『正議』諸葛亮著 現代日本語訳(原文あり)
〔22年1月2日に投稿した記事ですが、本年でも重要となるテーマを含むため上げておきます〕
諸葛亮が書いた『正議』という檄文が残っています。
劉備が亡くなった後、諸葛亮のもとへ魏の名士たちから降伏をうながす書簡が何通も送られてきました。それで動揺した国民へ向け、また魏へ向けて降伏する意志はないことを示すために書かれたものです。
現代でもそのまま通用する考え方がありますので、ここにわかりやすい日本語訳と原文を載せておきます。
文中、( )内の文は筆者による振り仮名および解説です。また、現代人がすんなり理解できるように超訳で言葉を足している箇所があります。このため正確ではないと思われる表現があるかもしれません。明らかな誤りがあればお知らせください。
翻訳文の引用、YouTubeや印刷物へのご利用は自由です。ただし翻訳文にも著作権があるため当URLを必ずご明記ください。ご明記ない場合は著作権法違反となります。
Contents
『正議』日本語訳
昔、項羽(こうう)は道徳に基づかず華夏(かか)〔※1〕を支配しようとし、帝王のような勢いを持ったが最期は釜茹でとなった。〔※2〕
そのような項羽の人生は、後世「生き埋め虐殺などの人道に反する行いをした者は悲惨な最期を遂げる」という戒(いまし)めとなった。
今、魏はこの戒めを参考にすることなく、項羽と同じ恐怖政治で全土を支配しようとしている。
幸運にも今生きている魏の者たちが罰を免れるとしても、子孫がその戒めを受けることになるだろう。〔※3〕
ところが何人かの魏の名士たちが、私へ「魏へ降伏するように」と説得する書簡を送ってきた。命令を受けて偽りの手紙を書かされたのだ。これはあたかも陳崇(ちんすう)や張竦(ちょうしょう)が王莽(おうもう)を無理やり称えた〔※4〕ようなもの。独裁政権下で禍(わざわい)を逃れるため仕方なく書いたものだろう。
昔、世祖(せいそ。光武帝)〔※5〕がもとの漢を基礎として国を興し、昆陽(こんよう)の郊外で挙兵した。このとき世祖のもとには数千人の兵しかいなかったが、道義のために奮起していた彼らは四十万人の軍勢を破って王莽の野望をくじいた。
このように、道義によって邪道の者を討つ場合、兵士の数は問題なくなる。
孟徳(もうとく。曹操のこと)について言えば、彼は人を騙して勝つ能力で数十万の兵を起こした。ところが陽平で張郃を救おうとしたものの、軍勢は弱まり謀(はかりごと)もうまくいかず、どうにか逃げることだけはできたが敗北し精鋭たちは辱めを受けた。ついに漢中(かんちゅう)の地を喪ったことで、彼は「神器を盗むものではない」と深く思い知った。そして帰還する途中で毒によって死んだ。〔※6〕
子桓(しかん。曹丕のこと)は曹操よりさらに道をはずれた邪な者で、曹操の後継として皇帝の位を簒奪(さんだつ)した。
したがって、たかが数人の者が蘇秦(そしん)や張儀(ちょうぎ)のような詭弁(きべん)を弄して、天まで侵す乱を起こした驩兜(かんとう)のような言葉を用い、唐帝(とうてい。堯のこと)に罪をなすりつけ夏禹(かう)や后稷(こうしょく)を風刺しようとしても無駄。文を書く時間と労力を失うだけだ。そのようなことは立派な人物のすべきことではない。〔※7〕
また、『軍誡(ぐんかい)』に「万人が必死になれば天下も動かせる」とある。
昔、軒轅(かんえん)氏は数万人の軍勢で天下を平定した。まして、我が蜀漢は数十万の軍勢を擁(よう)し、正道にのっとって罪ある者に対抗しているのだ。我々を打ち負かせる者などいるわけがないだろう。
筆者解説
この文では「道義に反する行いをした者は必ず真の意味で敗北する」という人類社会の絶対法則を一般向けにわかりやすく説いています。
絶対法則とポイント
短期の戦場においては、たとえば曹操のような「人を騙して勝利をかすめとることに長けるヨコシマな輩」が勝利することがあるでしょう。
