他者の言うなりが「人道主義」?? 赤ヘル氏の悪口メールに反応してみた

他者の言うなりが「人道主義」?? 赤ヘル氏の悪口メールに反応してみた

〔2024/4/14 解説不足を追記〕

5/23「赤眉」と名乗る方からメールが届いていました。

挨拶なし、冒頭から嫌味を書き連ねた敵対的な内容だったせいか、メール運営会社のAIが自動で迷惑メールフォルダに振り分けていたようです。このため開封が遅くなりました。

内容から推測するに、どうやら左翼の方からの攻撃メールらしい。攻撃と言ってもそれほど暴力的な言葉を使っているわけではありませんが、捻じ曲がった嫌味を書き連ねて人格否定・脅迫している点が悪質です。

無視しようかなと思ったものの、滅多に本物左翼の方が攻撃メールなど送って来ることはありませんので(足がつくから?)、左翼文の見本として置いておきます。

なお筆者の文は一応は返信形式で書きますが、返信のつもりではなくあくまでも雑談としての「反応」です。相手はこちらを人間として扱っておらず存在無視、話をする気はゼロですので、私のほうも同じ態度で書きます。

 

☆超長文です。メール主は筆者についての悪口を書いていますが、どうやら本心では諸葛亮への憎悪をぶつけたいだけのようです。歴史の話が中心となります、お付き合いいただける方のみどうぞ。

 

赤眉こと、赤ヘル氏より非礼な独白メール

ではメールを引用しながら反応していきます。

先に全文引用しておきましょう。読者様には意味不明なところが多いと思いますが、後で可能な限り解読していますのでご参照ください。主語が散らかりすぎた文であるため私にも意味不明なところはご了承を。

[投稿日時] 2022年05月23日 14時39分37秒 お名前 : 赤眉  メールアドレス : ***513@fanclub.pm

■必ずご同意ください

メール文が一部または全文公開される場合があることに同意します

■メッセージ

王莽陛下、質問があります。人の話を聞かない、融通の効かない人物が果たして人道に即していると言えるのでしょうか。道理にかなっているのでしょうか。 私はそうは思いません。

ところで、「天意は民意なり」という類の思想を持つ人間が、どうして周囲の人間の言葉すら聞かず、自分好みの「真理」を奉ずるのでしょうか。
それでも良いというのは、人道に、道理に背くことであることと同義だと私は思います。

また、この人物は民を慈しむことを重視する傍、その民のほとんどは(本来の)道徳を持っていないと断定しています。 私はこの人物を独善的な父権主義者という言葉をもってでしか表現できません。人を対等な目で見ようとする気が全く感じられないからです。

この人物は「正当に評価されていない」という悩みを抱えています。人の話を聞かず、融通が効かず、人を対等に思わない人物は正当に評価されるでしょうか。

最初の質問に対し、大善は非情に見えるというような回答が予想されます。しかしそう思うのならば、自分が正当に評価されないと不平を垂れるべきではないと私は思います。

また私は、一神教をこの人物が忌むべきものであるとしているのに対し、善悪二元論だけは輸入していることを疑問に思っています。先に言っておきますが、ゾロアスター教は一神教的な側面が存在します。

さらに私は、この人物の道徳教師としてのありように不満を持っています。別に教師であろうとすること事態に異議はありませんが、過去世で教え導こうとした結果が馬謖であったことをもう少し考えるべきだと思います。

時折「だめなものはだめ」と言いますが、この人物は自分からその言葉を時折翻している節があります。私はこれをダブルスタンダード、都合の良い考えでしかないと思います。例えば、法正の職権濫用について「法律で明確に刑罰が定まっていない場合には、何人も裁くことはできない。」としていますが、漢王朝の臣下を自称していたのですから、後漢の法で裁けば良いのではないでしょうか。いくら漢が麻痺していようが、丞相が曹操だろうが、悪法だろうが法は法なはずです。それこそ「だめなものはだめ」なのではないのですか?

少々傷つけるようなことになってしまうかもしれませんが、私はこの人物は確かに天道の虫であると思います。ところで、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉はご存知であると思いますが、この人物はよく地獄の虫という言葉を使います。

最後に、魏延(演義)、王莽、張献忠についてどう思いますか?三人目の人物に関しては特に閲覧注意であり、無回答でも結構です。

 

本人が見ていた場合のためお知らせ:リアクションするのは一回限りです。なお、「過ぎたるは及ばざるが如し」は殺害も匂わせる脅迫文と私は受け取りました。さらなる脅迫行為およびネット上での誹謗中傷書き込みがあった場合、遠慮なく警察へ通報させていただきます。

「赤眉」とは「赤ヘル」のこと

まず冒頭から解読。

[投稿日時] 2022年05月23日 14時39分37秒 お名前 : 赤眉  メールアドレス : ***513@fanclub.pm

■必ずご同意ください

メール文が一部または全文公開される場合があることに同意します

メールアドレスは捨てアドです。後で指摘しますがこのメールは殺害予告と判断できる脅迫文を含みますので、捨てアドでなければならなかったのでしょう。この時点で犯罪者だと自ら名乗っています。

「赤眉」とはつまり「赤ヘル※」の喩えですね? かなりお年を召された左翼の方とお見受けしました。長年の学生運動に飽きもせずまだ他人に嫌がらせをするテロを続けている。お疲れなことでしょう。

