東映アニメ『三国志』(1992年)レビュー。天下三分計の改変に潜む現代計画
- 2022.05.08
- 古代中国史
- プロパガンダ, 三国志(初心者向け解説), 三国志(趣味雑談), 三国志ジャンルの犯罪, 劉備, 提言, 諸葛亮(孔明)
あまり知られていませんが、1992年~1994年に『三国志』の日本製アニメ映画があったそうです。
動画配信サイトGYAOで無料配信されていたため観てみました。
フィクション三国志を苦手とする私が最後まで観たのは快挙。せっかく我慢して観たのでレビューを書いてみたいと思います。
ざっくばらんに書きます、『演義』を揶揄するところもありますが本気で非難しているわけではないのでご容赦ください。
そんな小さなことよりこの作品には、『三国志』初心者を迷い道へ誘い込む巧妙な罠が仕掛けられています。露骨な史実反転を仕掛けた『蒼天航路』とは違ってカモフラージュされた罠ですので、この点だけはどうしても解説しておかねばなりません。
映画情報
まず映画の情報から。
豪勢な俳優陣、昭和レトロなアニメ
1992年~1994年、日本製の映画です。Wikipediaによればシナノ企画により制作され東映が配給したらしい。
ジャニーズアイドル元祖フォーリーブス、あおい輝彦氏が劉備の声を。渡哲也氏(後半は渡瀬恒彦氏)が曹操の声を演じるなど、豪勢な声優陣は当時注目されたことでしょう。今は故人となられた名優も多いです。このためキャラクターの声は貴重、と言えるかもしれません。
董卓が『ヤッターマン』ドクロベエの声(滝口順平氏)だったのが個人的にツボでした。フォーリーブスは、私もさすがに世代ではないので分かりませんでしたが…すみません。渡哲也氏の声だけは『西部警察』を思い出して懐かしかったですね。
音楽や台詞の言い回しなど、演出は全体に「THE昭和!」という感じです。1992年にしても若干、古い演出だと思います。
まさに昭和半ばの時代にタイムスリップしたかのような錯覚を受ける雰囲気があり、私は小さい頃に祖母が観ていた時代劇『水戸黄門』などを思い出して懐かしく感じました。…三国時代へのタイムスリップ感は皆無(笑)だったのは残念ですね。
【参考】三国時代へのタイムスリップ感は『琅琊榜』後半にありました。三国志で描かずに古代中華の本質を抽出した創作です。
15億の制作費は何に費やされたのか? 尻すぼみ失敗作
このアニメ制作にかかった費用は15憶円だそうです。
アニメ制作で15憶円とは……いったいどうやればこの素朴な作品でそこまでかけられるのか分かりません。確かに背景画は美麗で、鶴が舞い上がる風景シーンなど瞠目しましたが、キャラクターの動きは単調でお金がかかっているようには見受けられず。CGもなさそう。
(参考までに。同時代ジブリの『風の谷のナウシカ』で約3憶円、『ラピュタ』で8憶円です)
そこまで費用をかけた大作アニメだったにも関わらず、ストーリーが尻すぼみで支離滅裂なためファンの不興を買い話題にならなかったのでしょう。私も横山光輝の『三国志』マンガ・アニメなら称賛の声をよく聴きますが、東映アニメ映画があったとはファンからも聞いたことがありません。出演された名優たちが気の毒過ぎます。
いったいどこにその大金が費やされたのか。俳優陣のギャランティーだけでそこまでかかるとは思えず。
なんとなくですが、中国へ行って撮影した実写のエンディングに多くが費やされたのでは?と想像してしまいます。
1980年代後半、天安門事件前の中国大陸の映像は今となっては貴重。私もあの実写エンディングだけは「おおー!スゴイ」と声を上げてしまいましたが、それにしてもこの撮影許可を得るため中共政府へ幾ら積んだのだろうかと想像し複雑な気持ちになりました。
