諏訪緑『時の地平線』は日共が掲げる孔明像だった

『時の地平線』(諏訪緑著/小学館)という諸葛孔明を描いた漫画をご存知でしょうか?

古典で描かれる“神算鬼謀の天才孔明”ではなく、悩み苦しみながら人生を歩む一政治家として諸葛亮を描いた作品です。

この作品の孔明は優秀ではありますが、死体を見て吐くなどナイーブな面が強く、ファンの不興を買いました。

ネットでは“時地”主人公のことを

ヘタレ孔明

と呼ぶのが一般的で、批判の声も高かったようです。

私は個人的に、強権的な人物や「天才」という言葉が嫌いですから“時地”の孔明を好ましく思いました。また、はっきり言って史実もヘタレ(ナイーブ)な面があること否めませんので、リアルに近い諸葛亮※が描かれたと感激したものです。

※私が「リアル」に感じた理由は自分のブログが作品で参考にされた感覚があるせいかもしれません

史実:

孔明ってどんな人だったの?に回答。諸葛亮の実像・性格分析【年表あり】

ただし『時地』では孔明が「曹操への復讐心だけで動いている」かのように描かれていること、マキャベリスト風に描かれていることなど、納得しかねる設定も多々ありました。それは作者の諏訪緑さんが、フィクションに影響されて孔明をサイコパスだと思い込んでいるのだろう… と考えていたのですが。

後にそうではなく、政治思想的な目的によってあの漫画が描かれたのだと気付き衝撃を受けました。この件は後述しています

まだ三国志ジャンルに政治的な思惑が浸透していることに気付いていなかった頃、「天下三分計が描かれていない」・「オーソドックスな演義に反している」等の設定を称賛してしまった自分を反省します。

ここに上げるのはその、何も気付いていなかった頃に私が書いたレビュー。

読者の方々をミスリードしてしまったお詫びに、2021年現在の考えで訂正しつつ掲載します。

〔本文は2007年筆〕

★9/30補足追加 「朝廷を憎悪」史実とも作品の内容とも違う紹介文に呆れる

 

作品紹介

『時の地平線』とは?

世にもめずらしい、リアリティある諸葛亮(孔明)を主役とした三国志マンガです。

いわゆる三国志、として多くの人がイメージする創作ではありません。
なんと英雄が一人も出て来ない。
刀を振り回して千人斬りする超人もいなければ、絶対的作戦を考える天才もいない。

登場するのは、悩み苦しむ一人の政治家や、戦争に巻き込まれて死んでいく民間人たちです。
このため、地味な作品と言えるでしょう。

しかし、徹底して現実らしさにこだわった設定は重厚です。
(とは言え女性誌での連載だったためソフトな表現ではあります)

戦争描写にもデフォルメがない。
単純に繰り返されるおバカな「正義」もない。ここが歴史創作では他にない。

ところどころに散りばめられた著者自身の言葉、その深い思想には打たれ、心揺さぶられます。

近現代のノンフィクションに匹敵する味わいでした。
歴史好きな方はもちろん、歴史物が嫌いな人でも楽しめる作品だと思います。なにしろ歴史物嫌いな私が読めたので。

また優しい絵や表現が女性に受け入れられ人気を博している漫画ですが、この深くリアリティある味わいは男性にもお薦め出来ます。

(筆者プライベートの話であるため略)

ただ『時の地平線』の設定は史実と異なるところが多々あります。そのまま鵜呑みにしないようご注意を。次の解説「史実と違うところ」をお読みください。

史実と違うところ

こういうことは本来、言わずもがなのはずですが。
残念ながら、創作設定を鵜呑みにし・しかも永久に自分で調べない、という人と現実によく出くわします。
せめてここに来た方だけでも混同されないよう、『時の地平線』設定と史実の違いの主なところを書いてみます。
歴史創作家さんたち、頼むから解説でオリジナル設定の箇所を示して欲しい。

