「出師の表」とは何か? 世界で一番やさしい解説

「出師の表」とは何か? 世界で一番やさしい解説

“漢文で「出師の表」ってよく聞くけど何のこと?”

そう思いながら検索しても、まともな解説に巡り合えず悩んでいる漢文初心者さんのために、基礎の基礎から分かりやすく解説してみました。

また、今はネットや書籍に『出師表』の異常な曲解・誹謗中傷が溢れています(例1)。これは一部の偏った集団によるもの。初心者の方が嘘の解釈に混乱してしまうと思いますので、現代一般人の真っ当な感想も引用しておきます。

 

基本的なこと

『出師の表』とは、三国時代・蜀の諸葛亮(孔明)が、魏を討つための出兵前に皇帝へ宛てて書いた文です。

フィクションではなくて史実の話。

日本の義務教育では習わないのですが、受験用の漢文参考書には載っているため見かけたことがある方もいるでしょう。

 

『出師の表』は古来、「これを読んで泣かない者は人間ではない」と評されてきた名文……として有名なのだそう。

名文かどうか私は個人的によく分からないのですが(ファンの方すみません)、『出師表』が中国および日本で1800年もの間「名文」と評されてきたことは歴史的事実です。

この件は、現代のプロパガンダを見抜くためにも非常に重要な知識となりますので、ぜひ覚えて帰ってください。

タイトルについて

読み方

まず『出師の表』の読み方は、「すいし・の・ひょう」です。

『出師表』と表記される場合もありますが、読み方は「すいし・ひょう」「すいしのひょう」どちらでも良いと思います。日本人の習慣で「の」を入れているだけなので。

中華圏では『出師表』と表記します。

※簡体字は「出师表」。繁体字では同じ

 

意味

「師」には「専門家」という意味もありますが、『出師表』での「師」とは中~大規模な軍隊のこと。

だから「出師」は、日本語にすると「出陣(しゅつじん)」や「出征(しゅっせい)」という意味になります。

 

「表」とは、臣下から君主に奉(たてまつ)る文書のことです。

 

だから『出師表』を現代日本語に訳すとすれば、

「出征に臨(のぞ)んで陛下へ奉る文書」

となります。

※臨む:際して。あたって。

 

なお、これは著者本人が付けた題ではなく、後世の人が通称として呼んでいるタイトルです。

前と後がある!?

『出師の表』には、「前」と「後」の二種があります。前編・後編みたいな感じ。

一般に有名なのは「前」のほう。このため「前」は『出師表』とそのまま表記します。

「後」の場合だけ『後出師表』と付けます。

 

なお「前」は諸葛亮本人が書いたことは確かですが、「後」のほうは他人による贋作だという説が有力です。

真偽は定かではありませんが、中国史の通説として覚えておいてください。

 

『出師表』とは何か? 文章の構成と真意

まずは全文を読みたいという方のために、日本語訳をご用意しています。こちらをどうぞ。筆者訳です。

「出師表」全文 日本語訳

やさしい日本語で書いていますが、初めて読む方には背景が分かりづらいと思いますので、少しずつ分解して解説していきます。

 

「先帝の事業」って?

冒頭~前半に

先帝は大いなる事業を始めながら、志半ばにして崩御されました。

とあります。

「先帝」とは、このとき既に亡くなっていた劉備のこと。(このときは息子の劉禅の代。先の皇帝だから、「先帝」と呼んでいます)

「劉備が始めた大いなる事業」とは、「漢王室復興(かんおうしつ-ふっこう)」のことです。

 

魏の曹操によって漢という国は踏みにじられ、混乱の後に分断された中華大陸。後世の歴史学上、後漢は西暦220年に滅んだとされています。

劉備は漢王室の皇族末裔(まつえい。子孫のこと)として、「漢王室をよみがえらせて大陸を統一する」という悲願を掲げていましたが、志半ばにして世を去りました。

そこで臣下であった諸葛亮が劉備の志を継ぎ、「魏を討って漢王室をよみがえらせる」ための出兵をすることを誓いました。

 