在りし日の白帝城などの映像には感謝します。しかしどうせ三国時代当時の姿ではありません。
80年代中国市民の記録映像はNHKに任せておけば良かった。あるいは、さだまさし制作の中国記録映像が観たい。こんな半端な実写映像よりも、三国時代人物とファンへのリスペクトが欲しかったなと思います。
映画感想
ここから本題で映画のレビューとなります。
初訪問の方のために書いておきますと、筆者はほぼ正史『三国志』(記録書)しか読んだことがない者であり、『演義』系フィクションを通しで味わったことはこれまで一度もありませんでした。吉川英治も、横山光輝も、読もうとチャレンジしたことはあるのですが早い段階――それこそ桃園の誓い辺りで挫折しております。『演義』の内容は知っていますが、これは解説書やファンの方々の話から得た知識です。詳細設定は知りません。
そのため『演義』を基準に、蜀ファンVSアンチの立場から話をされても分からないことが多くて、三国志ファンの方々とは話が噛み合わず。申し訳ないです。
今回、GYAOで約二時間半×3作(しかも無料)で観られるということで、ようやくフィクション『三国志』を観る決心がつきました。途中で挫折せずに観ることができたのは自分としては快挙、ということになります。
ダイジェスト版『三国志』。とは言え第一部は良作
映画レビュアーたちも口を揃えて書いていますが、ダイジェスト版みたいな作りのアニメでした。
(私が無事に観ることができたのもダイジェストふうで入り込まずに済んだからだと思います)
『三国志』はとても長い物語で、たったこれだけの時間で表現することは不可能。だからダイジェストふうになってしまうのも仕方ないのかもしれません。
それにしても重要シーンはカットしたわりに、後半は余計な場面ばかりでドタバタ、しかもオリジナルキャラを出して史実を貶めるという愚行には呆れました。レビュアーの皆さん仰っているように第三部は観る価値なしです。
とは言え、第一部は多くの人が共有する『三国志』フィクションのお馴染みな設定が描かれた良作でした。
何より劉備が主人公なところが良いです。関羽、張飛のキャラクターもたぶん古典的で「お馴染み」な感じです。
東洋文化として『三国志』を語るなら絶対に知らなければならない桃園結義(=桃園の誓い)が描かれたのは好ましく思います。台詞などは本場の『演義』とは違うのでしょうが。
桃園結義シーン
中国共産党がこういった義理人情を重んじる文化を否定していますので、中国製ドラでは桃園結義が描かれない傾向にあります。たとえば『三国志TK』では桃園が一瞬映るだけ、劉備・関羽・張飛の人物紹介すらされなかった、という意味不明な展開でした。
日本でも同様で、最近では中国共産党の指示に従った左翼創作である、曹操を主人公としたマンガや小説(『蒼天航路』など)しか世に出されない状況となってきました。桃園結義などの「人間同士の絆」や義理人情は描かれないどころか、嘲笑されて踏みにじられています。代わりに曹操の大虐殺が絶賛されているという。日本はまさに悪魔崇拝者の天国と化しています。
このような人間の心が絶滅しかかっている地獄の地では、桃園結義が描かれたというだけの三国志でもホトケの世界に見えてしまうでしょう。
東映『三国志』の高評価レビュアー曰く、「未来に伝えたい良作」とのこと。おそらく私と同じように最近の悪魔崇拝作品と比較してマシに見えたのだと思います。三部を除けば。
初めての人が「三国志ってどういうもの?」と知るためだけの目的だったら、この映画の一部・二部前半はおススメです。
品行方正な劉備、孔明のスーパースター設定
