「南京大虐殺」本田佳祐氏、謎の転向。文化大革命でも暗躍した謝罪工作員か?

「南京大虐殺」本田佳祐氏、謎の転向。文化大革命でも暗躍した謝罪工作員か?

日本人が原子爆弾で大量に虐殺された日から80年が過ぎました。

犠牲となった霊魂を悼むべきこの時に中国では「南京大虐殺」という史実反転の映画が公開され、反日感情が再び煽られているそうです。

おそらく経済崩壊で募る共産党政府への不満を反日で逸らすつもりでしょう。いつもの手です。

 

左翼は史実反転の嘘をつく

私も若い頃は知りませんでしたが、この日本人が加害者となったという「南京大虐殺」の話は180度史実を反転した大嘘ですね。

 

マルクス主義者(共産社会主義者=左翼)は史実反転の嘘をつく。

GDPや人口など数字を盛るタイプの嘘もつきますが、事実を180度反転することを最も得意とします。

善人は悪人へ。悪人は善人へ。

加害者は被害者へ。被害者は加害者へ

左翼は二千年前の歴史から現代のニュース報道まで正反対で語っていますので、むしろ彼らが言うことを逆に受け取れば真実を知ることができます。

 

事例:

左翼の習性A 事実あった虐殺事件は「無かったこと」にする

・左翼さん「曹操による民衆虐殺は無かった」 →事実「曹操の民衆虐殺はあった」という意味です。

 

・左翼さん「天安門事件は無かった(または死者ゼロ)」 →当時世界中のメディアが報道し、世界中の人々が目撃した通り天安門事件は事実としてありましたね。当然ながら死者ゼロは嘘で、正確な数は不明ですが数千人~一万人の若者が射殺されたと言われています。

「天安門で死者ゼロ」左翼らしく歴史修正する池上彰氏

 

左翼の習性B 存在しない虐殺事件や犯罪をゼロから捏造する

・左翼さん「日本軍は南京で組織的に中国人をジェノサイドした。死者は300万人も!!(現在は30万人に修正しているらしい笑)」 →そのまま正反対が事実です。死者数は何故か当時の南京の住民の十倍か十万人プラス、いずれも圧倒で多い。その住民数が事実だったとしても報道通りの短期間では物理的に殺戮不可能

※戦闘中のため死者がいたことは否定しない。便衣兵(スパイ)などの処刑はあったとの記録はある。しかし組織的虐殺が命じられた資料は一切ない

 

・左翼さん「日本軍は朝鮮半島や中国で女性を拉致して慰安婦とした」 →解説は省きますが真っ赤な嘘です。そのような史実はありません。

 

 

【史実反転の典型例】中華史はマルクス主義者による「文化革命」こと史実反転の先駆けジャンルです:

毛沢東と『三国志』、曹操崇拝について。蜀を「悪」と定め貶めた中国共産党

 

虐殺現場を激撮! 証拠写真があった

ちょうど先日「南京大虐殺」の史実について分かりやすいポストを見つけました。

貴重な資料ですのでそのまま引用させていただきます。

(恐縮ですが長期保存の目的でスクリーンショットにて引用します。皆様ぜひ元ポストのURLへ行って拡散してください)

 

テリマカシさんのポストより。URLは引用後に列挙:

 

 

 

 

 

 

 

引用元

https://x.com/terimakasih0001/status/1733127248075714614

https://x.com/terimakasih0001/status/1709172204955676899

 

不覚にも日本兵と中国市民との仲睦まじい光景に涙が出ました……。

狂産主義者の嘘のせいでこんな光景はもう二度と見られないのでしょうか?