つまり『出師表』は、一行で表すなら

「私は先帝の志を継いで魏を討つために出征します。陛下、どうか私に出征を許すための命令を下してください」

という願いを書いた文です。

そして諸葛亮はこれを上奏したあと実際に出征しました。十対一とも言われる国力差、とうてい敵わない戦いへ。

 

くどくど説教している理由

冒頭からすぐ、何故か皇帝・劉禅への説教がくどくどと始まるので、初めて読んだ方は「意味不明」と思って首を傾げることでしょう。

説教部分:

それにも関わらず、陛下の兵士たちは任務を怠ることがありませんし、

私の願うことは、陛下がこの者たちを信じて頼りにし漢室が再び栄える日が訪れることです。

現代歴史マニアには「なげーよ!」「説教ウゼーよ!」と言われ、すこぶる評判の悪い部分です。

はい。筆者もそう思います。反省しよう諸葛亮。

※筆者はアンチ孔明ではありませんが個人的事情により諸葛亮を褒めることはできません。辛口御免。

 

ただ頭の良い方なら、この説教部分だけで日頃の劉禅と諸葛亮の関係が読み解けるはずです。諸葛亮は劉禅のことを我が子同然と考えて父親のごとく接していたのです。

そもそも臣下が皇帝へ説教するのは儒教的にもどうかと思われますし、公開文であまりにも本当のことを書き過ぎです。劉禅への批判と受け取られかねない表現(実際は、劉禅へ取り入る者たちをけん制するため意図的に公開文で書いたものです。劉禅への批判ではありません)。日本人なら有り得ない率直過ぎる文。私が、「諸葛亮は儒教原理主義者だ」という認定に反論したいのはこういうところです。もし本当に蜀が儒教的な国であれば罰せられていたのでは?

 

しかし人によってはこの前半部で泣いてしまわれるようです。

何故なら、「自分は死んで二度と都には戻らないから大切な遺児へ最後の教育をしたい」という人間的な愛情が伝わるからと思います。劉禅にとっては迷惑であったかもしれませんが、その愛情に一切の偽りはありません

 

現代歴史マニアたちも「なげーよ」「ウゼーよ」とは言いますが、諸葛亮に劉禅への愛情があったことは否定しません(むしろ愛情が出ていることを「ウザい」と嫌がる人はいる)。口が悪くても、マニアの方々は普通の人間ですから。

「『出師の表』は、皇帝 劉禅に諸葛亮の意を汲む臣下を貼り付けておき、遠征が終了するまで口出しをさせないための文章です」

などという歪みきったおぞましい発想ができるのは、人間の皮をかぶった獣だけ。“歴史捏造は正義”・“嘘を百万回言えば真実になる”と信じる思想集団の獣化教育を受けた者ならではでしょう。

 

急転、自分語りのタブー

『出師表』後半で諸葛亮は急転して、自分語りを始めます。

(こういう「何でも詰め込む」「転調する」文の特徴からも諸葛亮はINTPだなと思う次第。参照『三国志でMBTI考えてみた』

自分語りの箇所:

私はかつて若い頃、南陽という土地で畑を耕して生計を立てていた者です。~

これは公の文として禁忌(タブー)のことではなかったか? と思います。重ねて言いますが、本当に慎み深い日本人なら有り得ない文ですね。諸葛亮はあくまでも本音を書くタイプ

でも諸葛亮が何故ここで自分語りをしいているのかと言うと、これが最期のメッセージになると思っているから。

 

大前提を述べますと『出師表』は遺書です

諸葛亮は決死の覚悟で出征しました。もう二度と蜀の都へ戻らず、若君(劉禅)にも会えないと思ってこの文を遺書として書いています。

だからこそ、大切な遺児にくどくどと説教したのだし、お行儀が悪いと自覚しながら“自分語り”で思い出を書き入れたのです。先帝の素晴らしさと、自分がどれほど感謝しているのかということをどうしても書き遺したかった。たとえ処罰されたとしてもそうしたでしょう。

私がその状況にあれば必ず同じことをします。本音を伝えられずに人生を終えるくらいなら、吊るし上げに遭い処罰されたほうが遥かにましです。人間として生まれたなら当然です。