※以下、見出しの文が『時地』設定です

孔明が貴族出身(豪族)ではない。一般庶民の立場から貴族を軽蔑し、非難している

これは現実ではありません。
諸葛亮は思いっきり「良いところの坊ちゃん」。
つまり名門であり、貴族(豪族)とも言える家系の出身者です。

1巻あたりで孔明が友人のホウ統を非難する場面がありますが、これは少々滑稽です。自分の家だってホウ家に比べて劣らず金持ちだろと突っ込み入れたくなりますね。

史実においては、貴族出身の孔明がどうして“民衆”寄りのイメージを持つのか不可解に見えるでしょう。
このため、『時の地平線』ではあえて彼を庶民出身ということにして、貴族と対立させたのかもしれないです。

なるほどそのほうが、創作としてはシンプルで分かりやすい。
貴族VS搾取を憎む庶民、という構図なら、資本主義VS共産主義という設定が脳にすりこまれた現代人に理解しやすいでしょう。(付け加えると、三国時代には資本主義VS共産主義という構図は存在しません。歴史を作り変えて誤った解釈をしないようご注意ください)

しかし貴族出身という現実は、たとえ創作でも隠さないで欲しかった。
人物の葛藤はなるべく変えないで欲しいのです。

と、これは個人的な我がままですが。
2021年の追記

太字の箇所、今読み直して「なるほどそれはそうだろう」と思いました。
諏訪緑さんが『時の地平線』で描きたかったのは、貴族VS搾取を憎む庶民=資本主義VS共産主義というイメージ物語だからです。
史実を書く気など始めから無かったようです。
諸葛亮が貴族出身者であることを諏訪さんは本当に知らなかった可能性大ですが(左翼は歴史をきちんと学ばないのでプロ作家であっても三国志の基本を知らないで書いている)、知っていても「書かない自由」とやらで歴史を歪めたかもしれません。

若い頃の孔明が旅をし、曹操など有名人たちと会見する

これこそ言わずもがな、激しくフィクションです。
どうか鵜呑みにしないでください。
現実の諸葛亮は曹操に会ったことは一度もありません。
若い頃は当然ながら、死ぬまで会ったことは一度も。
しかしフィクションとして面白いオリジナル設定だと思いました。

2021年追記

この「若い頃に曹操と会った」というオリジナル設定で、諸葛亮が曹操への復讐心だけを原動力として生きていくという物語を捏造したかったようです。

これはあくまでも曹操を上に置き、諸葛亮のことは「我が曹操様を目指したが届かなかった可哀そうな勘違い野郎」ということにする共産党の方針にならった空想です。

後に共産主義者たちはこの空想をフィクションではなく、「史実だ」と叫んで歴史捏造しています。

参照。ある団体による歴史捏造活動:

「諸葛亮が曹操を崇拝していた理由」? はじめての三国志がYouTubeでまた嘘をばらまいている

ロウという妹がいる

これは鈴のことではないか?と想像しました。
諸葛鈴という妹のことは記録に残っています。現実は義理の妹ですが(と私は考えます)、彼女もホウ家の人と結婚したのではなかったか。
ロウの吐く台詞が胸に痛かった。
涙なくしては読めない場面でした。

魅力的なホウ統

現実かどうか分かりませんが、ホウ統はあまり容姿の良いほうではなかったと書かれていたように思います。一般的な創作でも、もっと無愛想で、謎めいた天才として描かれているはずです。
たぶんホウ統をこのように魅力的な好人物として描いた創作は、他にないのではないでしょうか。
この漫画の設定は史実ではないけど、素晴らしく良いオリジナルだと思いました。
友情のストーリーにも不意打ちで感動です。

劉備が劉邦と同じ顔、同じキャラである

諏訪先生の別作品の劉邦を見た時、完全に同じ顔なので受けました。
当たり前ですが、先祖と全く同じ顔というのは史実ではあり得ないと思います。
が、劉備が史実どおりに描かれたことはないので、これでもマシなほうではないでしょうか。

趙雲が体育会系(猪突猛進な武将系)キャラ

趙雲の描き方は、一般的な創作でもこうみたいです。
だからこれが最もポピュラーな趙雲像、と言えるかも。
逞しい武将というイメージが浸透しているらしい。
こんな明るい人物も私は好きですが、史実の趙雲は違います。
史実の趙雲は、諸葛亮でさえ参らせた几帳面で生真面目な人でした。
(彼の几帳面さはそのエピソードともに記録に残っています)
現実はもっと線の細い優等生タイプ、と考えるのが正解でしょう。