それにしても民衆革命集団・赤眉を自称するとは! なるほど、自分たちごく一部の共産主義者だけを「民衆」だと信じてやまない方々らしい自称。さすが傲慢でらっしゃる。

【参考図】共産主義者が使う「民」「民衆」とは共産主義者だけのこと、「民主主義」とは自分たち共産主義者が支配する奴隷社会のことです。一般とは正反対の意味で用語を使っていますので注意。

 

しかし、支配権力を奪い他の人々を奴隷として虐げる目的で暴力テロを起こす左翼(用語定義;ここでは共産社会主義者のこと)は「民衆」のうちには入りませんよ。他人の生命を貪るカルト思想信者は、民衆として数えられないどころか民の敵、人類の敵です。

(少なくとも左翼は国家を否定しているため“国民”ではない。このため左翼を「民」に数えるべきではない)

※用語解説【赤ヘル】

そのむかし、日本で共産主義革命を目指した学生たちの運動が起きたとき、共産主義の学生たちは団結を示すため赤いヘルメットを被りました。ここから学生運動の参加者たちのことを総称で「赤ヘル」と呼ぶようになりました。「赤ヘル」が侮蔑のニュアンスを含むのは、彼ら彼女らがリンチや破壊などの過激な行為に及んだからです。実際に凄惨なリンチ殺人事件も起きています。参照⇒山岳ベース事件

続いて本文。

■メッセージ

王莽陛下、質問があります。…

初メールでいきなり冒頭文から挨拶なしの非礼。メール相手を人間扱いしない、傲慢極まる態度ですね。こういう態度こそが誰の目から見ても「上から目線」と呼ばれるもの。

「王莽陛下」とは誰に対して問いかけているのですか? おそらく、左翼が憎悪する伝統復古の儒教至上だった王莽に筆者をなぞらえて嫌味を言っているのでしょうが。曲がりなりにも人に送るメールで独白、気持ちが悪いですよ。

民族差別の意味ではなくイデオロギー属性として、はっきりと“お里が知れる”非礼です。

左翼の方は、やはり「初交流の人間には自分が何者か名乗って挨拶する」という人間として最低限の道理まで放棄してしまったのだなと分かる典型例だと思いました。まさにこの態度こそ「ならんものはならん」と言えます。各所で引用させていただきたい非人間の標本です。

 

対話する気がない左翼が自分を棚上げ「人の話を聞かない」

人の話を聞かない、融通の効かない人物が果たして人道に即していると言えるのでしょうか。道理にかなっているのでしょうか。 私はそうは思いません。

挨拶もせず、相手を人間扱いせず、対話する気ゼロのあなたが自分を棚上げして「お前は人の話を聞かない」となじるとは呆れます。どこまで自己中心なのか。

そもそもあなた方のほうこそ外部の意見には一切耳を傾けない独善主義集団でしょうに……。全員、いつも自分たちは棚上げで、支離滅裂な意見を押し付けて他人ばかり責めていますよね。

「俺は他人の意見を絶対に聞かないが、他人が俺の意見を聞かないのは許さん」って、ジャイアンか。いや曹操、と呼んであげたほうが嬉しいですか?

アベガーと同じ攻撃点を使いまわし

先に引っかかった点を指摘しておくと。

妙に「人の話を聞かない」というところばかりにこだわって攻撃して来られる。どうやらそこを攻撃点と見て、徹底的に批判すれば筆者の(または諸葛亮の)全人格を否定できる※と思っているらしい。

それにしても「お前は人の話聞かない!」とは、かつてアベガー大合唱の頃もよく耳にしたような台詞で少々懐かしく思いました。台本に従う癖がある故にワンパターンになってしまうのですかねえ。人間性を失われただけではなく、ご自分で考える能力も失われている。

※【一点を拡大して全否定】

左翼と詐欺師がよく使う手です。否定したい対象の欠点(に思わせることが可能そうなウィークポイント)を極大まで誇張、徹底攻撃し、対象の全てを否定できたかのように見せかける詭弁。最近の実例として源義経人気の否定、「トランプ支持者は全員、頭おかしいQアノン」とのレッテル貼りで全否定等。

「人道主義」は「言うなりになる」こと??

では根本的な話へ。

どうやらあなた方は「人道主義」という一般用語※の定義を大きく間違えているご様子。

人道主義って、「唯々諾々と他者の言うなりになって奴隷になる、犯罪者にでも融通を利かせてやる」という意味でしたっけ? 一般の認識とは大きくかけ離れていますが。

(最近ご来訪の方へ解説:私はブログで常々、「犯罪者の不当な意見には耳を貸さない」と言っています。そのような私の態度を責めるということは、「犯罪者の意見も取り入れろ、犯罪者にも融通利かせろ」と仰っていることだと解釈するのが論理的。実際にこの人々は相手がただ意見を聞いて参考にするだけでは許さず、自分たちの我がままが通らなければ「人の意見を聞かない悪人!!」と責め立てて実行を強要します。左翼にとっては自分たちの完全なる操り人形だけが「人道主義者」であるらしいです)

他者の操り人形になることと人道主義は全くイコールではありませんよ。

現に、一部の暴力主義者の意見を聞き入れて、非人道な殺戮を行っている者はたくさんいるでしょうに。イデオロギーの言うなりになって大量殺戮を続けた共産主義者たちこそ、「他者の意見の奴隷」として最たる見本。その行いのどこが人道に適っているのですか?