 

「臨表涕零、不知所云」も文章としてタブー

最期に有名な末尾、「今當遠離。臨表涕零、不知所云。」について述べます。

(言及するのもどうかと思うのですが、ここを曲解したり嘘を述べる工作が横行しているので書いておきます)

原文:

今當遠離。臨表涕零、不知所云。

書き下し:

今、遠く離るべし。表に望みて涕零(なみだお)ち、云うところを知らず。

「涕零、不知所云」は現代日本語にすると、「泣いてしまって言うべきことが分からなくなった、言葉が見つからない」という意味です。
そして『出師表』はここで本当に言葉が出なくなったのか、唐突に文章が終わっています。

 

あまりにもメランコリックな表現であるため、やはり現代日本人には評判が悪い箇所です。でもメランコリックさは彼の史実の人格だから仕方がないと思います。

 

穿った見方をする心の貧しい人たちからは「同情を買うために狙ってやってる。あざとい」と言われていますが、史実の諸葛亮はフィクション孔明と違って、あざとく狙った計略を考える才能が欠如した人間です。このためここも100%嘘偽りのない表現、ただ現実に泣いてしまっただけ(笑)。それを隠すこともできないタイプ、正直に書いているだけです。

本人が後世で読み返したら頭を抱えたくなるほど恥ずかしい箇所でしょう。でも変えようとは思わないかな。

 

例によって人間の皮をかぶった獣たちが、

これは結びの言葉ですね。「ご恩を受け感激に耐えません」は英語のビジネスレターの文末に書く「Thank you for your cooperation」みたいなものでしょう。涙がこぼれ云々というのは、情感を込めた手紙の結びの言葉であるという記号のようなものでしょう。

などという話を拡散していますが、そんな記号など古代漢文にありません。獣の嘘ですから信じないように

 

中国では涙を落としたりする女々しい態度は最も恥ずべきこととされています。特に漢代では「女みたい」という誹りが男性には最大の侮辱でした。だからこの時代、自分から「泣いた」と告白する男性はいませんでした。自分の恥ずかしい本性を隠そうとしなかったために「泣いた」エピソードが山ほど残っているのは諸葛亮くらいです。
もしかしたら『出師表』が広く知られた後に、このような表現が流行ったのかもしれません(という情報も私は聞いたことがありませんが)。いずれにしろ諸葛亮の感知するところではありません。

 

だいたいこのお行儀の悪い感情吐露は、東洋でタブーですね。現代だったらなおさらです。

現代のライターさん・小説家志望さんはご存知でしょうが、まず自分で「泣いた」と告白するのは禁忌だと教えられますし、それ以上にいけないのは「言うべき言葉が見つからない」と書くことです。言葉が見つからないのなら最初から書くな、と叱られる。

だから現代文で『出師表』をお手本にしてはいけません。はい。
(私は分かっていながら感情吐露をやめられない、ダサい文を書き続ける劣等生なのですが)

ただ正直な文を書く人がほとんどいなかった中国~東アジアでは、この丸裸な文は稀有であったのだろう、と想像します。

 

皆さん何故、『出師表』で泣いてしまうのか…?

『出師表』が1800年もの間、「これを読んで泣かない者は人間ではない」と言われ続けてきた第一の理由は冒頭で書いた史実経緯にあるでしょう。

君主を裏切り、権力の座を奪う臣下が多いなか、諸葛亮は忠実に君主の言いつけを守り出征したわけです。彼が“忠臣の鑑(ちゅうしんのかがみ)”と呼ばれる所以です。

日本で言えば『忠臣蔵』などのようなもの。そうイメージすれば、諸葛亮と『出師表』がどのように扱われてきたのかが分かりやすいと思います。

 

こんな諸葛亮の行動は君臣の立場を守った、儒教原理主義的な事例として取り上げられることが多いのですが、私はこれには異論を呈したいと思います。――などというマニアックな話は面倒になりますからまた次の機会にお話ししましょう。