この『三国志』アニメでは劉備が品行方正、孔明も出仕直後からスーパースターというステレオタイプなキャラクターとなっています。
これは古典『演義』通りだと思います。
東洋圏共通の『三国志』文化を知るためにはこのようなステレオタイプキャラを学ぶことが肝要です。(…と思って耐えるべし)
実は筆者は、今までこういう演義設定キャラが生理的に耐えられずフィクションに挫折してきたのです。ようやく成長できたのか、「文化を護るため」と唱えて耐えることに成功しました。
『演義』設定に一個だけ突っ込ませてください
今回はファンの方々を傷付けるような文句を言うまい!と胸に誓っていたのですが、ごめんなさい、一つだけおかし過ぎて笑ったところを発表させてください。
三顧礼のシーンで…
昼寝していた孔明先生27歳、目を覚まして劉備の訪問を知り「正装しなくては」と言って着替えに行くが…
いきなり晩年の姿となって登場!笑 (しかも急にオッサン化。二十代に見えない)
あの帽子はたぶん高位の官帽をイメージしてデザインされたものでしょう? つまり丞相の官帽のつもり。二十代の出仕していない若者が、自宅でどうしてその恰好をしているのだ。馬鹿なのか。
…もう、申し訳ないと思いながら笑いましたねえ。
羽扇を持たせるのはキャラ設定で仕方ないと思うし、魔法を使えるなどのトンデモ設定は心の準備があるから無視できるのですが、こういう普通のシーンでトンデモを出してこられると笑いのツボに入ってしまいます。勘弁してくださいな。
若い頃の諸葛亮の自宅スタイルとしては、始めに昼寝していたときの着物が自然なのではないでしょうか。『出師表』で言う「布衣」とはああいうシンプルな感じ。
ちなみに晩年の姿としても、あの恰好は正確ではありません。現実で羽扇は持っていない。中国の肖像画ですら明代『演義』以降の想像図のはずですから、どうか本気にしないでください。史実・諸葛亮の仕事服は司馬懿や荀彧の衣服をイメージしたほうが近いと思います。
【史実】参考までに仕事内容についてお話。一般の『三国志』フィクションでは戦場にて絶対勝利の作戦を囁くスーパースター孔明ですが、史実の軍師(三国時代)職務は全く異なります。諸葛亮の仕事について、「現実どうだったか」をお話しした記事はこちらです。
東映『三国志』の宜しくないところ
さて第一部~二部前半くらいまでは「古典を知るにはおススメの良作」と書きました。
しかし、第二部の半ばくらいから次第に怪しくなってきます。
これは何らかの意図を含むプロパガンダだと感じるところが多くなりました。そう思われる箇所を上げていきます。
天下三分計が「平和のための計略」にすり替えられている
すでに孔明の登場シーンからおかしな点があります。前項で書いたのは罪のないフィクション演義のお笑いポイントでしたが、こちらは少々イデオロギーの意図があるのでは? と思いました。
それは孔明が天下三分計を語るシーンです。
史実では、
「劉備は曹操を駆逐し、いずれ天下統一して漢王室復興するために呉と組み、益州を手に入れて“天下三分”せよ」
というのが諸葛亮が進言した“天下三分計(てんか-さんぶんの-けい)”なのですが、あくまでも最終目標は天下統一で漢王朝復興であり、「三分のまま」という考えではないことになっています。
史実どうだったか? 諸葛亮がどう考えていたか? の議論はここでは措いて、あくまでも記録では以上のように書かれているということです。『三国志』を冠した創作でこの『正史』根幹を変えるのは難しいはずです。
ところが東映アニメでは平然と
「恒久平和のため天下三分して統治する」
という計画にすり替えています。
え、パワーバランスで統治? 平和のため??