たとえばヒトラーも大勢の意見に左右された操り人形でした。ということは、あなた方の定義だと「ヒトラーこそが最高の人道主義者だ」ということになりますよね?

おそらくスターリンも、毛沢東も、習近平も「民」を騙る少数者の意見を取り入れて殺戮を続けたのでしょう。

まさか、他者の意見に左右され殺戮マシーンとなった共産主義者のほうが、「人道主義」で「道理にかなっている」のだとでも? 私はそうは思いません…笑。人類のほとんどはそうは思わないでしょう。だから共産主義者のような、思考を失って何かの言うなりになっている者たちは“人類の敵”と呼ばれるのですよ。

 

※【人道主義とは】

当ブログ内の中華~日本の記事で使っている「人道主義」は、あくまでも古代中華の「人道天道にかなうこと」との意味、または現代の日本語における一般用語の意味(人命人身を大切に思う気持ち、慈悲心等)です。西洋哲学狭義/反キリスト・神を殺しての人間優位という意味でのHumanismとは異なります。

ただしメール主の話から分かる通り、共産主義者の使う「人道主義」は後者の意味だけに限定されるようです。

なお後者のHumanismは無神論から無政府主義、社会主義、共産主義等へと発展し、人民殺戮などの暴力へ繋がりました。人道主義を掲げながら人間への目を覆いたくなる暴力を愉しむ、これこそ左翼の二重思考。

このようにHumanism(人道主義)は危険をはらむ用語であるから、当ブログでも撤去することにやぶさかではありません。→その後、一部削除しました

本来の意味での「天意」「人道主義」:

劉備たちはリアルタイムで超絶人気だった『パリピ孔明』第10話冒頭は史実

主語が二転三転で意味不明

ところであなたのメール文は全体に主語が示す対象が不明瞭なため、意味不明な文となっています。

特に冒頭文には主語がありませんから誰のことを言っているのか分かりませんね。筆者のこと? それとも、当ブログで諸葛亮を「人道主義(人命第一)」と紹介したことに反論しているのですか??

筆者のことでしたら、「人の話を聞かない」とは何をもってそう断じているのやら。会ったこともないくせに。まさか自虐や謙遜を鵜呑みにしたのでしょうか?

確かに私自身はブログ等で自分の性格を「マイペース」だと申告しています。しかし実はマイペースなりに人の意見を参考にして考えていますし、かなり際どい嫌がらせメールにも応答していますよ。一般では「危ないタイプ」と呼ばれ普通はスルーされる相手にまで返答してしまう癖もある。そのため頻繁にストーカー被害に遭っているほどです。

現に、あなたのような非礼極まる中傷メールさえ読んでいることが、耳を傾ける努力をしていることの何よりの証拠となるでしょう。

ただそれでもマイペースだと自己申告しているのは、「私は自分で最善を選ぶ人間であり他者の言うなりでは動きませんよ」という意味です。脅迫にも応じませんこと予めお断りしておきます。

たとえば人命や文化を害する目的を持つ暴力主義者たちの、理不尽な意見にまで左右される必要はないと思っていますし、左右されるべきではないと思います。

私は国家の為政者などではありませんが、零細ブログ主であっても自分の意見を持つべきであり、他者の意見の奴隷となるべきではないと考えています。

これは実は誰でも同じ。SNS等でも何も発信していない個人の方であっても、メディアや多数意見(に見せかけた声の大きい少数者)に左右されるだけの無思考ロボットとなって欲しくないですね。

上に挙げた例のように、自分の考えを持たず他者の意見に操作される人こそが殺戮者となるんですよ。

 

「天意は民意」を左翼のためのポピュリズムだと曲解

 ところで、「天意は民意なり」という類の思想を持つ人間が、どうして周囲の人間の言葉すら聞かず、自分好みの「真理」を奉ずるのでしょうか。
それでも良いというのは、人道に、道理に背くことであることと同義だと私は思います。

「天意は民意なり」の意味も取り違えてらっしゃる。それは左翼のためのポピュリズムのことではない。中国共産党がその意味で孔子ドラマを造らせたなら許しがたい思想レイプです。

前も他で書いたのですが、左翼の方は文脈理解力がかなり低めらしいので改めて説明すると。国家運営を任されることは、民を主とする委任契約のようなものだと考えるべきです。受益の権利はあくまでも依頼した本人たる民にありますが、受任者は依頼主の我がままに左右される奴隷となってはなりません。我がままに応じるだけでは結果、本人の利益を害するからです。

為政者が左翼の我がままに応じる奴隷となれば殺戮国家となり国家崩壊するでしょう? 現在の共産中国がそうなっているように。

だから受任者は奴隷となるのではなく、主体的に委任者(事務を依頼した者。ここでは国家国民)のため最善を尽くすのが委任事務のありかた。それでも依頼主から否と言われたなら、他の者に交代する。これが「天意は民意」の実践的な意味です。

現代でよく行われる、プロパガンダでばらまかれた左翼の意見だけに唯々諾々と従うことが「天意は民意」なのではありません。何度も言いますが、民を害する一部の暴力主義者の意見が「民意」ということには絶対ならないのですよ。