2021年追記

諏訪緑さんもそうですが、共産主義者は歴史書を読まないのでしょうか。

プロの作家として歴史をモデルにした創作をするなら必ず『正史』などに目を通すはずですが、諏訪さんが歴史書を読んだ形跡はありませんね。『正史』を一度でも読めば、諸葛亮が名家出身だったことや、趙雲が几帳面だったことなどの基礎知識が得られるはずだからです。

酒見賢一など、他の左翼系の作家が皆そうであるように(はじ三ライターも)、商業本で発表する歴史創作であるにも関わらずネット検索で知識を得ていた形跡があります。次項目参照。

 

奥さんが十六歳下である

たぶん晩年に生まれる子供のことを考えての、オリジナル設定です。
現実にこんな記録はないので鵜呑みにしないでください。
しかし、もしかしたら正解に近いのかもしれない。
このくらい差があると考えたほうが現実的で妥当なのです。
私も今まで考えたことはなく、少なからず驚愕しました。

〔後日追記〕書くべきかどうかずっと迷っていたのですが、やはり追加しておきます。この十六歳という夫婦の年齢差は、偶然にも筆者の家庭と同じです。十五や二十などの切りの良いところではなく十六という微妙な数……。うーん。偶然なのでしょうか?(つまり当時の筆者のブログが参考にされた可能性を感じた、という話です。もちろん数字の一致だけを根拠にこう考えたわけではなく、この漫画における諸葛亮の人物像が、当時ブログに筆者が書いていた内容とそっくりだったからという前提があります。これは気のせいかもしれませんが作者が検索で知識を得ていた可能性は高いと思います)

天下三分計の事実上の否定

私がこの創作で最も驚いたのは、諸葛亮による天下三分計を描かないことで事実上、否定していることでした。
他の三国志創作はほぼ全てと言って良いほど、“天下三分計”を前提として話が進められていく。ところが驚いたことに、この『時の地平線』は天下三分計を中心としたストーリーの進め方をしていない。
既存の説に囚われず、近現代を含めて人の営みを眺めることが出来る諏訪先生のような方なら気付くことなのだと思いました。

2021年追記

ここは本当に謝りたい。悪い目的で行われた歴史修正を、称賛したりして本当に申し訳ありませんでした。

昔の私は諸葛亮が持ち上げられ過ぎであることが嫌で嫌でたまらなかったし、天下三分計などの「社会計画を提示した」ということで三国時代のA級戦犯扱いされていることが納得できなかったので否定したかっただけです。

共産主義者たちがこのように「諸葛亮が天下三分計を出した」ということを否定したいのは、諸葛亮の功績を全否定して貶める目的のためでした。そのために今、孔子学院長の渡邉義浩も「天下三分計を考えたのは諸葛亮ではなく、呉の魯粛だ。偉大だったのは魯粛である」と声高にプロパガンダしています。

(これはオーソドックスな古典を否定、文化破壊するという目的のなかの一つです。一時代の歴史修正という問題にとどまらず、人類の遺産を破壊して心を消し去るという共産思想の目的に基づくもの。非常に有害です)

こんな人類を滅ぼすための犯罪を擁護してしまって反省します。

天下三分計については色々思うことがあるのですが、それはまたの機会に書きます。

若干、異議を唱えたい

天下三分計はないにしても、この主人公はやはり論理的で賢い人物として描かれ、理想社会を提言する力を持っています。(2021年追記:共産主義者だから、マンガの主人公も当然に共産主義者っぽく描くんですね)

彼の計画によって社会が動いたかのように見える場面も多々ありました。
こんなふうに“志”を持って社会を計画しようとする人物は、カッコイイのかもしれない。
そういう人物に皆、憧れちゃうんだろうなと想像します。
誰でも自分を引っ張ってくれるヒーローが欲しいですよね。
そのほうが安易で、お気楽ですもんね?
何も考えないで誰かについて行ったほうがラクですよね。

でも忘れてはいけないと思う。
たった一人の天才が社会を計画し実現出来たことは今までに一度たりともないのだということ。
これまでもなかったし、これからもないはず。

もし絶対的で理想的な社会計画を唱える人間がいたら疑ってかかったほうがいい。
そんな人間に中毒するのは地獄への道
制度のみで実現する理想社会、永遠平和はありえない。
時代とは皆で緩やかに作り出していくものだと私は思います。