 

同胞の中国兵のほうが酷かったようです:

 

『ニューヨークタイムズ紙』画像引用

 

 

本田圭佑氏の「南京大虐殺はやっぱり(左翼が言う通り)事実だった」投稿について

〔8/10 9時の追記〕

この件に関して元サッカー日本代表、本田圭佑氏の投稿が物議を醸しています。

中国共産党が南京大虐殺の宣伝キャンペーンを展開しているなか、不自然にタイムリーな炎上でした。

 

彼はまずいきなり「南京事件は無かったと俺は信じている」と投稿。

その後、わずか一日半で「一次資料を詳しく調べたら事実は歴史通り(左翼の主張通りに南京事件はあった)とわかりました! 僕が間違っていました、ごめんなさい」と謝罪しています。

これに対し即座に左翼と思われるアカウントから「自身の誤りを認める人格者。素晴らしい!」と大量の称賛コメントが集まりました。

たった一日でこれだけの“一次資料”とやらを詳細に検証し結論を出すことは、歴史学の大学教授でも不可能なこと。

まるで当初の投稿から撤回のための資料も準備していたかのようです。

 

当然ながらこのわざとらしい流れ

「南京虐殺の否定 → 一日で誤りだったと宣言して謝罪 → 左翼から称賛コメの嵐」

には疑惑を持たれ、彼がツリーで投稿している“一次資料”の怪しさと相まって批判が殺到しています。

 

文化大革命でもよくこのように始めは事実を主張して、嘘を激しく糾弾する先導者が登場しました。彼らは後日、「自分が誤っていた。政府や紅衛兵の言う通りだった」と嘘のプロパガンダを認め謝って見せます。

彼らは言わば謝罪工作員です。(正確な名称ではありません。筆者がここで仮に名付けたもの)

謝る姿を庶民に見せつけるための役者。

大々的に否定していた“自分たちの味方”たる先導者が謝罪し転向するので、庶民はプロパガンダのほうが正しかったのではと錯覚し先導者に従って転向します。大人数を一気に騙して転向させるための洗脳手法です。

本田氏もどうやら謝罪工作員の役を仰せつかったようですね。中国での仕事が多いためでしょうか?

 

当ブログは日本近代史の専門ではありませんので詳細な検証は控えます。

代わりに本田氏のもとに寄せられた投稿を引用しておきますのでリンク先を辿って調べてください。

 

 

これは左翼の意見だが、左翼一般人にも疑いを持たれていて笑う↓

 

こちらは保存のため画像で引用。元ポストに動画があります。画像クリックで元ポストへ:

 

最も影響力のあった投稿はやはり元参議院議員の浜田聡氏のものです。

彼のブレーンである倉山満氏は共産右翼でこの通り「曹操の本拠地は北京」(笑)と言ってしまう嘘つきですが、おそらく政治家らしい繋がりで関わらざるを得ないのでしょうね? 浜田氏自身が語る話には役立つ情報が多いと感じます。

こちらは文章を引用しておきます:

本田圭佑さんが歴史に関心を持ち、資料に直接あたる姿勢は評価します。ただし、南京事件の評価にはいくつかの重要な視点があります。

第一に、当時の報道や証言は、国民党や共産党、さらにはソ連のプロパガンダ工作の影響を受けている可能性があります。加えて、中国は戦後しばらくの間は南京事件を国際政治の場でほとんど取り上げず、1970年代末から80年代にかけて、特に教科書問題などを契機に外交カード化しました。この経緯を踏まえると、史料や証言の評価には慎重さが必要です。

第二に、国家や軍上層部が組織的・計画的虐殺を命じたことを裏づける正式な公文書は、現時点で確認されていないというのが私の認識です。私は今年の通常国会で、外務省公式サイトにおける南京事件の記述について、その根拠となる公文書の有無を政府に質す質問主意書を提出しましたが、政府は「捕虜や住民を計画的・組織的に大量殺害せよ」という命令を記した公文書を提示できませんでした。提示されたのは、現地で略奪や暴行があった旨を記した『戦史叢書』などであり、組織的命令を示すものではありませんでした。

第三に、歴史戦では一次資料や公文書の保存・公開が極めて重要です。記録の欠落や焼却が、後世の歴史認識をめぐる議論を複雑にしてきました。

そして第四に、この問題は感情的対立に陥らず、事実・文脈・史料批判に基づいて冷静に検証すべきだと考えます。

歴史認識の議論は、事実の確認と解釈の区別が出発点です。本田さんが触れられた資料についても、その性格・作成主体・文脈を明確にし、上記の視点から多角的に検証することが、より健全な議論につながると考えます。

