「劉備が一国一城の主になれたほんとうの理由」…劉備は自信家という話

「劉備が一国一城の主になれたほんとうの理由」…劉備は自信家という話

〔昔書いた記事の移動〕

『蜀通信』というタイトルであるのに三国志雑談が少なくてすみません。これから(21/6/3)増やしていきます。

私にとって三国志の話題は疲れるものでして、心のエネルギーが充分ではないと見られないのです。それで意識的に避けてもいます。

ところが……。
本日ヤフーニュースを眺めていて、気になったニュースがあったのでクリックしようとしたら、記事タイトルにぎょっとしました。
※大津事件の下のタイトル。画像です。クリックしても記事へは飛びません

頼む、現代ニュースの中に紛れさせないでくれ!

1800年前と現代がごちゃ混ぜとは。
なんて時代でしょうか。疲れます。

少し前は自分から探しに行かなければ目に触れることは決してなかったジャンルだったというのに。
最近どうも古代が現代へ漏れ出してきているような気がします。
境界が溶解し、現実が私の個人的世界を浸食していったように、古代が現代を浸食していくような気が。

――個人的な愚痴でした、すみません。

 

劉備について、守屋氏の正当な評価

肝心の記事と感想。

記事はこちら ⇒劉備が「一国一城の主」になれたほんとうの理由~漢中争奪戦でみせた真の実力

劉備について守屋氏の意見を引用:

戦にはからきし弱いが、その素晴らしい人柄に関羽や張飛のような豪傑が魅せられ、つき従っているというイメージですが、現実には、戦はおそらくそれなりに強かったのではないかと筆者は考えます。

妥当。感謝。

この知らせを聞いた曹操は、みずからが兵を率いて長安を出発し、大挙して漢中を目指しました。劉備は「曹操が来る」という情報に、こんな見通しを述べます。

「曹操がやって来たとて、何ができよう。漢中は、ぜったいわしの手から離れはせん」

そう、この台詞(史実の記録)はカッコイイでしょう。
と言うか現実の劉備はわりといつも、この通り自信満々。だから周りは大変。笑

この漢中の戦い、ドラマでは劉備が特異的に強くなった印象を受ける場面ですが、おそらくこれが彼の実力だったのです。

そうなのか……特異的に強くなった感なのか。知らなかった。
史実しか知らない身としては、意外です。

では、なぜ彼は弱く見えてしまうのか。それは傭兵隊の隊長は、自分が参加した戦の敗勢が濃いと見るや、とにかくさっさと逃げて虎の子の軍勢を損耗しないようにするからなのです。現代でいえば、個人のコンサルタントが、傾いたクライアント企業からさっさと逃げて、自分に傷がつかないようにするのと同じことです。

うーん……。(ノーコメント。笑)
コンサルタントと言うより、偉大な社長の処世術でしょう。社員が第一という。

他に、略奪などの悪さはしていないという話。
冒頭から多めに引用しておきます。

先日、ある勉強会で、ベンチャー企業の社長さんからこんな質問を受けました。
「大将に一番必要な能力って、中国史的には何になるんですか」
さすが、現役社長はいきなり核心をつくような質問をしてくるなあ、と思いつつ、筆者はこう答えました。
「それは、時代によって変わってくると思いますが、たとえば有名な『三国志』の時代であれば、『部下を食わせること』になるんでしょうね」
おそらく「勇気」とか「智謀」といった答えを予想していた社長さんは、驚きながら、
「部下を食わせることですか?」
と聞き返してきました。
「そうなんです。『三国志』の時代は、地球が寒冷化してしまって食糧難の時代。だから、まず部下をきちんと食わせられる大将じゃないと、軍隊が瓦解しちゃうんですね」
「じゃあ劉備とかも、人徳があるとか言われてますけど、本当は略奪とかしまくった悪い人なんですか」
「劉備は、今でいえば金などで動く傭兵部隊の隊長と考えればわかりやすいです。実際、陶謙、袁紹、曹操等と、やたら仕える主を変えていますよね。基本的に雇主から何かしら支給を受けていたりもしたので、他の英雄に比べればそんなに酷いことはしていなかったんじゃないでしょうか」