2021年追記

これは「社会計画」に中毒している共産主義者たちを批判した文章です。

ここに書いたことは間違っていませんでした。今も変わらぬ信念です。

三国志創作で庶民が描かれたという、奇跡

この作品では何よりも弱者へ焦点が当てられたことに感動しました。
三国志創作では殺される役としてしか一切登場しない庶民が、人間として描かれていることが嬉しくてたまらなかった。
人の営みはいつの時代でも同じ。
現代と同じく古代でも弱者は踏みにじられ地獄の苦しみを味わってきた。
古代だけには英雄の輝きがあって、夢が見られると思い込むのは甘過ぎる。
現代のことも知らない人に古代の何が分かるというのか。
まず自分の生きている時代の常識について知る心がなければ、古代を眺めても全く意味がないと思います。むしろ夢に中毒するだけ有害です。

2021年追記

共産主義者たちはただ「庶民よる国家転覆(革命)」のために庶民を持ち上げているだけなのですが、怪我の功名で良い創作設定だったと思います。

一般の人々へ焦点を当てるべきことは民主主義の理念に照らしても間違っていませんし、諸葛亮の信念とも合致します。

しかし庶民が真に中心とならないのは惜しい

三国志創作では唯一と言って良いほど、庶民が登場する『時の地平線』。
その点で私はこの作品を奇跡だと思いました。
ですが、この作品ですらまだ庶民は劉備や諸葛亮に「保護」され、動かされる存在でしかありませんでした。

既存の三国志が庶民を全く登場させないのに比べ、その存在に光が当たっただけで、このジャンルにおいては飛躍的な進歩だと思います。
だけど庶民が“駒”に過ぎないのは残念……。
いつか庶民のエネルギーが中心となる創作の登場を夢に見ます。

※「諸葛亮の口」・「曹操の口」という喩えがもしかしたら庶民のエネルギーのことを表されていたのかも、と感じるふしもあります。が、やはりあくまでも神秘的なレベルでの二元エネルギー(陰陽?)対決、と捉えたほうが正しい気がする。〔2021年〕ここは誤りでした。単に共産流の二元対決を表現しただけですね。彼女らは三国時代を「曹操VS諸葛亮」と単純化し、マルクス流の二元論になぞらえているようです。

二元論的階級闘争についてはこちら参照:

共産主義が生まれた歴史と、カルト思想との戦い方【共産社会主義の分析2構造】

2021年追記

庶民を革命に利用するため持ち上げながら、実際は庶民に焦点を当てることはない。

一般大衆のことは、トップが動かして操るべき「羊」で「奴隷」だと思っている。

……これこそまさに共産主義者のダブルシンク(二重思考)です。民を称えながら奴隷化する、『時の地平線』は共産流ダブルシンクを正確に表現した作品であるとも言えます。

劉備と諸葛亮の信頼関係が薄い故の、ほころび

『時の地平線』でストーリーの軸となるのは曹操と孔明の対立でした。
劉備と諸葛亮の関係にはほとんど焦点が当たらない。

劉備との出会いから出仕の決断に至るまでの話も、あまりにさらっと流されていた。
これだと、それまで出仕をしぶっていた主人公が劉備を選んだ理由を読者は理解出来ないのではないでしょうか……?

その後も劉備との間だけではなく、劉備陣営の人々とも信頼関係が希薄でした。
死ぬまで孔明は「あの軍師」などと呼ばれるお客さんでしかなかった。
無論、創作としてこういう淡白な方向性を選ばれるのも仕方ないです。
劉備と諸葛亮の信頼関係は好き嫌いあるでしょうから、ここは「なかったこと」にして済ませるのも創作として構わない。
しかしフィクション部分が淡白に過ぎたために、
「君が王になれ」
と言った劉備の現実の台詞が浮いてしまいました。
たぶんこのストーリー展開だと、劉備が最後にあの台詞を吐いた理由が全く伝わらないのではないかと思います。
フィクションに徹するなら、現実の劉備の台詞はカットすれば良かったかもしれないです。