『出師表』を読めば、ただ純粋に人間として劉備を慕っていたこと、遺児である劉禅と国を愛していた想いだけが伝わるのではないかと思います。

思想的な理屈でも文章技巧でもなく、その気持ちの部分が伝播して人々を泣かせてきたのではないかと想像しています。

 

実は本人が泣きながら書いた文は、読者も泣かせてしまうものであるらしいです。体験者※は語る。

※お恥ずかしながら私も文を書く者の端くれ、自分が泣きながら書いた文によって、これまで何人の読者様を号泣させてきたか分かりません。「催涙弾なみの公害文書(たぶん褒めている)」と言われたこともあります。…すみません。狙ったわけではないのでどうかお許しを。

 

諸葛亮も最初から読者を泣かせることを狙ったわけないでしょう。

だから、「これを読んで泣かない者は人間ではない」などと泣きを押し付けるのは本当にどうかと思います。

現実を見れば「人間ではない」のは事実そうだったようなのですが、感じ方は人それぞれ、年齢によっても違います。歴史を学び始めた若い人たちに理解できなくても無理はありません。

 

現代人の感想

最後に、変な思想にかぶれていない現代人たちの素直な「出師表-感想」を引用させていただきます。

 

日本人の感想

〔状況〕現在、日本の中華歴史ネットページは工作員が支配していて、見事に諸葛亮の悪口ばかりで埋め尽くされております。以前から例の団体は諸葛亮の悪口を書き込み続けていましたが、特に2014年頃からどこかの国が金を出しているのか、工作員が増えて誹謗中傷が増加。

かろうじて見つかった一般の方のページを引用しておきます。

(書き込み可能な掲示板は工作員に荒らされることを防ぐためリンクしません)

 

『泣ける歳になったのかなぁ~(汗)出師の表。』より

初めて「出師の表」を読んだ時、涙は出ませんでした(汗)
……
時を重ね、何度か「三国志」を読むうちに、
今成すべき事を悟った孔明の心である「出師の表」が、胸を打つようになりました。

とのことで、『出師表』で泣くかどうかは年齢や理解力によるところが大きいようです。

(私は「誰もが『出師表』で必ず泣くべき」と思っている者ではありません。当たり前。ただ、始め理解できなくても背景を考えようとするのが人間。『出師表』は構成的に名文・美文ではないだけに、読み手の理解力や人間性をはかる指標となるようです、確かに。今おそろしく歪んだ解釈をして誹謗中傷している者たちは現実に「人間であることを辞めた」らしいです)

 

2000年代、工作員が少なかった頃の普通の歴史マニアさんたち意見

まだ工作員がネットに大量投下されていなかった頃の、ごく一般的な歴史マニアさんたちの意見がアーカイブに残っていたので貼り付けておきます。今となっては貴重な一般人の意見です。

53 名前:無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日:2006/09/11(月) 11:05:32
(略)

出師の表は227年、第一次北伐の前に上奏され、
後に「これを読んで泣かざるは人にあらず」と評された名文です。
前半で皇帝の心得と北伐中の留守を任せる者たちについて、
後半で自らについて言及し北伐の決意を述べています。

荊州を失い、夷稜で大敗し、蜀は弱体化していますが、
幸い、文官・武官ともに優秀な人材がそろっています。
陛下には良き人材を重用し、民を安寧に導いていただきたい。
私は魏を討伐し、漢皇室を復興してまいります。

と述べていますが、ほんとは関羽・張飛・馬超・黄忠といった武官や、
馬良・法正・糜竺といった文官を次々と失い、人材面でもかなり苦しかったはずです。
それでもなお、蜀は北伐をせねばならない!それが私と先帝との約束なのだ!
という諸葛亮の胸中が伝わってきて・゜・(ノД`)・゜・

ちなみに三顧の礼の出展でもあります

 

某掲示板の書き込み

75 ななしのよっしん
2011/11/06(日) 05:47:53 ID: TNd9BKyo/c
出師表はマジで名文、三国志のアニメとかドラマとか
朗読されると泣けるんだよなぁ、ホント孔明が・・・(涙
確かにこれ聞いて泣かない奴は人間じゃねえ・・・