— 浜田 聡 前参議院議員 NHKから国民を守る党💉💉💉 YouTubeやブログは毎日発信 (@satoshi_hamada) August 9, 2025

浜田氏が動画のなかで紹介していた「歴史問題研究会」もリンクしておきましょう。

南京事件 – 歴史認識問題研究会

 

〔8/12追記〕

こちらの動画は非常に分かりやすかったです。筆者は参政党の支持者ではありませんが、藤岡先生の話が大変参考になったため載せておきます。

削除に備えて重要な個所を引用。一次資料の正しい選択には政治的意図がないこと、切実な記録であることが要件だという話など。一部の( )内の文は当ブログ筆者による。

初鹿野氏:1937年12月13日に日本軍がそこに入ったわけですけれども、その時に20万人の中国の当時の市民がいて、年を越して1938年2月には25万人人口が増えているということで当時安全区のジョン・ラーベ、ドイツ人の委員長が報告をしているわけですね。その時点でもう30万人も40万人も人が亡くなっているわけもなく、骨もどこにあるのか分からないし、そういう(虐殺の)証拠だという写真も全部捏造で、一次資料でもないし四次も五次もそれ以下のもので、何も証拠もないような状況であったと断定するにはおかしいのではないかと。ちょっと載っけたらもう大炎上しちゃいまして。

神谷氏:あれもおかしいんですよね。別に蒋介石だってそんなことを全然言っていないし、東京裁判も証拠も何も偽証罪も何もない裁判ですから。

藤岡氏:毛沢東も言っていないんです。

神谷氏:一番分かりやすいのは日本軍が入る前と入った後で人口が増えているという。この事実をどうするかという風なこともあるんですけれども、もうすっかりこれも日本軍の罪にされて。先生、この辺の認識をどういう風に持っていけばいいのか?

藤岡氏:今おっしゃった中でたくさんの被害があったというけれども、それはどういう一次資料が根拠があるんですかと。新聞がこう書いてあったというのは全然意味がないですからね。だからその資料は実はあるんですよ。

あるというのは、安全区というのをね、日本軍が来るので安全区というのに市民を集めたと。それが20万人だということを当時の警察庁長官が11月の末に記者会見で言っているわけです。その時の20万人ということを安全区を作った外国人たちがウエストなヨーロッパ人たちが20万人という認識で、その住民をいろいろ面倒を見た形になっているわけですね。そこに日本軍が来て、占領した日本軍に対して毎週のように手紙を出すわけです。手紙っていうのは公文書ですから。ここに20万人の市民がいると、この人たちは放っておくと餓死してしまうから食料を調達してくれという要求を出すわけですね。これがずっと続いているわけですよ。

で、ここに資料持ってきましたけど…4枚目を見ていただくとね、これ一覧表にしたんですね。この日付見ていただきたいんですが、12月13日にそこを占領しましたよね。17日にですね、20万人と書いているでしょう。日本兵の秩序の回復がなければ20万人の中国住民に餓死が出ると。報告者が(ジョン)ラーベ。これは委員長、ドイツ人でしたね。これは20万人と。次に12月18日国際委員会は20万人の面倒を見ようとしている。これも(ジョン)ラーベですね。ということで18日、次が21日、27日ね。ここまでずっと20万人なんですよ。

ところが日本軍が占領してから30万人とかという話になっていると。だから全然減っていないんじゃないかと。そしてここの安全区を管理している15人の外国人は、何かそういう酷いことが起こった、それを抗議しているのかと言ったら全然抗議していないんです。全然抗議していないんですよ!

それで人口は全く同じということは、(日本兵による南京大虐殺は)なかったとしか考えられないね。これはまさに一次資料なんですね。ということはこれは切実なわけですよ。この安全区にいる市民を何とか助けようと思って書いているわけだから他に動機がないわけですよ。そこで20万人と書いている。だから当時の必要に応じて書いているわけで、何か宣伝しようとかそういう意図で書いているわけじゃないわけです。これは一番確実な一次資料になるわけです。こういうものをずっと集めた記録があるわけなんですけどね。だからそれは一番一次資料になるわけですけど。

ところが年を越すと25万人になっているんです。1月14日、そして市の人口は25万人から30万人。日本軍が登記した市民は16万。これは10歳以下の子どもと、ある地区の婦人が含まれず云々としているんですけど。結局この25万という推定は日本軍が市民に紛れ込んでいる兵士を分けるために。だっていつまでも市民に紛れ込んでいたら紛争が収まらないわけですよ。

神谷:便衣兵ですよね?

