「興復漢室」で誤解しないでください。諸葛亮は(私も)伝統原理主義ではない

『出師表』解説、補足。筆者の考えに関する呟きです。

10/4推敲、引用追加。

『出師表』、香港人・台湾人は反射的に憎悪する可能性あり…

筆者の本日ツイートより:

マニアックな話にリツイートくださった方々、本当にありがとうございます。

補足。『出師表』を取り上げているからといって、筆者は漢室復興を叫びません。統一主義者(中共支配容認)ではありませんし、伝統絶対の原理主義者でもありません。

中共による歴史捏造・伝統悪用には抗していきます。 https://t.co/07PPrYLmpr

— Kei@東アジアを中共・共産ディストピアから防衛する!要民主 (@kei20152) October 2, 2020

※現在、このアカウントは凍結中です。凍結に至った経緯

 

わざわざ上のように呟いたのは、反中の台湾・香港で『出師表』は統一主義のシンボルとして憎まれている可能性があるからです。

いえ、その前に……

そもそも反中の香港人・台湾人は中国の歴史基礎を勉強しないらしいので、『三国志』や諸葛亮など全くご存知ないようだし、まさか『出師表』など知っているわけがないのですが。苦笑

しかし彼らが当ブログへお越しになって初めて『出師表』本文を読んだとき、表面の文言だけで反射的に憎悪してしまうだろうと思います。

当ブログ筆者(Kei)までもが巻き込まれて誤解されないように、考えを書いておきます。

「興復漢室」は孫文のスローガンと同じ!?

前記事で取り上げた『出師表』のなかに、「漢王室(朝)復興」という言葉が出てきます。

原文では「興復漢室」となります。

この「興復漢室」という文字列はどこかで見たぞ……と感じた方は、きっと近現代史好きですね!

そう、20世紀初頭、中国革命の父と呼ばれる孫文が掲げた「漢文化・漢民族再興」のスローガンに似ているのです。

当然ながらそれは未来人の孫文が『出師表』なども暗に意識して利用したもの。
皆が知っている古典をイメージさせるスローガンは、大衆の心に響いて賛同者を増やしたことでしょう。

しかし言うまでもなく、諸葛亮本人の考えと孫文の考えは同じではありません

まして、ウイグル・チベット・台湾等々弾圧のために「中華思想」というフィクション(似非民族主義)を悪用している中国共産党と、諸葛亮の思想は一切関係がないどころか180度違います

どうかどうか、古典と現代の盗賊たちの嘘とを混同しないでください。

諸葛亮は、民を奴隷化する独裁主義と180度対立する思想を持っていたからこそ共産主義者たちに憎悪され、これほどの誹謗中傷に遭っているのです。この彼ら自身が行動で示している現実こそが、諸葛亮は盗賊の敵であるということの厳然たる証拠となるでしょう。

悪事をはたらく嘘つきたちは有名な古典から、内容を捻じ曲げて利用します。
古典の力を盗んで民を騙そうとするのです。

だからこそ、皆さんは歴史を一部の表面的な言葉だけで判断してはならず、時代背景とセットに考えなければなりません。
時代が移り変わってもそのまま通用する主義など、政治思想においてはほとんど無いのですから。

時代が変わっても通用する主義は、せいぜい「人道主義」くらいです。つまり人が人の命を大切に想い、上を敬い、下を慈しみ、公平正当に善行を認めて社会を運営していく… 等々の“人間として至極アタリマエ”な最低限道理のことです。

「興復漢室」は三国時代だからこそ言えた

諸葛亮の「興復漢室」は、あの時代・あの状況だったからこそ言えたもの。

つまり、まだ三国時代は始まったばかり、ついこの間まで存在していた「漢」という国を復興させるぞ! という主張なら妥当だったのです。

それは今の人たちが思うような民族主義的な主張などではなく、いたって現実的な政策※。ただ国家再建を目指しただけに過ぎません。

ほんの数十年前の国家システムを復興させようというだけの主張と、二千年前の国を黄泉から引きずり出すという妄言とでは、次元が違い過ぎます。

※三国時代当時、諸葛亮の言った「数十年前の国に戻すぞ!」という主張でさえ当時は全く非現実的に思われて批判されました。まして、近現代で「漢王室再興」を叫ぶのは夢想どころか妄想です。「戦国時代へ戻せ!」と主張する諸夏主義はさらにハイパーな妄想ですが…。