怪しい臭いが漂い始めますね。
確かに、誰が提唱したか忘れましたが「諸葛亮は中華を三分して小さな国家で統治することを計画していた」という論があるのは知っています。私もその説は当たらずも遠からずと考える者です。また、三国時代当時ではなくむしろ2022年現在においては、統一と分裂を繰り返し衰弱していくばかりの中華を救う選択肢ではないかとも思います。
しかし「平和のためのパワーバランスで三分割する」と言うのはどの時代でも違うと思います。
三権分立は数学的システムとして優れており、独裁者登場を避ける目的ならある程度の利用価値はあるかもしれない。
しかし完璧なパワーバランスを保つ三国鼎立には常に軍事対立が必要。それは永久に戦争をし続ける社会という意味になり、人々はずっと「戦争は平和」「平和は戦争」と二重思考を唱え続けることになります。
これこそ人民を奴隷化するための永久戦争論というものです。
オーウェル『1984年』の三国支配構想と同じ意味になりますね。
絶対駄目でしょう、そんなディストピアを実現させたら。永久戦争のディストピアを「平和」と呼び求めるのは共産主義者だけです。当時の諸葛亮の頭にそのような発想があるわけありません。
(天下三分計についてはいずれ論じますが、おそらく当時の諸葛亮はシンプルに韓信にならって戦略を立てただけのことだと思います。つまり劉備が曹操の野望を阻止して天下統治するための軍事戦略に過ぎず、イデオロギーではないということ)
やはり、曹操を美化している
「平和のため」というキーワードを出した時点で怪しいなと思い始めましたが、やはりこの東映『三国志』では曹操が過剰に美化されています。
第一部は良作だと皆が言っているのは徐州住民虐殺が描かれたからでしょう。たいした時間は割かれませんでしたが、今はこれを否定する歴史修正主義者が多く三国志創作で100%カットされる話なので、触れただけでも良心的でした。
ただ、それ以外の曹操の横暴についてはほぼ全てカットされています。
特に朝廷での横暴、大量粛清、気分で行っていた忠臣たちへの拷問処刑などの話が描かれることはありませんでした。
【史実参照】
また、関羽が殺されたときには曹操と関羽との思い出シーンが劇的な歌をBGMに再生されます。レビューにもあるとおり「まるで関羽と曹操の悲恋物語のよう」で、ものすごく気持ち悪かったです。
これは明らかに毛沢東崇拝からの曹操崇拝、の意図で作られたアニメなのだなと分かりました。
『蒼天航路』ほど堂々と嘘を描いていないのは、まだ日本人のなかに古典を愛する文化が残っていたので炎上を恐れて控えたのでしょう。
これで前項の「戦争は平和だ」という共産ワードとも繋がりました。
まあ、この当時の中国に取材部隊を出して中国人の様子を撮影できていること自体、察し…という感じですがね。(つまり中国共産党と仲良しの団体が制作したアニメだから可能だったのだ、という意味です。後述)
諸葛亮は酷薄な共産リーダーとして人格改造
数々の虐殺粛清を無かったこととし、情に厚い立派な人物として人格美化された曹操。
いっぽうで案の定、対照的に残酷人物として人格改造されているのが諸葛亮です。
死にゆく周瑜を冷たい目で眺めているだけ
荊州を取り戻すために攻撃してきた周瑜との戦闘シーンで、ラストに周瑜が階段を駆け上がって孔明を殺しに行こうとします。ところが周瑜はその途中で病のために倒れ階段から落ちて死ぬ… という展開が描かれました。
この時、駆け上って来る周瑜を孔明は冷たい目で見降ろしているだけです。関羽を救済した“人徳者”(笑)曹操とは対照的な表現。
いくら一時敵対したとしても病気の人の手を取りもせず、落ちていく姿を冷たい目で眺めているだけなどということができるでしょうか? 史実の諸葛亮には、病人を冷たく眺めるだけなど絶対無理なことでしょう。
もちろん言うまでもないことですが、このシーンは史実とは全く異なります。よく知りませんが一般の『演義』とも違うのではないでしょうか。(『演義』では孔明が周瑜を憤死させたはずなので、もっと酷いと言えるかもしれませんが…。敵を殺した孔明エライ、と思いたい民間感情での創作? 念のため書いておくと史実の諸葛亮は周瑜を尊敬していたはずです。周瑜が生きていた頃の諸葛亮は出仕したてのペーペーであり、周瑜は仰ぎ見る尊敬すべき武将でありました)
ここは東映『三国志』制作者の、諸葛亮を残酷に冷たく描きたいという気持ちがよく表れたシーンだと思います。
馬謖処刑は「国を鎮めるための生贄」と歴史改造
さらに諸葛亮が馬謖を処罰したシーンでは、オリジナルキャラである“関羽の娘”ことメアリー・スー※の口を使って
先生は天下や国家のことしかお考えにならなかったんですね!
人の心を……人の命を、そんな勝手にもてあそんで、なにが正義の闘いなんですか!