他人の真理については「自分好みの真理」と断じる独善

それにしても私がいつ「周囲の人間の言葉すら聞かず、自分好みの真理を奉ずる」ことをしたのでしょうか? 周囲の人間の言葉は聞いていますよ。

「左翼の真理」を受け入れなかったことについてご不満を述べているのか。私の身近に左翼などいないので謎の批判ですが、それこそ完全なる独善主義ですよねえ。

あなた方こそ、民意に一切耳を傾けず自分たち好みの「真理」だけ奉じてきたでしょうに。

そのごく少数の者によるイデオロギー的な「真理」のためにジェノサイドすることこそ、人道に、道理に叛く行いだと私は思います。

おそらく多くの方も同意見でしょう。殺人思想であることが実証されている共産主義など、左翼団体に属する信者以外が信奉することはありませんよ。現実を歪めてばかりいないで、不正が無かった場合の「民意」を受け入れたらどうですか?

殺人思想である実証:

共産主義者は世界中で何をしてきたのか?【共産主義虐殺リスト】

 

現代日本人を私が「為政者として慈しむべき」はおかしい

また、この人物は民を慈しむことを重視する傍、その民のほとんどは(本来の)道徳を持っていないと断定しています。 私はこの人物を独善的な父権主義者という言葉をもってでしか表現できません。人を対等な目で見ようとする気が全く感じられないからです。

ここで、“この人物は”と呼んで中傷しているのは誰?? また意味不明ですね。文章崩壊しています。

直後の文「道徳を持っていないと断定している」から筆者のことだと推測しましたので、筆者との前提で話しますね。

「その民のほとんどは(本来の)道徳を持っていないと断定」?? あらら。また勝手な曲解で歴史捏造している。いったい私がどこでそんな断定をしましたか。

私は、「古代中華の民の多くは道徳を奉じ・凄まじい道義心を持っていた」と思っていますし現にさんざん述べてきました。現代の華人にも古代人が蘇ったかのような道徳心の塊のような人を見かけたと、よく報告しているでしょう。戦前の日本人も同様に、素晴らしい道徳心を持っていた民度高い人々だったと思っていますよ。

ただ確かに、

現代日本人の多くは義が何であるか理解していない。太平洋戦後の日本人は左翼教育のせいで道徳が破壊された

とは書きましたし、思っていますね。

でもそれのどこが上から目線の父権主義なのか? 理解に苦しみます。私は“民”の一人として、対等な立場の日本国民について意見しているだけですが。日本の友人たちが今のまま、左翼教育を鵜呑みにして義(道徳)を失ったままでは、外国人から軽蔑され国家としても衰退するいっぽう。「このままではいけない、左翼を学校から追い出して教育の立て直しをすべきだ」という憂国者としての意見を述べているだけです。

そもそも私は日本の為政者ではありませんので(笑)、日本国民は私が慈しむ“民”ではありませんよ。何を勘違いなさっているのでしょうか。もちろん一国民としてこの国の先行きを非常に心配していますが、「慈しむ」という感覚とは少し違うと思います。だって対等なのですから

したがって「父権主義者」とは完全に。どちらかと言えば下からの意見。それなのに、自分勝手に「お前は上から目線に見えるからそうだ」と断じるとは、意味不明な濡れ衣です。あなたのほうがよほど上から目線で偉そうですよ。

ただまあ、「父権主義」も、あなた方左翼が憎むほどの悪※ではありませんが。

※【「父権主義ガー」のお題目】

解説不足を追記。「父権主義ガー」も昨今の極左集団が掲げる攻撃点です。「このお題目を唱えるように」と命令されて一斉にさえずっています。(俗に「カフチョーセー」と嘲笑されている)

外部リンク参照:【多様性だぁ】フェミニストの鳴き声

“父権主義”の支配を憎悪するわりに上から下達された台本の言うなりで題目をさえずる全体主義ロボットなのです。矛盾していますね。

それに赤ヘル氏のようなお年寄りが「父」を憎むとは滑稽です。まだ二十歳の若者のつもりか。永遠の反抗期を患っているのでしょうか? 恥ずかしい。年下に甘えるなよ。

「父権主義」を憎悪するのは左翼の脊髄反射でしょう。家庭を崩壊させることで社会も崩壊させるのが目的、なのでしたっけ。それはもはやカビの生えた共産革命手法と思います。それなのにまだしつこくフェミニズムや家庭否定・婚姻制度反対の主張を叫んでいることに呆れます。

残念ながらほとんどの人には父親や家族・家庭を憎む気持ちなどありません。あなた方のように、親の内臓を引きずり出して食べたいとは思わないのが正常な人間です。同性愛などマイノリティーと呼ばれる人々への差別心も、あなた方が言うほど現実には存在しません(日本など多神教の国では)。

ご自分が左翼村の価値観でカルトな非人間の主張をされていることご自覚ないのですか? そのように人類の価値観とズレたことばかり言っているから、左翼党は年々議席を減らして滅亡必至なのでしょう。

正当に評価されない… そんな悩みは持ちませんが?

この人物は「正当に評価されていない」という悩みを抱えています。

人の話を聞かず、融通が効かず、人を対等に思わない人物は正当に評価されるでしょうか。

はあ? また主語の対象が変わったようで、さらに意味不明。

ここでの“この人物”は、前後の文脈から推測するに諸葛亮のことを言っていますか?