古典から無理やり民族主義カルトを捏造するな

今、漢という国※がこの世から失われてから1800年が過ぎました。

※ここで“漢”は紀元前206年~紀元後220年の大陸国家を指す

当時は「漢の住民」という意味で漢人は確かに存在していたわけですが、現在、DNA的な意味で「漢民族」という純血人種がまだ存在しているのかどうか不明です。

そんな妄想に過ぎない民族主義にこだわるのは馬鹿馬鹿しい。
どころか、民族主義は常に血で血を洗う争いしか生まないので有害です。

だから私は今この現代で「興復漢室」を唱えるべきではないと思います。諸夏主義も同様です。
古代を利用して民族主義をでっち上げ、ウイグル・チベット・台湾等々を弾圧し「中華統一主義」を掲げる悪事をとうてい許すことはできません。逆に台湾人などが架空の民族主義によって、大陸人や大陸文化をヘイトすることも同じく許せません。

諸葛亮も当時の状況で背負うものがあったからこそ「興復漢室」を唱えただけです。合理性を持つ人間だったので、ほんの少し状況が違っていれば言わなかったでしょう。

孔明が現代に生まれ変わっても同じことは唱えない

たとえば今の時代に諸葛亮が生まれ変わったとしても、「興復漢室」や統一主義を唱えることはありません。そんな愚かな原理主義ロボットではないからです。

もう少しマニアックな話をすると……実は諸葛亮は当時も、本心からの統一主義者だったわけではないと私は思います。
こう述べると一般的な『三国志』ファンから大反発を受けるはずですが。

政策・戦略の前には、個人としての考えをいったん引っ込めてその時限定の主義を唱える必要があります。諸葛亮はそうしただけです。

なお、私も彼と同様に合理を優先させますので、もしかしたら今後の状況次第では統一主義に同調するかもしれません。
もちろんそれは中共支配を受け入れる、ということではなく。反共のために手を組む必要があるなら中華~東アジアの連携を望むという意味です。
私はあくまでも反中共・反共・反独裁・反ディストピア。そこだけは絶対に変わらない基本です。

このように、政治主義とはあくまでもその時代限定のものであり、目の前の現実に即したものでなければなりません。

古代から引っ張り出してきた民族主義は狂気カルトの夢想でしかないのです。
狂気カルトは現実に合わないことを主張しますから現実のほうを歪め、真実を言う人を殺すしかない。このため大殺戮という結果をもたらします。
自分が人間ではなくなり虐殺モンスターへ変わってしまう前に、夢想カルトは棄てましょう。

自然に根付いた地域文化を守ることは、社会の免疫となる

もう一つ誤解されている件について弁明。

中華圏Twitterで何故か私は「伝統保守派」「文化決定論者」と見られることが多いようです。(エ…!?意外、笑。ヒトリゴト参照

『三国志』の話をしたり、文化破壊を叫ぶ諸夏主義者(共産主義者)たちに「文化を大切にしろ!!」と叫んだりしているからでしょうか。

はっきり弁明しておきますが、私は伝統保守の儒教原理主義者ではありませんし、文化決定論者でもありません

ただ、文化破壊をやめろ、と叫んでいるだけです。共産主義者が行っているような人間の善悪を破壊し、人間的な心を失わせ、殺戮マシーンに育てるための獣化教育をやめろという意味。それだけ。

文化は叡智

長い歴史を持つ古代からの文化伝統は、あなたがた、生まれてからまだせいぜい数十年しか生きていない幼い人間が想像もつかないほどの叡智を含んでいます。
その叡智は、未熟な人々の人間性を保護している免疫です。

確かに、なかには悪しき風習もあるでしょう。たとえば男が女を虐げ、下位の者が奴隷となる意味での家父長制度。纏足などの残酷な風習。

私はそれら全てを厳格に守れと主張する者ではありません。悪しき風習は改善する必要があります。
でも、未熟な現代人には何が悪い風習で、何が自分たちを守ってくれる大切な文化なのかということの区別がつかないはずです。
それなのに、ただ「古いものは悪」「漢文化は悪」という極端なカルト思想で全破壊してしまえば、人間の心が根底から破壊されて殺戮マシーンが道を闊歩する世界となります。