私には分からない。先生も、正義という言葉も……(泣)
と言わせています。
※メアリー・スーという呼び方はGYAOレビュアーのコメントからお借りしました。的確な表現。まさにこれこそ正確な意味でのメアリー・スーだと思います。⇒メアリースーの意味
つまりメアリーは、諸葛亮が「国を鎮めるためだけに馬謖を生贄にした、何の理由もなく彼を殺して命をもてあそんだ」のだと仰る。
驚くべきことに馬謖が故意に軍法違反をし、部隊を全滅させたという経緯は「無かったこと」にされてしまいました! そして諸葛亮がただ国家を鎮めるためだけに馬謖という生贄を選び、殺したのだということに歴史書き替えしてしまった……。(国を鎮めるための生贄と言うが、当時は特に国内で反乱など起きていない。意味不明。中国共産党とは違う)
何故、馬謖のしたことは無かったことにされてしまったのでしょう。闘うこともできず死んでしまった兵士たちの命はどうでも良くて、無実の彼らを死へ追いやった馬謖だけは救うべきだったということですか? 「優秀な人材だから」というそれだけの理由、あるいは諸葛亮と仲が良かったという理由で贔屓しろと? 命にはそのような軽重があって、弱い人民はゴミだから死んでいいということなのでしょうか。不公平過ぎるでしょうに。
いかにも共産主義者らしい理不尽な階級主義だなと思います。彼らはいつでもこのように命を階級で差別し、選別している。その選別の基準が法の抑えもなく曖昧で恣意的だから、いつ自分が選ばれて生贄にされるか分からず人民は怯えて支配されている。これこそが恐怖政治です。
生殺与奪の権を法ではなく「共産党」が独占しているからこそ恐怖支配となり、全体主義の独裁国家となるのです。命をもてあそんでいるのはメアリーたち、あなた方のほうだ。
許しがたいのは、この場面では諸葛亮を、天安門で若者たちを殺して生贄にした鄧小平になぞらえていることです。
ただ共産党の延命をするためだけに「少数の若者たちを殺せばいい」と言って恣意的に生贄とした恐怖政権と、軍法に基づきやむなく部下を処刑せざるを得なかった将に過ぎない者とを同次元に並べ、「諸葛亮は中国共産党の主席と同じです♪」とイメージ操作した。
いくらなんでも許せない。鬼畜による歴史修正と言えるでしょう。
豆知識 「正義が分からない」と唱えるのは地獄を実現させるため
なお、ここでメアリー・スーが唱えた「正義という言葉が分からない!」という呪文は、左翼集団がよく唱えているお題目ですから気を付けて。
これは善悪を破壊し、正義を無きものとして、虐殺などの暴力を自由に行える社会を招き寄せるための呪文です。
私のところにもよくこのような左翼マンガに洗脳された人が来て「正義なんて分からない。善悪なんて無いのよkeiさん!」などと分かったふうな説教を垂れて行かれます。どこかからコピーした言葉を唱えて恥ずかしくないのか、それがどれほど有害な呪文か知らないのか。
過去このような呪文を唱えた者たちが地上に実現させたのは、こちらの記事で紹介している地獄だと知ったほうが良いでしょう。しっかり眼を開いて学んでください。
【あなたの道徳破壊が招き寄せる地獄】
映画製作者の正体とその目的
この映画製作者の正体と作品の目的は、最後に登場するメアリー・スーによって明かされました。
カモフラージュされていて分かりづらいですが、これは毛沢東の指示「曹操を美化せよ」「蜀を貶めよ」を実現するために造られた、左翼による映画なのです。何も知らない若い人たちを伝統破壊・道徳破壊へ誘導するため密かに仕掛けられた罠です。
冒頭の第一部が『演義』をリスペクトした良作に見え、罠と分かりづらいのが『蒼天航路』よりかえって悪質だなと感じました。
制作会社のシナノ企画は創価学会…
後で調べて知ったのですが、制作会社はシナノ企画。これは創価学会のための映像を制作する、創価学会関連会社です。
そう言えばエンディングに流れるテロップで「聖教新聞提供」と書かれていましたので奇妙に感じましたが。
なるほど……創価学会の映画。
であれば、共産主義団体が作った映画に等しい。仕掛けられた罠にも納得です。
創価学会は左翼の巣窟