なのに現代語訳w何度見ても吹くわww だが

親父さんは私の恩人でしたよ。
あの人のためなら異国の地で戦うのも本望ですよ。

で不覚にも泣いたぜ・・・
最後のはわわで台無しだが!俺の腹筋を返せー!wwwww

ここは本物マニアさんが書き込む場所。荒らしを防ぐため掲示板へのリンクは控えます。
初心者の方には意味不明の話が多いと思いますが、この辺りが普通の歴史マニアさんたちが台頭した良い時代ではなかったか?と感じます。
おふざけの現代語訳も、「はわわ」も、中国本土の人たちはきっと怒るお遊び。でも詳しく歴史を学んだ末の、日本人オタらしい高度な遊びです。

 

獣たちの読み方と反抗者

反対意見として、工作員の書き込みも観察してみます。

※閲覧注意。危険団体員と思われるのでコピペ後Hを入れて移動してください

『 出師表、超個人的ツッコミ編 』ttps://ameblo.jp/azzk/entry-11959997931.html

曹操崇拝者による、曹操マンセー!!と叫び続ける記事です。(「我が曹操様マンセー、ハアハア」したいので、相対的に諸葛亮の文章をとことん貶める工作です。要するに『あいちトリエンナーレ2019-表現の不自由展』と同じ台本です。思考の不自由さが気色悪いですね。まさに人間じゃない)

 

今このような口汚い呪いの言葉でネットが汚されています。政治的なプロパガンダなので、初心者の方は鵜呑みにしないよう注意してください。

上URL先は気分が悪くなる人もいるだろうから無理に行かないことです。かろうじて、普通の歴史マニアたちがコメント欄に書き込んでいることは救われます。そんな歴史マニアさんの意見を引用。

 6  あんたバカか?

元々の頭が悪いの丸出しのツッコミばっかだな。

あんたみたいな頭悪い人は批評とかしない方がいいよ。

諸葛亮2017-01-17 20:58:11

お口が悪い、亮さん!苦笑

でも同意です。

5  当たり前

当時の歴史を理解しないとこの文章の真意を分からないのが当たり前のこと.確かに言う通りで文章内に矛盾点が多い,意味がわからない.じゃあ,考えてみろうよ!なぜ,一国の丞相としてこのような文章を作ったのか?なぜこの意味も分からない文章が千年に渡って尊敬されていたのか?

そもそも「出師表」とは出陣する際に大臣が君主に差し上げる文章で,普通は「必ず敵を討ち取ってくる!」のような言葉を書くべき.諸葛亮孔明の出師表は全く違うことを書くのが極めて不自然なことだ.その理由を分からないとああいう失礼なツッコミがあってもしょうがない.逆に言うとその理由を分かれば泣かない人はいないだろう.(ちなみに劉禅は当時泣いてなかった.)

まず分かってほしいのが,この文章の(想定された)読者は誰だと思う?君と僕たちのような一般人ではない,自らの君主だったよ!劉禅のような君主が過ちをいくら犯してもおかしくないのに,自分はこれからそばにいなくなる.諸葛亮孔明はどうしても言いたくて,でもなかなか君主に直接に言えないことをこの最後のチャンスでこの文章に(少し曖昧な感じで)書くことにした.

当時,孔明は実質上の独裁者にもかかわらず,ここまであのバカ君主に注意し,実際国のために忠義を尽くした.そのためこの変な「出師表」は彼の忠義の明らかな証として尊敬されていた.

失礼な指摘をしてしまってすみません.

ひろ2016-03-31 02:49:42

ひろさん、「バカ君主」は酷いと思いますが、昔ネットによくいた歴史マニアが正当なことを言おうとしているのが分かって面白い。

>この変な「出師表」は彼の忠義の明らかな証として尊敬されていた.

“変な” という評価は私も同意です。笑
変人による変人文章。変だからこそ目立って後世に伝えられたのでしょう。

作文上等、不自然上等!

