曹操信者の歴史修正主義【善悪反転】、ナチスと同じ手口だった

曹操信者の歴史修正主義【善悪反転】、ナチスと同じ手口だった

「曹操を善・蜀人物を悪」と定める曹操信者たちが、史実を180度反転するために様々な詭弁(ヘリクツ)を用いていることはこのブログで何度も書いてきました。

では具体的にどのようなヘリクツを使って、被害者・加害者を反転した歴史を初心者たちの脳へ刷り込んでいるのでしょうか?

先日読者様から『曹操信者の歴史反転手口について』三国志ファンの方がまとめたページを教えていただきました。削除に備え引用しておきます。

(教えてくださった方へ。UPが遅くなりすみません)

いつもの通り曹操カルト信者による良心皆無の主張が気持ち悪過ぎるため、正常な人間としての心を持つ人は精神的ダメージを受けることでしょう。メンタルが弱っている時は読まないようご注意ください。

 

曹操信者、善悪反転するための狂気思考

以下投稿はこれまでの曹操信者による狂気の発言が端的にまとめられた良質問です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12283098072 より引用。

曹操ファン(に限らずとも彼らに影響されてる人)は事実ではないこと、

歴史書に書いてない恣意的な解釈の展開があまりに多すぎると思います。

知恵袋で妄説を展開するのも言論の自由だとは思うのですが
もっと良心と知識を学ぶべきではないでしょうか・・

何かと曹操の悪事を「なかったこと」「軽いこと」にしようとしたり、
「史実でどうなっている」というより「曹操は不当に貶められているだけで本当は立派な人だった」
という被害者意識タラタラの前提ストーリーありきでものを見て
それに都合の悪いものを否認してませんか。

彼らがよくやるのはストローマン論法やワットアバウティズム論法とか、
俺ルールや俺論法で勝手に否認した気になっているのが多いと思います。

以下おかしな言説の具体例(沢山ある中の一部です)

・曹操は偏った書籍で悪く言われてるだけ
→××× 幅広い歴史書で悪く言われてる。曹瞞伝ガーは論外

・曹操は皇帝にならなかったから忠臣だった。漢を尊重していた。
→×× 論外。 レイプ魔を「レイプしたけど殺人までは犯さなかったから紳士的」と称えるのと変わらない

・孔融処刑は自業自得(曹操は悪くない)
→× 劉基が悪行の例に出すように当時からダメなこととして扱われていた

・徐州虐殺は同時代で批判されていない(だから虐殺そのものがなかった)
→×× 孫策はじめ複数個所で言及があります。

・徐州崩壊は飢餓が主要因。曹操に第一の責任はない
→×。曹操に攻め込まれて崩壊した、と陳寿三国志に記載がある

・董承は勝手に曹操暗殺を企んだ。献帝は巻き込まれて迷惑していた。
→× そんな記述はない。献帝は董承殺害を憎んでいた。

・曹操は汚職を憎む清廉な人だった。
→× 他人の汚職は罰しているが本人も重犯罪経歴で汚職してるため清廉ではない。

・曹操は宦官の孫で不当に差別されていた(なのに頑張ったから偉い)
→△ 頑張ったのは事実だが、祖父の代から不正に利益を教授していたため正当に嫌われていた

・曹操は人間的に立派な人だった。
→× 魏を正統として扱った陳寿三国志でも徳業では称賛されていない。

・曹操は徐州以外では虐殺していない。
→× 官渡の戦いの捕虜生き埋めの他、屠城だらけ

・屠城に残虐な意味はない。
→× 残虐な意味で使われている用例が多数。
否定するなら残虐な意味で使われていないのを出すべき

・長坂の戦いで民が被害にあったのは劉備が悪い
→×× 論外すぎて話にならない

・自称皇族の劉備と違って曹操は正当なエリート、貴公子だった
→×× 陳寿三国志に明確に胡散臭い血統と書かれてるのが曹操。
劉備はそんなこと書かれていない

te9********さん 2023/7/18 16:52


 

オエ……曹操信者/歴史修正主義者たちの狂気の主張が気持ち悪過ぎますね。

 

ここで三国時代の史実を一つ一つ考察することは控えます。

一件ごと取り上げて反証するまでもなく、史実では完全にte9さんの仰る通りです。

当ブログでも繰り返し書いてきた通り、曹操が各所で民間人を虐殺していたという事実は、直近の史書である陳寿著『三国志(正史)・裴松之注』に記載されています。正史で「諸書にすべて同様のことが書いてある」と書かれているのは、「当世では曹操の虐殺狂ぶりがあまりにもお馴染み過ぎて詳細を書くまでもないだろう」、という意味です。

ここでも抜粋:

諸書にすべて、公(曹操)が穴埋めにした袁紹の軍勢は八万だったとか、あるいは七万だとかいっている。

〔翻訳文:『正史三国志1』ちくま学芸文庫 P46-47 ( )内は筆者による〕

詳細はこちら→ 曹操ってどんな人? 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

曹操ってどんな人?〔後編〕 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

 

さて。

1800年間もの長きにわたり大勢の歴史学者によって分析され事実だと証明されてきたこの記録を、いきなり現代日本のネットユーザーが否定し始めたと思われるでしょうか?

te9さんたち旧来の三国志マニアたちは、心の底から「蜀人気をひがんだ曹操信者によるヘリクツ」と信じているらしい。

でも考えてみてください。一般人にこんな「ああ言えばこう言う」、オウム真理教の幹部のごとき狂気を極めたヘリクツを考える能力があるでしょうか? しかもあくまでも嘘をつき続ける鋼(はがね)の精神力など持てるでしょうか?