何故、宗教団体であるはずの創価学会に「左翼(共産主義)」がいて中国共産党や北朝鮮と近い関係なのか。よく分からない人も多いと思います。
共産主義は神や魂を否定し、宗教を禁じていますので理屈に合わないと思われるのではないでしょうか。でも創価学会が毛沢東の思想を崇め、その指導に従っているのは事実です。北朝鮮とも仲が良くマスゲームなどで交流しています。
また創価学会は、仏教系の宗教団体を名乗っているのにあろうことか魂を否定し、輪廻転生を否定している唯物思想です。魂や幽霊などの存在を信じると「地獄へ堕ちる」と教えられます。「死んだら無」と教える唯物思想のくせに地獄だけは有ると言うのは不可解ですが、この教義も共産主義と酷似していますね。
私も最近まで知りませんでしたが、創価学会は第二次大戦直後、リンチ事件を起こして警察に追われていた共産主義者たちを信者として迎え入れ隠匿したとか。陽の当たらない場所で生きるルサンチマン同士、手を結び合ったのだと言えるでしょうか。
以降、創価学会には一般社会で生きられなくなった共産主義者たちがなだれ込むようになり、「左翼の巣窟」と呼ばれるようになったらしい。そして唯物主義者による仏教団体、という矛盾した宗教団体となっていった…とのこと。
このため創価学会は左翼イデオロギーを持つわけです。過剰で偏った平和主義も、護憲運動やフェミニズムも、信者として創価学会に潜む共産主義者たちが生んだことになります。
創価学会の聖書『人間革命』も、東大出で共産主義者のゴーストライターが書いたと言われます。
戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。
『人間革命』冒頭
本心から述べますがこの冒頭文は名言で、私も共感して痺れた覚えがあります。……まさか共産イデオロギーだったとは知らず。残念です。
もしも本心から平和を望んで書かれたのであればこの冒頭文は称賛に価するでしょう。しかし共産主義者が真実を語ったことは未だかつてありません。共産主義者が語る言葉は常に“反対”。つまり本心では逆のことを考えているのです。
彼ら共産主義者が、口では平和を叫びながら戦争を起こしてきたことは歴史上の様々な記録から裏付けられています。また、今も永遠戦争を計画して工作していることは明らかです。
創価学会が支持する公明党という組織一つを眺めてみても、かつて護憲を叫んだのに転向して自民党と組み公約を翻しました。この事実だけでも分かるでしょう。平和を叫ぶ共産イデオロギーへついて行けばどうなるか。
「戦争は平和」「平和は戦争」です。
今この時、オーウェル的「天下三分計」が実現されようとしている
たかがアニメと笑うことなかれ。
世界計画のための洗脳はこのような子供向けの創作のなかに隠されています。左翼が作る創作には全て革命工作の意図があり、その暗合を読み解くことで彼らの計画を探ることができます。
このアニメ映画で改変された「天下三分計=永遠戦争」には、特に注意が必要です。
世界の共産主義者はまさに今、このオーウェルが描いた地獄の三国鼎立を実現させようとしています。
まずはロシアを沈没させ、最後の帝国主義を滅ぼす計画。
その後にアメリカ VS 中国 という二極で世界人類を山分けして支配する。これが彼らの計画するグレート・リセット。
もう一極はこれから創り出すつもりでしょう。現実には存在しない、彼らの空想の中だけの敵国として。
ここからは私が望む夢です。
どうせなら空想ではない本当の第三極を作りましょう。
古典的な「道徳」を抱き、多神教である寛容主義の第三極を。すなわち、現代の「蜀漢」を!!
……などと。少々『三國演義』に感化され過ぎてしまいました。失礼しました。ただ私は人間個人が自由に発想できる、支配のないアナログ社会を残しておきたいと願っているだけです。もし願いが叶えば、現代の曹操こと共産党の全体主義にも抵抗できるでしょう。
未来を頼みます、現代の蜀漢人よ。
思考の鎖を断ち切り、個々に飛ぶ鳥となれ。
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