だとすれば、「悩みを抱えている」とは見当違いも甚だしいですね。悩み、ではなく激しい憤りですよ。あなた方の行っている史実改ざんという犯罪に対する。

正当な評価云々の遥か以前の問題、史実を改ざんするなよこの歴史修正主義者ども。ということです。

どうせあなた方は諸葛亮憎しで歪みきった悪口を叫ぶだけ、初めから史実を見て公平な話をする気が全くない。その結論ありきの完全不公平さ、おぞましい犯罪について許せないと思っているのです。まるで中国共産党。ソヴィエト、ナチス、以下同文。

これは諸葛亮に限らずです。あなた方の都合で実行された歴史修正工作の全てについて憤りを覚えます。歴史修正・文化破壊は人類に対する罪。もちろん現在生きている人たちへの殺戮など暴力行為も含め、左翼は明白に人類の敵です。

筆者のことだった場合

…念のためここの主語が筆者についてだった場合について回答しておきますと、「正当に評価されないこと」に対してなど悩んでいないのでご心配なく。笑

高い地位や名誉は特に持たないという、プライベートの現状報告をしているだけに過ぎません。

「大善は非情に見える」? それ、左翼が自己弁護でよく言うやつ

最初の質問に対し、大善は非情に見えるというような回答が予想されます。しかしそう思うのならば、自分が正当に評価されないと不平を垂れるべきではないと私は思います。

ちょっと何を仰っているのか分かりませんが(笑)、最初の質問「人道主義」との用語については定義が大間違いだと回答しましたよ。

「大善は非情に見える」「そう思うのならば、自分が正当に評価されないと不平を垂れるべきではない」

そのような台詞は曹操か始皇帝、その信者たちへ言ってください。

あなた方こそ自分が崇拝する虐殺王たちの“非情な大善”が評価されないことに不平を垂れ、歴史を反転させてまで虐殺行為を称えているではないですか?

そう言えば「大善は非情に見える」とは、左翼がよく使う言い訳ですね。自分たちのジェノサイドを正当化するために。

あなた方が崇拝する虐殺王は史実こんな人:

曹操ってどんな人?〔後編〕 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

始皇帝は実際どんな人だった?『キングダム』で作り変えられた嬴政の実像

善悪は東洋にも存在する概念

また私は、一神教をこの人物が忌むべきものであるとしているのに対し、善悪二元論だけは輸入していることを疑問に思っています。先に言っておきますが、ゾロアスター教は一神教的な側面が存在します。

ああ、はいはい。この手の「善悪否定」目的の詭弁は、あなた方の大好物でしたよね。

「善悪」という一般用語の使用を封じることで話すことを不可能とさせる手法。結果、善悪を消滅させたことになる(と思い込んでいる)。この手を使って世界中で「悪」とされる殺戮などを行い、善良な人々の声を潰してきましたよね?

これぞ共産主義ニュースピークですよねえ。言葉を奪うことで、人民から思考能力を奪う。善悪破壊のうえ、反転させて歴史を自分たちに都合良く改ざんする。

このような左翼を喜ばせる議論に相手するのは面倒だし、閲覧される方にも有害だから無視しようかと思ったのですが、一点だけ突っ込みを入れておくと。

善悪という概念は一神教だけの専売特許ではありません。近代になって西洋一神教から「輸入」された概念でもありませんよ。普通に東洋でも昔からある、良い・悪いというほどの道徳概念です(ちなみに、「道徳」とは東洋の言葉です)。そもそも「善悪」も漢語(笑)。似た二元論で、陰陽も東洋の概念。ただし東洋では一神の独善が前提ではないため、西洋のような神VS悪魔の絶対的対立構造とはなり得ません。自然に近い考え方。

と、言うか赤ヘル氏は中華史に詳しい振りをされていますが、「善悪」が古代中華にもあった概念だとすらご存じなかったとは。結局は、台本で与えられた諸葛亮の悪口くらいしか知識をお持ちではないようですね。その知識も怪しいものです。

なお私は一神教についてその支配・奴隷化システムたる構造、および使用目的を批判していますが、ゾロアスターなど民間信仰における天国と地獄の根本概念から否定しているわけではありません。

あなた方のような唯物主義の善悪否定論者、「言葉を奪う」「歴史改ざんする」などの犯罪を行う者たちを見ていると、悪魔というものは現実にいるのかもしれないと思えてきます。キリスト教徒の信じる悪魔という生物はいないと思いますが、蛮行を積み重ねて癖になっている魂は存在しますね。正確ではないにしろ、天界と地獄界のイメージはある程度(デフォルメされた)宇宙の真実を反映しているのでしょう。

地上だけに限定すれば、善を追及する人々と悪を求める人々の二方向の性質が存在することは事実です。両方併せ持つことのほうが圧倒で多いので、どこかできれいに線引きされるということはありませんが。

さすがに共産主義者たちが行っている殺戮・レイプ・拷問・人民の肉体精神の完全支配・歴史改ざん等々は、悪の極みにあるため明白に「悪行」だと言えるでしょう。

「道徳教師のありように不満」…イミフな嫉妬

さらに私は、この人物の道徳教師としてのありように不満を持っています。別に教師であろうとすること事態に異議はありませんが、過去世で教え導こうとした結果が馬謖であったことをもう少し考えるべきだと思います。

うーん? 意味不明。

ここでは、“この人物”が指している対象が完全に不明瞭ですね。

「道徳教師としてのありように不満」とは筆者のことですか? それとも諸葛亮について??