藤岡:だからそうするとこれを分けなければ秩序が回復しないので(分けた)。軍と関係ない市民を良民といって良民証というのを出したわけです。それを暮れに大がかりに調査したら、その数を合わせると実は20万人以上になるということで。よく解説で平和が戻ったので城外から人が戻ってきたという説明をしている人が(いる)。昔渡部昇一先生なんかはそんなおっしゃり方をしたんだけども、専門的に言うと実は幾つか城壁がありますよね。それは門がいくつかあるんですが、門は全部閉ざされていたというこが分かっているので、外からの流入はないんですよ。

だからもともとはそうすると25万人ぐらいいたんだけど、警察庁長官は20万と把握していて、国際委員会も20万人と把握していたので。ずっとこう書いてきたということで。だから増えたのはそういうことが分かったと。それから中には中国兵がいるんだけれども、良民として扱ってやろうという人もいたんでね。日本軍の温情というか。だからそういうことで増えたので。

いずれにせよ全然人口が減っていないんだから、なかったということは(確定。)これで一巻の終わり。それ以外の証拠を出してください。ないんです。

神谷:実際戦闘で亡くなっている人はいるわけですよね。

藤岡:それは全然別の話です。ちゃんと敵味方に関係なくというか、日本人は日本人で荼毘に付して、そして火葬の習慣が向こうにはないから、そうすると中国の方は集めて土葬しているわけですよね。それは日本軍は全部お金を使ってやっていると、そういうことですね。

初鹿野:安全区に日本軍が一発の砲弾も撃ち込まなかったということで、ジョン・ラーベが感謝したという証言もあるんでしたよね。

藤岡:そうです。だからこれはすばらしいことだというのは、安全区というのはそこを軍事力で守れる力がないと。だから安全区というか中立地帯という意味ですから、中立地帯はどちら側の軍事力が来ても排除できないといけない。ところが排除する力もないわけですよ(ジョン・ラーベたちは)宣教師のグループですから。そして境界線と言ったってただ何となく標識があるだけで、別に柵もないしというような状態だからいつでも入ろうと思えば入れるわけです。しかもその前から摘発して、トラック何十台分の武器を日本軍は没収しているわけです(中国軍から?)。だからもう膨大に入り込んで高射砲まで中に入って据えられているんですよ。それがなかなか撤去してくれないと言ってラーベが困っちゃっているんですからね。だから潜り込んできた軍人が既に入っているんだから、全然中立違いでも何もないんだけれども、それにもかかわらず日本軍は一応尊重して弾を撃ち込まなかったというので、ラーベがこれは大変すばらしいことであるということで感謝の手紙を送っているわけですね。そういうことです。

神谷:でも本当にこの捏造って酷くて、結局その戦闘が終わった後、住民の人たちを場外に畑があるからそこに日本軍が護衛しながら連れていって畑仕事してまた送り届けてみたいな写真を持ってきて、「連行している」とか。そういう風なものを朝日新聞が載せていましたよね。

藤岡:市民との関係で言いますと、この今(話している)の事件のことを世界じゅうに広げた人がいまして、その人がでっち上げのメモを書いて5人の記者に渡したんですね。5人の記者がニューヨークタイムズとかいろいろな新聞にそれを書いて世界にワっと広がったと。ベイツという人が宣教師で、そのベイツという人が書いたメモの書き出しが「中国兵が去って日本軍がやってくるという状況になって、市民の間には安堵の気持ちが広がった」って。これはおかしいでしょう。だって自国の軍が去って敵の軍が入ってくるのに市民は安堵の気持ちが広がった。これは前提知識がないと全然理解できない言葉なんですよ。これはどういうことかというと、そこの住民はよく知っていたということなんですよ。つまりシナ兵というのは国民軍じゃないんですよ。日本のような国民の軍隊じゃなくてそれぞれの軍閥の私兵なんですよ。しかも略奪とかそういうことを、進んでいった先で略奪やその他のことをすることがいわば彼らの報酬になっているので当たり前のことなんですね。だから中国兵が来るということは最悪なんですよ、住民にとっては。