否。

これは高度な詭弁と心理学の技術をベースとする歴史修正手法です。このような技術と良心喪失のソシオパス脳を獲得するのは訓練(調教)を受けなければ不可能です。

史実を突き付けられているのに少しも良心の痛みを覚えず、嘘をつきとおすことができるのはプロ信者だけ。つまり歴史改変を正義の使命と考えるイデオロギーのカルト信者だけです。

まあここまで言っても現実を見ようとしない歴史マニアたちも一種のカルト信者みたいなものですね。言っても無駄だから諦め。

 

まだ何の信者でもなく、冷静に現実を学びたい方はこちらをどうぞ:

毛沢東と『三国志』、曹操崇拝について。蜀を「悪」と定め貶めた中国共産党

 

曹操信者の歴史修正手法はナチスと同源

上記の歴史修正シナリオは、「どのような屁理屈を使うか」といった細部の手法に至るまで中国共産党に服する学者が考え、信者たちによって実行されているものです。

最近ウォッチしていたWikipediaの歴史修正主義者たちの主張が典型例。

賢い人であれば、たとえばこのような記録からカルト思想信者たちがどのような手法で歴史修正工作をしているかのパターンが読み取れるはずです。

曹操-Wikipedia虐殺粛清史 言論封殺、歴史修正まとめ(23/9/10までの全記録)

軽くパターンを抽出しておきましょう。

1.党や宗教団体など、カルトの指導部が「歴史反転」を命じる。

2.団体お抱えの歴史学者たちが「歴史反転」するための詭弁を様々に考え、論文として発表する。

3.2の論文「歴史反転用台本:新解釈歴史」だけが正しいと主張。下位カルト信者の工作員たちが2の論文を台本として用い、台本通りの主張を大声で叫ぶ。

4.原典史書を参照することを禁じ、物理的にも言論的にも史書を焚書する。反論者は集団の圧力で黙らせるか、殺害を実行して言論封殺する。

5.最終段階。大資金を投入して大々的なメディアプロパガンダを行う。コミックや映画などフィクション、ネット上の言論、学者の一般向け解説書、論文に至るまで全方位の言論の場で「歴史反転用台本:新解釈歴史」を叫び続け、嘘を真実に変えていく。ここまで来ると一般人は抵抗できずに改変された歴史を信じるしかない。史実を叫ぶ人は「陰謀論者」「空想史を信じるバカ」のレッテルを貼られ孤立化して存在を消される(我々のように)。→三国志ジャンルは今ココ

【“嘘も百回唱えれば真実になる”手法――開祖:ナチスのゲッペルス、レーニン】

 

近現代史に詳しい方はお気付きでしょうが、これはナチスが行った歴史修正の手法と完全に同じです。

後にレーニンとスターリンがソヴィエトで歴史修正の技術を高めました。

現代でこの手法を受け継いでいるのが中国共産党です。中国共産党は「曹操・始皇帝⇔蜀人物・孔子」の善悪反転を実行するためにこの歴史修正技法を駆使しています。もちろん自分たちの蛮行を無かったことにするために最も多用していますがね。

三国志ジャンルにおけるナチス手法を駆使した一例:「屠」の意味を改変して虐殺の事実そのものを無かったことにする

…これは言葉の意味を改変したり、すり替えることで事実を消す(ように見せかける)歴史修正技法です。言葉を奪って議論不能とする効果もあります。
参照『1984年』ニュースピーク

――何故、ナチスと同じなのか? と言うと源の思想が同じだからです。

ナチスは共産主義者を殺したので「同じ」と言われると混乱するでしょうが、実は思想のルーツが同じなのです。欧州起源の悪魔崇拝ですね。

天地逆転、神を殺して悪魔が君臨する地獄の実現を願うカルト集団の流れを汲む。

悪魔崇拝と呼ぶと読者が陰謀論に流れがちですので、私は「反転思想」と呼ぶことにしています。

基本的には「宇宙の反転」を願う思想。

ですから、彼らは世界中どこでも善悪反転するために文化破壊・歴史修正しています。

詳しく書くと長くなりますのでまたいずれ別記事で書きますが、とにかく

曹操信者=ナチスと同じ

と覚えていただくと分かりやすいかと思います。

ということはナチスの歴史修正技術に関して分析した本を読むと、信者たちの言動パターンが理解しやすいかもしれませんね。

 

〔最近私が気になっている本〕

(アマゾンより引用)

歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書, 2664) 新書 – 2021/10/18

本の紹介:

ナチによるユダヤ人虐殺といった史実について、意図的に歴史を書き替える歴史修正主義。フランスでは反ユダヤ主義者の表現、ドイツではナチ擁護として広まる。1980年代以降は、ホロコースト否定論が世界各地で噴出。独仏では法規制、英米ではアーヴィング裁判を始め司法で争われ、近年は共産主義の評価をめぐり東欧で拡大する。本書は、100年以上に及ぶ欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う。

〔たぶんこちらも参考になりそう〕
noteでの紹介記事『小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』岩波書店、2023年、A5判、120ページ、902円(税込)。 』

記事より良文引用:

途中に紹介した『歴史修正主義』が出たときも、とても話題になりました。修正主義というと、実際にあった学問潮流と同じ名称になるので、先行研究を無視して、飛躍した論理で現在の定説や合意されている理解を否定する場合には、英語では歴史否定論者といいます。

名称はなんであれ、このような人々の存在はずっと危惧しています。ホロコースト否定論者や、日本史を歪んだ形で理解している人々はよく見ますし、ここ数年で「歴史戦」という言葉も聞くようになりました。…

よく文系は短期的に金銭的な利益が出ないという意味で役に立たないと言われますが、役に立つときは危険な状態だと思っています。本来必要な手続きをすっ飛ばして、欲しい結論に飛びついているだけの状態になっている可能性が高いからです。最近は本屋でもトンデモ本と言われる類の本がよく売っています。需要があるのでしょう。

こちらができる対抗手段は、本書にもあったとおり、先行研究を押さえた研究者が入門書など一般向けの本を書くことだと思います。研究者の間では、専門書>新書や一般書という序列があり、業績としての重さも異なるため、一般向けの本を書くのは忌避される傾向にありました。しかしその間に、眉唾なトンデモ本が大量に出回ってしまったわけです。

このような本はたいてい左翼がナチスを批判するために書いているので滑稽ではあります。自分たちもナチスと同じ、いやそれ以上の歴史修正犯罪をしているのだから。

“独善”思想により自分たちの蛮行については永久に反省することがない。これこそカルトがカルトである所以。ともあれ、犯罪者自身による同族分析として役には立ちます。

 

デフォルメと歴史修正は異なる

最後にエンターテイメントのためのデフォルメと、「善悪反転」目的のイデオロギーによる歴史修正は異なる――犯罪性は天と地ほども差があるという話をします。

 

先日『パリピ孔明』ドラマ感想の記事

この創作(演義のようなデフォルメ・エンターテイメント)が駆け上がったことで「事実など誰も求めていないのだ」と思い知り。史実に生きる自分は世間の人々にとって必要なかったな、と感じています。

と書いたのですが、誤解のないよう付け加えておくと「史実を自分勝手に捻じ曲げるのは自由。後世のイデオロギー上の都合で史実を反転させ180度書き変えても良い」とは言っていませんので念のため。

上の記事で言いたかったのは、“史実を盛ってデフォルメしたエンターテイメントこそ多くの人が求める創作である”ということです。

歴史フィクションとして許されるのは史実に沿った、デフォルメとして大げさな設定を盛った創作のみ。

史実を180度反転させる歴史捏造・歴史修正は人類への敵対行為であり、人として決して犯してはならない最大級の犯罪です。この人類を裏切る罪を犯せば、自ら「人間辞めました!」と宣言するに等しいと言えます。

 

現実を言えば盛り過ぎのデフォルメが害となることもあります。

私は決して『三国演義』が完全に健全な創作だなどとは思っておらず、中華文化に与えた弊害も様々あったと思います。たとえば「ズルいことをして勝利しても良い」という策略至上主義だとか。

だからかつての私は『三国演義』を嫌い、盛り過ぎ設定に腹を立てていました。

しかし上記の虐殺王マンセー・善悪反転の狂気を目の当たりにして以降、『三国演義』がいかに史実に沿った真心のあるエンターテイメントだったかを理解しました。あくまでも比較で、ですが。

ましてエンターテイメントで楽しませ、多くの人々へ三国時代の物語を伝えてあの時代にあった核心(真実)を広めてくれたことは偉業。かつてクレームを言い続けた羅漢中にも今では感謝しています。

 

同じことが『パリピ孔明』にも言えます。内容はぶっ飛んだギャグで、時代設定も異なり、孔明のキャラクターは『演義』以上に史実からかけ離れています(当たり前。あんな妖怪が現実にいたら怖い)。

それなのに物語の根底に流れるテーマは、三国時代にあった核心的な真実を正確に描いているのです。このような物語であればどれほどデフォルメ度が高くても許されるでしょう。

 

まとめると…

デフォルメは可、史実反転は犯罪。

どの程度のデフォルメが許されるのか?ではなく、史実へのリスペクトがあることが歴史創作として許される条件でしょう。

人々の心を踏みにじる目的での「歴史反転」は決して許されない非・人間の行いです。何度でも書きますが、彼ら歴史修正主義者は人類の敵です。

 

〔アイキャッチ画像:Wikipediaより引用 Bundesarchiv, Bild 183-B06275 / Heinrich Hoffmann / CC-BY-SA 3.0

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