わざわざ馬謖について持ち出し嫌味を言うということは諸葛亮のことを指しているみたいに読めますが……。どうして整理がつかずに主語対象を二転三転されるのか? 整理整頓がとことん苦手なタイプなのですか。

(仕方なく対象不明瞭なまま話をします)

まあ、諸葛亮にしても、私にしても「道徳教師」になろうとしたことは一度もありませんよ。

諸葛亮について歴史事実を言えば、自ら積極的に道徳教師を名乗った記録はありません。ただ後世、そのように扱われたという事実があるだけのことです。その評価は諸葛亮本人的には不本意だったはずで、それこそ馬謖の件で「自分には道徳教師たる資格などない」と言うでしょう。

ただ、本人が後世の過剰な評について否定するならともかく。赤の他人(文字通り)であるあなた方が、「不満」と述べるのは勝手で理不尽な嫉妬です。ましてこの1800年間、死者として完全に抵抗を封じられており自らの評価に反論することが不可能だった諸葛亮本人が、後世評について責められる謂れはありません。自分が書いた文ではあるまいし。

それでも「ありようが悪い」などと言って、自分たちが勝手に抱いたイメージについて責めるのはもはや妄想が行き過ぎて狂っています。病院へGO。

そもそも現在生きていない歴史人物へ「不満だ」とか言って責めを書き込んでいること自体、「頭おかしいんじゃないの?」と言われる行為ですよ。実際にそのようなファン(を装った左翼)はネット上に散見され、真の歴史ファンから物笑いにされていますがね。

「先生」と呼ぶのは他者です

ついでだから述べておきますと、筆者についても同様です。

現在のネットでの活動内容のために「先生」扱いしてくださるのは他者。当たり前のことですが自分から教師を名乗ったことは一度もありませんし、むしろ「先生と呼ぶのはやめてください」と長年言ってきました。ただ、無下に断るのも傷付けてしまう恐れがあり、あまり強く言えません。「先生と呼ぶのやめろ!」とキレるのも頭おかしいでしょう。(たまにそういう人を見かけますが、そこまでキレなくてもと思います。怒られた人が可哀そう)

いっぽう「先生」との呼称と似ていますが、少し異なる「イメージとしての道徳教師扱い」について。

私は今、生きているので自分に対する評価には抵抗してきたつもりです。それでも他者イメージは変え難かった。だから最近では諦めて道徳教師のイメージでも受け入れようか、と言っています。

「道徳教師」は、左翼のせいで現代では「悪」というイメージに転換されているため、あなたのように悪口として「お前は道徳教師だー!許せん!!」と攻撃してくる人がほとんどですが。それでも、不利な他者イメージを受け入れようと言っているのですよ。

そんな話をプライベート雑談として書いたことがありますが、まさかその話を「自ら道徳教師を名乗っている」と曲解するとはね……。どれだけ批判のために現実を捻じ曲げる脳なのか。

だいたい、あなた方が私に「道徳教師」というレッテルを貼り悪役に吊るし上げたから、その悪役を受け入れてやろうか? と言っているのに。すると今度は「道徳教師然としている!不満だ」と嫉妬する。

どっちにしても責めるのが前提なだけ。本当に悪魔の手先なのですね。

罪刑法定主義など、要勉強かと

時折「だめなものはだめ」と言いますが、この人物は自分からその言葉を時折翻している節があります。私はこれをダブルスタンダード、都合の良い考えでしかないと思います。例えば、法正の職権濫用について「法律で明確に刑罰が定まっていない場合には、何人も裁くことはできない。」としていますが、漢王朝の臣下を自称していたのですから、後漢の法で裁けば良いのではないでしょうか。いくら漢が麻痺していようが、丞相が曹操だろうが、悪法だろうが法は法なはずです。それこそ「だめなものはだめ」なのではないのですか?

失笑。

ダブルスタンダードなのではなく、一定の主義を貫いているのです。罪刑法定主義という。

とりあえず「罪刑法定主義」という法律用語を勉強してください。これは一般常識レベルの知識だと思います。

あなたが法学部出身者や法律関係者でないことを願いますね。もし無知な素人でないならば、この法を軽んじる考え方を心底軽蔑します。

法で明確に定まっていない罪の刑罰は下してはならない、これは法の運用に関する犯してはならない重大ルールです。このルールを無視すると法の存在意義が根底から崩れ、法システムが意味をなさなくなります。

(異論はなきにしもあらず。まさに法正が潜り抜けたような穴を防ぐため、成文法で定めずに人治や慣習法で緩やかに裁く主義の国もあります。ただ私は、それでは法治国家とは言い難い大規模なヒューマンエラー※が発生するのではないかと思い反対です。おそらく諸葛亮も同意見だったはず)

もちろん「罪刑法定」は現代法学の概念であり、私自身も漢代の習慣と混同している部分があったことは否定しません。ただ、諸葛亮の史実に照らして考えると、現代法学とそう遠くない考えを持っていたと思いますよ。