定型文などに従っていたら嘘を遺すことになります。
本音を書かなければ生まれてきた意味がありません。

人間として死にたければ、裸で書くべし。

それを実行できた『出師表』を私は否定しません。

 

現代中国人の意見

最後に中国本土での解釈のされ方です。

長年、蜀や諸葛亮を貶める工作を行ってきたのは中国共産党ですが、今その実行舞台は本土ではなく日本に変わっているようです。仕事を請け負っているのは反日団体。

いっぽう本土では、胡錦涛の時代に少し変わりまして“普通の”歴史教育が行われたようです(もちろん古代に限る。近代の歴史を正しく教えているとは思えません)。
したがって胡錦涛時代に教育を受けた若者たちは、少なくとも古代に関しては偏った儒教教育を受けた近代中国人や日本人よりも、遥かに真っ当で現実的な思考を持つことができるようになったようです。これは中国史上において初めてのことです。

そんな若者たちの意見を引用します。

『百度知道』より

历史上真实诸葛亮真的像三国演义里那样厉害??

https://zhidao.baidu.com/question/396720676/answer/2859389599?entrytime=1545588300312&fr=index_ans&word=aizhanzuo%20

※アクセスできない場合はこちら
アーカイブ

「史実の諸葛亮は本当に三国演義のように凄いんですか??」と質問されています。日本でもよく見かける質問ですね。

この問いに対する回答、aizhanzuoさん2017/12/28

怎么说呢,每个人理解的角度不同吧。三国演义里描述的诸葛亮“多智近乎妖”,当然是引人反感,甚至让人因此翻案说诸葛亮其实不咋样。 我觉得诸葛亮很牛,比三国演义里的还牛。当然不是什么奇门遁甲木牛流马之类的法术了,而是作为一个活生生的人,历史上少有人能达到他的水平。

日本語訳
「人によって見解は違うし、三国演義では諸葛孔明を妖のような智識を持ち合わせた人物として描写されているため、反感を買いやすいだろう。 だけど自分は諸葛孔明が一番すごいと思っている。三国演義の中の諸葛孔明よりもすごいと思う。もちろんそれは法術(魔法)ができたからではなく、一人の生身の人間として、歴史的にみても彼のレベルに達した人は少ないと思う。」

理由として三つ上げられていますが長いので要約すると、一つ目は「分析能力」二つ目は「戦略、統治」について語られています。
三つ目のみ翻訳していただきました。

第三个,人格魅力吧。十七八岁不懂事的时候读语文课本里的《出师表》,完全是按老师要求死记硬背,一点感觉都没有。今天再看前后两篇出师表,把自己代入到那个年代,你会看到一个孤独又伟岸的老头,在深夜皱眉苦思、临表涕零,就会明白这几百个字被赋予了怎样的情感和执着,就会明白为什么这篇文章会被传诵千年,孔明为什么这样被人敬仰。有时间有兴趣的可以再翻开体验一下。

日本語訳
「三つ目: 人格魅力でしょうか。 17-18歳のガキだった頃に国語の時間で【出師表】を読んだときは、完全に先生に無理やり勉強として暗記させられただけで何も思わなかった。でも今日、前と後を二回読んでみて、自分を当時の時代に入り込ませるとそこには深夜に眉をひそめて、先帝に綴る文を前にして涙が堪えられない孤独で品の良い老人がいる。どのような情念と執着がこの何百文字に込められているのか、なぜこの文章が千年も伝誦され語り継がれるのか、なぜ孔明がここまで人に敬われるのかが判るだろう。時間があり興味があれば一度読まれると良い。」

翻訳はブタノハナさん。
素晴らしいページの紹介と翻訳に大感謝!

史上初めて真実の歴史を学ぶことになり、あのような言論弾圧のなかでも自ら知識学問を高めていこうと努力している、大陸中華民のことを私は尊敬します。

この人々には(中共が消え去った後の)東アジアの平和と繁栄を託せるのではないかと期待します。
彼らがいる限り、東アジアの希望が消えることはないでしょう。多謝。
どうかご安全に。今後の困難な時代を生き延びて欲しいです。

 

★補足。諸葛亮が現代に生まれ変わっても「興復漢室」は唱えません。古典を現代で悪用するな!という話

「興復漢室」で誤解しないでください。諸葛亮は(私も)伝統原理主義ではない

 

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