実験結果:文化大革命という地獄

この結果が分かるのが、文化大革命です。

古代中国からの文化を破壊した結果、中国人は人間性を失いました。(※一時期です。下参照)
都市ばかりではなく田舎の村々まで、道を歩いている普通の人々が殺戮マシーンとなり、親でも友人でも内臓を引きずり出し貪り喰った。
地獄です。
まるで最近流行のアニメ『鬼滅の刃』の、鬼ばかりの世界のよう。いや、そんなフィクションよりも恐ろしい。あれが文化破壊の末の現実です。

文化破壊の末路とは? 文革の結果(外部)【残虐です。閲覧注意!】

広西チワン族自治区「文革大虐殺」の実相

・殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

 文革期に広西チワン族自治区で組織的で凄惨な人肉食を伴う大虐殺が行われたことは、知る人ぞ知る事実である。…

 

・組織的な虐殺と食人

この資料で特に衝撃的だったのは、文革中、302人が殺害後に心臓や肝臓を摘出され、食べられた様子が詳細に記述されており、広西地域で食人行為が横行していたことを改めて明らかにしていることだ。

特に被害がひどかった武宣県ではこういった記述もある。

「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて、心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った。

肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして食べた。

当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた」

また、これは文革という混乱に乗じた無知蒙昧な民衆の事件ではなく、共産党、国家の機関が組織的に行った虐殺、食人であったことも、この資料からわかる。当時の広西チワン族自治区の党委書記の韋国清は文革中、失脚することなく自治区トップの座におり続け、軍隊、警察、民兵らから絶大な支持を得て、指揮し続けていた。虐殺のピークは、造反派と走資派が激しく戦った内戦時期の文革初期ではなく、1968年7月3日に党中央の革命委員会が七三布告を出したあとに起きており、武闘の混乱に乗じて起きたのではなく、毛沢東らが韋清国を支持した、比較的落ち着いた状況下で起きたものだった。

この資料で名前が判明している殺人者、殺人指揮者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、民兵および幹部だった。食人行為を働いた84%は中国共産党員、あるいは幹部であった。…

宋教授は広西地区における文革の特徴として、食人以外に、軍の複数の師団兵力を使って組織的に民衆組織に対し攻撃と殲滅を行い、その派生事件として女性に対する性暴力が空前の規模で行われたということも指摘している。文革中、広西地区の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱することが常態化し、資料には、225事件1000人以上の被害者が記録されている。

・「文革」の本質を問う

文革とは何だったのか、という問いに対して宋教授は「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結果である」と答えた。文革前の17年間の政策に対する錯誤をきちんと認めず、政治運動の中の醜悪な虐殺を正当化してきた結果、文革の10年が起きた。では、文革で何が起きたかについていまだタブーが多く、その後の天安門事件についてもいまだに再評価されず、共産党政治に対する批判を許さない今の中国では、また、大虐殺をともなう政治動乱が起きても不思議ではないということなのだろうか。

習近平政権が、あまりに苛烈な権力闘争を、文革を想起させるような個人崇拝キャンペーンを伴って展開している今だからこそ、文革とは何であったか、というその本質を問う作業を、中国問題にかかわる人たちは続けていかねばならないと思う。

(福島香織 著)

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別URLより参考画像、社会主義者たちの虐殺レース。分かりやすい名画像です

こちらのツイートより引用)

私はあのような地獄化を防ぐために、人類の免疫としての古い文化を大切にしてくれ! と訴えているだけです。

たとえ民主主義を掲げていたとしても、文化を憎悪して破壊するならば、必ず人間性が失われた地獄が到来するでしょう。

(ただし現実に民主主義は古い文化と対立しません。地域文化に沿う民主なら、文化を破壊せずに緩やかな改善をもたらします。だからその意味でも、今のところ民主主義が最善と私は思っています。もちろん完全なシステムではありませんが)