亮は秦国と同じ意味での法家ではなく儒家寄りですが、法家の思想は当然に学んでおり、「法的安定性」の面では尊重しようとしていたふしがあります。信義誠実の原則(信義則と略されます。現代法律用語ですが、この用語そのものは儒教です)に照らしても、法的安定性は重要なものです。

【法的安定性と左翼のダブルスタンダード】

この「諸葛亮は法正を裁かなかったから法に背くダブルスタンダードだ!」との攻撃点も左翼集団のなかで回されている台本です。彼らは知識なくただ台本通りコピーペーストで語っているだけ。メール文すら自分の考えで書けないとは可哀そうですね。

他人を「お前はダブルスタンダードだ!」と責めてばかりいる左翼ですが、自分は5秒ごとに前言を翻し息を吐くように嘘をつき、恥じることなくダブルスタンダードを披露し続けていることは皆様ご存じの通りです。

たとえばここで話題に出た「法的安定性」について、2015年に安倍元首相が安保関連法案で法解釈を広げたとき、左翼たちはしきりに「安倍は法的安定性を守れ!」と言って“アベガー”吊るし上げ運動をしていました。(私は個人的な考えから、安倍元首相のあの恣意解釈には反対していました。改憲すべきだった)

ところがその同じ左翼たちは諸葛亮に関する話となると180度主張をひっくり返し、軍法に従い馬謖を処罰した史実を責め立てて「法的安定性」を否定します。左翼曰く、「法は緩やかに解釈して時には逸脱すべきだ、法を守ることに厳格だった諸葛亮は悪の独裁者だ」とのこと。法に縛られた為政者が独裁者とは理解に苦しみますが。要するに左翼は法の何たるかも知らないし、初めから法を守る気もさらさらないのです。

これこそ左翼のTHEダブルスタンダード。今回のメール主の「法は定まっていなくても勝手に裁くべきだ」との主張からもお分かりでしょう? 本当に、「法的安定性」とはどの口が言う。

ただ、この話をする遥か以前の前提として、当時の諸葛亮には法正を裁く権利はありません…。

この点は既に裴松之も指摘※しているのですが、左翼たちはそこを都合良く無視して「諸葛亮はダブルスタンダードだー」と責めていますよね。なんて恣意的な、ご都合主義での批判。たぶん渡された台本の知識しかなく、史書など読んだこともないのでしょう。

※【法正の存命中に諸葛亮は法を執行する権限がなかった。裴松之の指摘、史書から引用。翻訳文は『正史 三國志5』ちくま学芸文庫より】

批判。考えてみるに、法正は劉主(備)より先に死亡した。ここで、法正が諫めたとあるからには、劉主の在世中の事柄だということになる。諸葛亮の職務は股肱ともいうべき補佐役であって、事は元首にあたる君主が決定すべきものである。また、劉主の時代に、諸葛亮は益州の牧を兼務しておらず、恩賞や刑罰は、彼から出てはいない。郭沖の述べている諸葛亮の答を検討してみると、彼自身がそういった権限を有しているようにいっているが、人臣がとるべき態度からはずれている。諸葛亮のつつましやかで忠義な生き方からみて、そんなことはありえないことである。…

まさにあなた方のように、最初から諸葛亮を悪人に仕立てる目的で全てを悪く曲解し断罪する、このような不公正な意識の人が多いから「罪刑法定」を徹底しなければならないのですよ。

なお、法学について初心者向けの本でも一読すれば、「だめなものはだめ」といった人に自然に備わる道徳観念(西洋では自然法)は立法時に議論され法へ反映されることが理解できるはずです。もちろん人間の作る法ですから、いつの時代でも完璧とは言えないのですが、なるべく人間本来の道徳観(義)に即した法を作ろうと努めるのが立法者なのです。立法時に道徳を反映させる場合でもヒューマンエラーは発生しますが、罪刑法定主義に背を向けた恣意的な裁きよりは被害が低いと考えられます。

しかし――唯一、例外があります。唯物思想の無神論者が運営する社会主義・共産主義の国家の法です。無神論者であり「道徳=心」を否定する者たちが作る法ですから、根本の骨格としての「だめなものはだめ」が抜けています。そのため共産国家では人民を虐殺するための非人道な法、財産を強奪するための法、支配者だけが利益を得るための法が朝な夕なに気ままに作られているのですね。

(これに似ていたのが始皇帝の秦による法治です。始皇帝は自分を「最高神」とし儒教を殺し、道徳を破壊しました。このために神を殺した共産国と等しくなり、立法時に根幹とすべき道徳がなく、皇帝が思い付きで民を虐殺することを「法治」と呼び変えることが可能だったのです)

「法治」とは本来、法によってまずは為政者を縛るための体制なのですが、共産国ではこの言葉の意味さえすり替えて「自分たちが勝手に振る舞うために民を縛るのが法治」としています。あなたがたお得意のニュースピークですね。

心を失った者たちによる、法治という名の生命財産の貪り。これを「地獄の虫の行い」と呼ばずして何と呼びますか?

【追記】赤ヘル氏は現代記事を「諸葛亮の考え」として誹謗中傷していたようです…

上でとりあえず歴史話として返答しましたが、当ブログに該当記事はありませんでした。よく探してみると、なんと!ここで書いた歴史話ではなく、他で私が書いた雑談話への中傷だったみたいです。しかも現代の話!!