2021年追記

劉備と諸葛亮の信頼関係が描かれないのは当然でした。共産主義者たちがこの世で最も潰したいと考えているのは、この「人と人との信頼関係」「絆」です。

そのために友人同士で殺し合うことを推奨するのはもちろん、子供が親を殺して内臓を貪り食うことを命令したりします。

共産主義者にとって人間社会は、完全に計算された計画のシステムだけで動く機械的なものでなければならない。だから、心は要らない。「絆」などあってはならない。(絆があれば党の命令に従うだけのロボットにはならないから)

そんな思想を提唱している共産主義者たちの体には、心は宿っていないのでしょう。

心が無ければ、劉備と諸葛亮の信頼関係が理解できないのも仕方ないですね。人間であることをやめた心無いただの“物”に人の気持ちが分かるはずがないからです。

参照。人と人の絆を否定し潰したい、共産主義者たちの活動:

劉備と諸葛亮は、いがみ合っていた!? 「君可自取(お前が政権を取れ)」遺言の真相

 

三国時代に限定しない所感、まとめ

全体にこの作品は古代を舞台に借りた、近現代を描いた物語ではないかと私は勝手に感じました
主人公は近現代の誰かがモデルになっているよう。
私はゲバラではないかな?と思いましたが。
(上にも書いた通り個人的妄想です。ゲバラにしては軟弱過ぎます)

モデルが実際には誰であろうと、少し前の世代の人たちが思い浮かぶのはやはり、近現代好き故の気のせいなのでしょうか。
全体を貫く平和主義。
「農民」に対する同情。
計画社会を実現しようとする志。
「復讐」を考えたりする主人公の怖い一面も、潔癖なあまり処刑を繰り返した彼らとダブります。
そして著者がそんな上世代への憧憬を抱きながらも、彼らの失敗を眺めて批判的な考えをお持ちになっていることも伝わってきました。(と勝手に想像しています。気のせいだったら本当にごめんなさい)
平和主義と弱者への共感に涙しつつ、正義という言葉の危険性を立ち止まって考えさせられる、つくづく奥深い作品でした。

注、諸葛亮と共産主義は無関係です。
(そもそも緑先生は近代を意識して描いていないかもしれない。だが現実にそう受け取る読者がいることは事実です)

確かに「泣いて馬ショクを斬る」の歴史的事実から、諸葛亮にも処刑好きの冷徹なイメージが付きまといます。
戦争屋でありながら平和主義者の気配がしたり、弱者寄りの視点を持っていたりする(ように見える)諸葛亮は、現実にも『時の地平線』の主人公とそれほど遠くないのかもしれません。

でも、時代が違えば主義も異なるということは念頭に置く必要があるのではないでしょうか。
『時の地平線』では、近代でしか生まれ得なかった思想が散見されるように思います。※この全てを彼ら古代人が計画していた、と思い込む読者は夢想家過ぎるでしょう。
未来に似たものがあるからといって、古代のそれが完全に同じわけがない。
まだ存在しない未来を過去にそのまま持ち込むのは間違っている。
(確かに近現代の思想家たちは過去の哲学や思想を学んで主義を打ち立てました。しかしだからと言って、過去の哲学者を創設者と呼ぶのは言い過ぎです。たとえばプラトンには社会主義を創設する意図はなかったはずです)
思想や主義の誕生は時系列に考え、区別すべきでしょう。

※古代から中国には弱きをたすける共栄思想があることは確か。義侠とは中国にもともとある主義精神。その弱者救済主義が現代に照らし合わせると共産的に見えなくもない。現代中国もそのあたりごっちゃにした故に発展したものと言えるかもしれない。しかし、似て非なるものと私は思う。

2021年追記

「全体にこの作品は古代を舞台に借りた、近現代を描いた物語ではないかと私は勝手に感じました」これは大正解でした。

諏訪緑さんが描きたかったのは近現代の共産主義者の姿であり、三国時代ではありませんでした。

過去から見て「時の地平線」の彼方である現在、彼女の眼に映るのは社会計画が実現する理想社会?

近代の共産主義者に見立てた諸葛亮が冷酷だという設定で描いた彼女に、「共産思想は危険なカルト」だという自覚はあるのか。それともただ、「過去の先輩たちは酷いことをしたが今の我々は違う」という修正主義という名のご都合主義に溺れるだけでしょうか。

私事メモ(痛かったお言葉)

以下、諸葛亮に関して当たっているな、正しいなぁと思ったお言葉をメモ。

・5巻 p22

〔子龍〕
てめえひとりでなにもかもやってると思うなら大間違いだぞ
おまえひとりで働いてるみたいな顔するな!!
もっとまわりを信用しろ!
信用してそして説明しろよ!