よく小説やドラマなどでは、劉備は「徳の人」という設定になっています。戦にはからきし弱いが、その素晴らしい人柄に関羽や張飛のような豪傑が魅せられ、つき従っているというイメージですが、現実には、戦はおそらくそれなりに強かったのではないかと筆者は考えます。実際、曹操や夏侯淵(かこうえん)といった武将と戦火を交えた219年の漢中争奪戦では、次のような目覚ましい働きをしているのです。

意外にも守屋氏が劉備に対して真っ当な評価をしてくれたので、少し元気が出ました。感謝です。

孔明についての意見。智謀って何だろう

追記。

上記事で気になったところを引用。見て見ぬ振りをしようとしたのだけど、ついでだから雑談してみます。

しかし、そうして虎の子の部下を守り、食べさせ続けたことで、ある日、官僚組織を作り得る智謀を備えた諸葛孔明とその仲間に出会い、彼は一国一城の主にまでなっていったのです。

>官僚組織を作り得る智謀を備えた諸葛孔明とその仲間に出会い

「その仲間」って誰??
龐統のことか。彼は亮の姻族・親戚であって「仲間」という表現は違う気がします。

若い頃の諸葛亮は自ら仲間など求めなかったはず。
友はいたが、なるべく深い関わりを持たないように距離を保っていました。それを「仲間」とは言い難いでしょう。
だから私は、諸葛亮のほうが「劉備とその仲間たちに出会った」と思っているのだけど、守屋氏は何を思ってこういう表現をされているのでしょうか?

それと「智謀を備えた諸葛孔明」が引っ掛かりますね……。
やはり守屋氏もフィクションのイメージに引きずられている気がするのは、気のせいでしょうか。

昔から思っていたが、「智」って何なのでしょう?
史実の諸葛亮を表す言葉としてこれほどかけ離れた表現はないと思います。

謀略などの能力のことだとすれば、史実の諸葛亮に「智謀」はあまりないはず。
おそらく教養という意味の「知性」はあったのでしょうが。

無論、仕事上に必要であれば「謀略」的なことも担ったでしょう。当然に。
(これは私もそうだから分かるのだが)やろうと思えばできる、つまり頭のスイッチを切り替えれば実務モードに入ることができる人は、「謀略が皆無」というわけではありません。
仕事ではリアリストなので決して夢だけを見ている人間ではないと言えます。

ただ道義を通したいという本能には背けないタイプでした。
だから「智謀の人」と言うよりは「知性タイプ」、ダサい「道徳教官」や「思想家」と呼んだほうが正しいのではという気がします。思想家としてのレベルはともかく。

孔明の性格分類は道義に縛られるINTP知性タイプ:

「三国志(正史)でMBTI」、参考に考えてみた

前も書いたと思いますが、『三国志』のフィクション劉備に投影されている道徳観は、ほんとうは諸葛亮のものだった可能性が高いです。陳寿が幼い頃に肌で感じていた同時代の著名人としての、諸葛亮のイメージ。
もしかしたらフィクションの劉備と諸葛亮を入れ替えて考えると本質が近いかもしれません。惰弱キャラなのは「よく泣く」ほうの諸葛亮なわけです。

まあ、私には未だに彼のことがよく分からないのですが。
幾つになっても人間は自分のことが分からない。それと同じで、自分とよく似たタイプのことは本当には分かりません。
(もちろんある程度、固定化されて動かせない「分かっている自分の姿(性質)」というものがあって、それを認めることが「分をわきまえる」ということなのですが)

結局のところ最も諸葛亮を貶めることを書いているのは私だったりするのでしょうか。
いつものことですが、フィクション孔明ファンの方々ごめんなさい。

〔2019/2/20筆〕

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