だから回答記事中、私が

もちろん罪刑法定は現代法学の概念であり、私自身も漢代の習慣と混同している部分があったことは否定しません。

と書いたことも誤りでしたね。なにしろ、そもそも現代のこととして書いたので。笑

もうね……どこまで頭がお悪いのか? と心底呆れました。タイトルも記事番号も指定しない、それどころか筆者の話(現代)と諸葛亮の時代の話を混同し、ごちゃ混ぜにして語る支離滅裂さに脱力します。

どうして彼ら彼女らはここまで整理整頓できず、読解力がとてつもなく低いのか。せいぜい単語一つ~三つくらいまでしか記憶できない脳であるらしい。おそらく読んでいる最中に前の文を忘れ続けるため、文章として読解できないのだと推測されます。平均偏差値30前後との噂も事実では? 現代文読解力の偏差値は全国最下位レベルと思われる。だからこそマルクス主義などという破綻した経済学を鵜呑みにでき、他者の台本の言うなりになって生きることが可能だったのでしょう。

それにしても、私も気付かずに歴史話だと思い込んで回答してしまったことは読者様に申し訳なかったです。このままの状態では意味不明なので、こちらに該当記事を置いておきます。

「法治」とは何か。法の適用とリーガルマインド ※一般向け、現代の雑談です

「地獄の虫」は控えめ表現です

少々傷つけるようなことになってしまうかもしれませんが、私はこの人物は確かに天道の虫であると思います。ところで、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉はご存知であると思いますが、この人物はよく地獄の虫という言葉を使います。

メールなのに独り言が意味不明過ぎて気持ち悪いですね。不快を与えることを目的としているのでしょうから、「気持ち悪い」と言われてお幸せかと存じます。

「天道の虫」とは、伝統主義者だとしてあなた方が憎悪する孔子や諸葛亮のあだ名ですか? ほとんどの人間に愛されているテントウムシが、地獄の虫から見ればさぞ憎らしいのでしょう。

そうそう、私があなた方を「地獄の虫」と呼んでいることについて。これはまだ控えめな呼び名です。他人の生命財産を貪ることで生きているあなた方の本性をオブラートに包み表現しているつもりですが、ご不満? ちょっと図々しいな。しかしまだあなた方は「魔王」と呼ぶほどの存在ではありませんからね、せいぜい魔王からおこぼれをもらって死肉を喰らう蛆虫のようなもの。

 

親に子供の虐殺動画を送りつける、地獄虫の所業

最後に、魏延(演義)、王莽、張献忠についてどう思いますか?三人目の人物に関しては特に閲覧注意であり、無回答でも結構です。

うわああぁぁ……おぞましいな、非人間者の行いは。

張献忠が四川の民をジェノサイドした様子を送り付け、私の精神をレイプするつもりでいる。まるで幼子を誘拐して残虐に殺した殺人鬼が、その一部始終を録画した動画を親へ送り付ける意識ではありませんか。

張献忠もおぞましいけれど、あなたの行いも等しくおぞましく思います。この非人間な行いは確かに、「地獄の虫」と呼ぶには足らないかもしれませんね。

どう思うか? 張献忠に対しては言わずもがなでしょうが。子供を殺された親へ「どういう気分ですか?」と聞くインタビュアーと同じ、そういう非道な行いを愉しんでいるところがまさに本性ですね。四川ジェノサイドに対する私の感情としてはもちろん「許せない」「悲しい」に決まっています。しかし遠い過去のことですし、私にとっては外国の歴史ですからそれ以上の意見は言えません。(三国時代であれば少し関わりがあり、知識もあるため意見しているだけです)

王莽。圧制に苦しむ民からの委託があったのならいざ知らず、権力が欲しくて簒奪したのは駄目でしょう。だから民からの反発を受けてすぐに滅んだのです。左翼さんとしては、伝統主義者のレッテルを貼っている私が王莽を褒め称え崇拝することを期待しているのでしょう? しかし、とうてい無理ですね。尊敬できるはずがありません。民の支持なき簒奪者はあなた方と同じ、中国共産党と同じです。

魏延について。私は演義の魏延を全く知らない(解説文でも演義での彼の描かれ方を読んだことがない)のでお答えできません。史実の魏延でしたら、性根は真面目な人であったと感じます。ただ少々意固地で短気過ぎたと言えるでしょうか。諸葛亮の死後に起きた魏延の乱、または魏延と楊儀の主導争いとその結末については、とても残念に思います。謀反を起こそうという明白な意図があったのかどうかは分かりかねます。

 

謝辞(読者の方へ)

以上です。結局最後まで回答してしまいました。

吐き気を催すようなメール文に反応するのはどうなのかと思いつつ。最近ここ別館に書くべきネタが減っているので、刺激され記事を書けたことについては良かったと思います。かと言って、この先も非合理な悪口のお相手をするわけではありませんので悪しからず。それほど暇でもありません。

この無駄に長い文にお付き合いいただいた読者様……はいらっしゃるかどうか分かりませんが、もしいらっしゃいましたらありがとうございました。

 

*アイキャッチ画像(プロ青同ゲバヘル):7GIT – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64178019による

 

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