
お友達というわけではないがお互いに認めていたところはある、はず。
何故か普通に手紙のやり取りもしていて、司馬懿は諸葛亮を褒めるような好意的な文章を書いているし。

我が上司ながら素晴らしい眼力と思う。フィクションドラマ、しかも初めてでよくここまで見抜ける。
もしかしたら『TK』を創った中国本土の監督さんが凄いのかもしれないが、長年『演義』由来のフィクションに触れてきたマニアさんたちはむしろ先入観が強くて見抜けないことかもしれない。

何故、末永く称賛されてきたのか

同じページから引用。最後に運営者さんの意見。

 一方において、魏への攻撃が成功しなかったのは、諸葛亮個人だけの責任とも言い切れず、蜀という国の規模が小さく、十分な軍事力と人材が得られにくかったことに、その根本の原因があったことにも、留意すべきだと思われます。

そうねえ……。国力差 十対一。
仕方ないと言えば仕方ないのだが、その差を招いたのも長期・国家戦略で目標達成できなかった諸葛亮の責任と言えなくもない。
まあ一個人だけで何もかもやることは無理だったとは言え。

そもそも勝てる見込みのない戦闘で、それは誰よりも軍事プロである諸葛亮が分かっていたことだ。
全て、「空城の計」だ。

ところで、諸葛亮はその卓越した能力が称賛されることが多いのですが、ただ優れているだけの人物であれば、長い歴史の中では、数多く存在しており、特別に珍しいわけではありません。
諸葛亮がその中で際立ち、高い名声を得たのは、劉備の志を受け継ぎ、その死後にも忠誠を尽くして劉禅を守り、漢の復興という大義のために、自らの全てを捧げ尽くした誠実な態度にこそ、その要因があるのだと思われます。
そのあたりが、諸葛亮が人々から特別な敬愛を受け、晋の時代においても、称賛された理由となったのでしょう。
諸葛亮のたたずまいには、時代を超えて人の心を打つものがあるようです。

……この人の文章が、心を打つ。

「能力じゃないよ。人柄だ」
と言ってしまうことは、本人(とファン)に対する慰めと受け取られがち。アンチは嘲笑するだろう。

でも諸葛亮に限っては「人柄」でしかない、のだろうな、やはり。
能力だけだとしたら1800年の評価にとうてい釣り合わない。

私が「亮の人柄」に関して言及すると失笑されるだろうが、 直接に彼を知っている人々の評価を記録文で見ても、政敵以外の人々に好かれていたことは確かのようだ。

人柄を認めることは諸葛亮に対しても単なる慰めとは言えない。
魂を救う最高の称賛として響くはず。

最後に

良い文を読ませていただいた。感謝。
愚かな人々による歴史捏造に触れて蓄積された不快感情が流される。
先方のサイト様には、心のオアシスとして末永く存在していただきたい。

〔『歴史の読み物』サイト運営者様へ〕
もし当方がリンクしてご迷惑がかかるようならURL撤去しますのでご連絡ください

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