※ここは「一時期、多くの中国人は人間性を失った」と書くべきだったでしょう。文化破壊のさなかでも地下に書物を隠して伝えた人々が存在したし、代々の口伝で繋げられた道徳心は今も大陸人の心に生きているからです。しかし洗脳の波が襲った地域では誰も人間性喪失から逃れられませんでした。また今も、共産思想に洗脳された党員とシンパは、物を考えずに人を喰らう殺戮ロボットとして活動しています。一度人間性を喪失したら正常に戻ることは困難なので、そうなる前に文化の免疫で心を守ることが必要です。

〔最後にヒトリゴト〕

それにしても反逆な私を“伝統保守派”呼ばわりするとは。

笑ってしまいますよねえ……。プライベートをご存知の方が眺めていたら、腹を抱えて笑い転げていることでしょう。「お前、自分を偽り過ぎ」と怒られるかもしれない。

※筆者は日頃、どちらかと言えば集団ルールを無視した反伝統的な奇抜行動が多いタイプ。伝統文化には敬意を持つのでなるべくルールを守ろうとしているのだけど、もともとの性格のせいか無意識に変わった行動をとって怒られている

「饅頭を作った」エピソードは“らしい”と思う

ちなみに、儒教原理主義者と誤解されている諸葛亮も「創造性があり独自の発想をした」と正史に記録されています。この記録から分かる通り、本性は伝統に固執するタイプではありません。実は伝統を改善していくほうのタイプです。
「七縦七擒」が典型的な反伝統エピソード。
こちら↓の肉まん(饅頭)を作ったエピソードは伝説ですが、生贄をやめさせたことは史実と思われます。あまりにも“らしい”からです。

てるてる坊主の歌、調べたら怖かった… こういう生贄などの風習こそ「悪しき伝統」というやつだ。やめましょう。 (最近は伝統派と思われている私、笑。こういうの嫌い) しかし中国共産党は、文化風習を破壊しておきながら悪いことだけ大規模に拡大実行しているよな…

諸葛亮の場合。 洪水を鎮めるために生贄を捧げる風習をやめさせ、小麦で作った饅頭を備えさせた。… これは伝説だが、確かにナイーブなアイツらしい逸話。 伝説作者さんよくわかってらっしゃる。 (もしかしたら実話かもしれない) 正しいよ、こういう悪しき伝統改善は。

【参照記事】饅頭(まんじゅう)の語源は人のアタマ?諸葛孔明のお供えものに始まる「肉まん」誕生秘話

2020年9月6日スレッド

(プライベートからの転載。上の記事を読んだときの筆者感想)

饅頭発明の伝説を聞いた時、ものすごく「諸葛亮らしい話」と思った。
もしかしたら実話ではないかと考えてしまうほど。

もちろん、“饅頭を供えたら洪水が鎮まった”との魔法使いエピソードは嘘だろう。
これは悪しき風習に囚われた人たちをなだめる方便。
洪水は数日待てば鎮まるもの。
だからたくさんの饅頭を作らせて供えて祈祷させる、その数日間のうちに自然に河の水位が下がって渡れるようになったというだけのことだ。

もし、諸葛亮がこういう知恵を働かせて悪しき風習をやめさせたのだとしたら、いつになく洒落が利いていて良かったと思う。

おそらく不器用で性急な諸葛亮のことだから、始めはただ
「生贄で人を殺すなんて最低だ。そういう非合理で悪い風習はやめなさい」
と言うだけだっただろう。
でも、現地の人たちからの抵抗があまりにも凄まじかったので、仕方なく上のアイディアを考えた……という経緯だったかもしれない。目に浮かぶ。

 

・非伝統主義、合理なだけですが

どちらにしても、饅頭発明エピソードを聞いたときに私が「いかにもアイツらしい」と思った理由は、悪しき風習をやめさせようとする
非伝統主義
の態度だ。

このように。

誰かが悲しんだり苦しんだりするだけの、非合理で悪しき風習は改善していく。
その代わり、民から発信された楽しくて良い文化は残して積み重ねていく。
(日本で言えば工芸もですが、文学やアニメ、漫画の文化はクールですね。中共プロパガンダと共産思想を取り除き浄化したうえで、ぜひ残していきましょう)
このバランスの末に醸成された文化は人々の心を養い、カルトからの免疫となってくれるでしょう。

ディストピアを防ぎたいなら文化を破壊してはいけません。