・巻、ページ数忘れ

「うっとおしい性格。全てを自分の責任と思って背負うんじゃねー」

・9巻P130

〔バタイ〕
「孔明さま……
あなたはあまりにも性急で理詰めです
きっと……
野心もなく悪気もなく理屈は通っているのでしょうが
それではバショクさまのお心は動かせません」

・3巻 206

誰も誰かの思いどおりになんかならない――

〔ロウ〕
お兄さま
わたしの人生はわたしのもの
(お兄さまの人生もお兄さまのもの)

今までの三国志創作では描かれることのなかった、現実的な人物像です。
もちろん現実そのものではありません。
現実の諸葛亮は『時の地平線』の主人公ほどにバランスの取れた常識人ではないし、善良な非暴力主義の人間ではない。

ただし上のご批判に関しては、「現実」の諸葛亮に向けた言葉として非常に正確で正当だと感じました。
まさに、クリティカルヒットです。
これは現実の記録を大切に読み込まれた故だと思います。(ではなくて現代のネット上にモデルがいたかもしれない)

諏訪先生がかつて他の作品で描かれた諸葛亮は、一般的なイメージそのままのファンタジー孔明でした。
ファンタジーから『時の地平線』の現実へ生まれ変わるまでに、ものすごく勉強されたのだと思います。(たぶんネット検索で…)

ところで、このようにリアルな物語だけが現実生活の参考にする価値があると私は考えます。
人物像がリアルであるから、似たタイプの人は参考に出来るわけです。

たとえば私は最後の台詞を特に衝撃をもって読みました。
愛する人の幸福を願うことさえ、傲慢ゆえの我がままかもしれません。

「うっとおしい」はストレート過ぎて笑った、確かにうっとおしいだろう……。
「ひとりでなにもかもやっている」と思いがちで、報告・説明を省いてしまいがちなのは私も同様です。
似たようなタイプの人間、現代人には多い気がします。
これらの言葉に痛みを感じる人は鑑として参考にしよう……、反省。

しかし、
――満身創痍。(涙)

他。
痛かった台詞ではないですが、不思議だったこと。

英)「髪 いつもザンバラ?」

あ そうか 警戒されたんだ
「ええと…単に結いあげるのがめんどうでね。罪人に見えるかな?」

自作品の設定と一致したので個人的に面白かった。(もちろんこんな記録はない)
“罪人に見える”はさすが(検索先で調べただけあって)、細かいです。

それから、
「曹操と孔明が似ている」
との意見は驚きました。

2021年追記:「曹操と孔明が似ている」とする設定は共産党の方針によるものでした。失礼しました。

……それにしても子龍や徐庶、劉備はあれだけ現実の記録とかけ離れたフィクション上のキャラクターなのに、孔明だけこの痛々しいリアルさは何なのだ。差があり過ぎて不思議だ。やはりどなたか近現代、あるいは現在生きている人間たとえば先生の身近な人物でモデルにされた人はいなかったか?と疑う。←ここは上に書いた通り自分のブログが参考にされたかもしれないという話です。

 

諏訪さんが左翼の任務を務めているらしいこと

〔2020年筆〕
最近『時の地平線』作者の諏訪さんがTwitterで日共党首・志位氏をフォローして時々「いいね」を押していることに気付きました。残念ながらこの作品も某思想集団の意志で描かれた、洗脳教科書だったようです。つまり「正義」「正論」潰しの口封じ。儒教をはじめとする伝統文化破壊工作。
今、中国文化に基づくフィクションはことごとく政治思想の目的で使われているようですね。残念です。

諏訪さんはこの作品で、左派の“ソーカツ!”処刑を批判しているように見えるため私は彼女が共産主義を嫌っているのだと誤解しました。しかし批判は日共と同じ「先輩否定の自己正当化」に過ぎなかった。内ゲバの他グループ攻撃に過ぎません。
つまり諏訪さんは日共的なお立場から、“中共の象徴”と決めつけた諸葛亮を否定したかったわけですかね(無意識になのか命令によるのか知りませんが)。
内ゲバはいずれ自分に還ります。諏訪さん始め日共の支持者たちは、自分もいつか同じことをする可能性があるとのご自覚はあるのでしょうか?