日本兵はものすごく略奪とかそういうことをしないということはよく知っているんですよ。なぜ知っているかというと1900年に義和団事件ってありましたよね。あれは北京で11カ国の公使館が襲われて、55日間義和団が押しかけてきたわけですよね。55日間籠城して、それでも支えきった、守り切ったわけですね。その時に活躍したのが柴五郎という会津出身の軍人でこの人がすばらしい能力を発揮して、調整能力を発揮して、結果的にはこの型の指揮で中の何千人かの人たちが生き残れたわけですよ。だから日本人は戦後、教えられてきていないけれども、柴五郎の名前は世界的にもう有名なんですよ。日本の軍隊はすばらしいと。しかもその後今度は地域ごとにここはロシアだ、ここはフランスだという風にして地域ごとに分担してそこを治めることにしたんですよね。しばらく。ところが他の地域は例外なく住民に対する略奪をするんです。イギリス軍だってフランス軍だって。ロシアなんか特に酷いんだけど。日本の地域だけは全くそれがないというので、チャイナの人たちは他のところから日本軍の占領地に移り住んでくるわけですよ。だからその記憶が世界的にも知られているし、現地の人たちもみんな知っているわけですね。民衆の間にはそういう言い伝えがずっとつながっていくわけだから、その後のことも含めて日本軍は略奪しないということがみんな分かっているから安堵の雰囲気が広がって、そして来たら大歓迎したわけです。

(…以下略)

我々は本当に酷い捏造史を教えられてきたものです。

世界中で称えられた“略奪しない日本軍”を正反対の大虐殺軍隊へ変えてしまった。

三国志でも同じことをしていますが、マルクス主義者たちは必ず180度正反対の話をゼロから作る。狂気としか言えません。やはり人間ではないのでしょう。

 

〔8/14追記〕

大陸育ち中国人・石平氏の証言

 

元中国共産党員の証言


 

「一次資料」を頼りにする問題と、「一次」の恣意的な定義変えはダメという話

補足です。

こちらの方も仰っていますが、「一次資料は参考にしてはダメ」とは左翼さんたちも主張していましたよ。笑

なお「一次資料(史料)」とは当事者の日記や手記、リアルタイムの雑誌記事等のことです。

専門家がその一次資料の背景を調査し、信憑性が高いとの確信を得たうえでまとめるものが「歴史書」です。

 

ちなみに三国時代で言えば陳寿・裴松之という歴史専門家が一次資料に当たって編纂した『三国志/裴注』は、歴史書となります。

ここのWikipedia↓で歴史改竄に当たっている工作員たちは何故かこの専門家による歴史書を「一次資料だから参考にしてはダメえぇぇ!」と主張しています(笑)。これは完全なる誤り。

 

曹操-Wikipedia虐殺粛清史 言論封殺、歴史修正まとめ(23/9/10までの全記録)

 

 

三国時代のように古い時代の考察では一次資料に当たることができませんので、リアルタイムに最も近い専門家による「歴史書」をオリジナルの史実として中心的に議論しなければなりません。

これは当たり前のことです。当時の歴史家にも政治的な都合で書けなかったことがあるかもしれませんから議論は必要なのですが、オリジナルの「歴史書」を抹消することは許されません。

ところがその「歴史書」を「一次資料」と言い換えて否定し、自分たちが信奉するイデオロギーのもとで歴史改竄した論文だけを引用しなければならないとの勝手なルールを作成しているのがWikipediaを支配する左翼たちです。

このように自分たちにとって都合が悪ければ「一次資料」の定義さえ勝手に変更する。

(逆に都合が良ければ「一次資料は大事!」と叫ぶダブルスタンダード)

事実史実などどうでもいい。歴史は自分たちの革命のために改竄して利用すべきものだと信じている。

そんな狂った左翼イデオロギーを実行しているカルト信者こそが「歴史修正主義者」と呼ばれます。まさに左翼は人類の敵です。

 

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