ともあれ所属グループによって人格の部分が否定されるわけではないので、私は諏訪緑さんを差別することは致しません。グループの皮を取り除いた核の人格だけ観ることにします。
この作品が描いた「弱者に寄り添う心」は確かに諸葛亮が目指したもの。それは共産思想とはまるで別種で、次元が違いますが、「民のために」生きたという本質は正しいです。

正義・正論潰し、儒教など伝統文化破壊の暴力はどうかやめていただきたいが、この作品が既存フィクションへ投じる疑問は役に立つでしょう。

…それに他の露骨な諸葛亮への悪口作品に比べたらこの作品は遥かにマシ。あくまでも昨今の日共的なマイルド暴力(笑)、という意味ですが。

文化破壊の目的がスタートだったかもしれませんが、既存フィクションを否定することによって、今までフィクションによって封じられていた諸葛亮の人格を開封してくださったと言えます。この点、感謝致します。(あくまでも諏訪緑さんの作品に対する“感謝”であり、他の共産主義者たちによる非人間な捏造史・貶めを認めるものではありません

日共について関連メモ(筆者運営。別URLです)

日本共産党、暴力革命について「歴史修正」および「現在修正」

 

補足:「朝廷を憎悪」史実とも作品の内容とも違う紹介文に呆れる

補足として、『時の地平線』が依頼を受けて描かれたプロパガンダ作品である証拠を示しておきます。

Amazonの紹介文(2021/9/30現在)より引用

 

朝廷軍の将軍・曹操に、朝廷への憎悪をむき出しに立ち向かってくる少年がいた。彼こそが諸葛亮孔明―軍師として史上名をはせた天才の、若き日の姿である。

この紹介文のどこが共産流プロパガンダなのか、お分かりになるでしょうか?

まず徐州虐殺で一般住民をジェノサイドしていたときの曹操のことを「朝廷軍の曹操」と呼んでいますね。つまり一般民ジェノサイドなどを行う共産主義者にとっての素晴らしいスター、「我が曹操様」を正統な朝廷軍の将軍と見立て称えているわけです。

※「朝廷軍」というのは嘘です。史実はこちら:

曹操ってどんな人?〔後編〕 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

反対に、ジェノサイドの現場にいて殺戮者を眺めている少年(ここでは孔明のこと)を「朝廷への憎悪をむき出しに立ち向かってくる」と表現しています。

ジェノサイドに憤りを覚える人々を“逆賊”呼ばわりですよ。異常な発想です。現代ニュースでよく観る中国共産党のスポークスマンと完全に一緒の理屈ですね。「我々は完全に正しいから我々のウイグル民虐殺は正義。批判するアメリカなどは逆賊」、この驚異的な自己中心・独善の発想は中共でも日共でもほとんど違いはありません。

以上の紹介文の内容は毛沢東の命令で書き換えられ、中国と日本の共産主義者が共有し推進している捏造史観です。こちらの記事参照。→毛沢東と『三国志』、曹操崇拝について。蜀を「悪」と定め貶めた中国共産党

アマゾンの紹介文は集英社にプロパガンダ作品制作を依頼した者が書いたのだと思いますが、驚くべきことに出来上がった作品すら読まずに文章を書いていますね。笑(作品内で孔明少年は朝廷への憎悪など抱いていません)

または、この紹介文そのものが諏訪緑さんへ出された指示書である可能性があります。

なお史実では、皇帝を傀儡として殺人を繰り返し、皇帝から誅殺命令も降った曹操のほうこそ正式な「逆賊」です。徐州住民虐殺も曹操の私的な事情で行ったジェノサイドですから、朝廷が派遣した軍という意味の「官軍」にはなりません。それをあたかも献帝が曹操に行わせたジェノサイドであるかのように表現するとは、憤りを覚えますね。

人類に敵対する虐殺を「官軍の正義」と呼ぶ。これが善悪反転の地獄に住む、共産主義者の本性です。まさに人類にとっての逆賊。