しかし長い目で見れば、謀略だけで真の勝利を獲得することは決してできないと言えます。
まして曹操のように武器を持たない民間人を大虐殺し、自分にとっての功臣まで次々と処刑するなど、人道に背いた行いを重ねれば国をつくっても衰えることは避けられません。自分自身も悲惨な死を遂げる確率が高まります。一代では報いが返らなくても子孫が報いを受けることになるでしょう。
曹操の“邪な”行い:
ポイントを追記しておくと、この文からは諸葛亮が心の底から曹操を軽蔑しており、「曹操のやり方は人としても政治家(軍略家)としても下の下である」と考えていたことが分かります。現代で曹操崇拝の三国志ファンが「諸葛亮は我が曹操様を曹操様を目指していた」と主張していますが、真っ赤っ赤な嘘だという証拠になるはず。ついでに言えば、曹操を褒めている箇所がある『後出師表』は他人の文であったという裏付けにもなると思います。
これは「儒教」の思想が根付いた時代の中華圏だけで言えることではなく、全人類共通の法則です。
『正議』はいつの時代でも通用します。
現代なら「魏」を「中国共産党」に置き換えればそのまま使えるはず。中国共産党が自分たちを「魏」になぞらえているのだから当然ですがね。
この翻訳文を上げるとき、始め「魏」を「中共」に変えて流そうかと思ったのですが、さすがにそれはやり過ぎかなと思って控えました。読者様はご自由に言葉を入れ替えご活用ください。(冒頭に書いた通り、訳文にも著作権ありますので当ブログのURLはお忘れなく)
たんに「正義は勝つ」と言っているのではない
上の文は、一見するとただ
「正義は勝つ!!」
と叫んでいるだけの痛い文に思えるでしょう。恥三などのアンチたちはそのように解釈し嘲笑していますね。心も頭もお寒い者たち。
もちろん諸葛亮もただ正義だけで勝てると考えていたわけではありません。当たり前。武器を持たないデモ隊が、武装した軍隊に向って突進しても無駄死にするだけです。玉砕はやめましょう。
戦いに人材や物資が必要なことは当然。国を護るためには物理的に防衛可能なだけの兵士・装備等を揃える必要があります。しかし必要な軍備を整えた後なら、民間人の支援や国民兵士の“士気”など、「軍備」として数字で示すことが難しい人間心理がかなりの力を持ちます。それらの目に見えない人間心理の力も物理的な軍事力の一種。現代なら数値化しているはずと思います。
当時はまだ、見えない力を数える概念さえなかったと思われます。ただ現場では「士気が勝敗を左右する」と話されていたくらいでしょうか。その点、諸葛亮は数値化することまでしなくとも明白に“人の力”、“民の力”を信じていたと思われます。
(これは民を利用するという意味ではなく「至誠民に通ず」という信頼、信念です。諸葛亮が民を信じていたと私は直観で分かっていましたが、『正議』が決定的に裏付けとなりました)
『正議』文中、「兵士数千人で数十万人に勝利する」などと言うのも正確ではありません。現実では、その数千人の兵士バックに百万人以上の支援者(民)がいる、という状況を表しています。
現代でも正道を守る小さな国が、世界人類の本心からの支援を得たなら巨大な悪魔帝国を倒すことも可能です。
同様の理論について触れた記事:
このような軍事論を一般向けにクドクドと説明するわけにはいきませんので、檄文では「悪は滅びる」「我々は正道を守っているから敗けるはずがない」と端的に表現するしかなかったのです。
「正義だけ」ではどうにもならない人材・物資・作戦のほうは専門家である自分が徹底的に備えるという決意あってこそ、書けた檄文だったと思います。
至誠天(民)に通ず
現実の結果は皆さんご存知の通り。他人の言葉を借りれば「敗けることはなくとも中原を勝ち取ることはできなかった」という結果になります。
それでも真の勝利を得たのは魏と蜀、どちらでしょうか?
1800年の長きにわたって心から憎まれ忌み嫌われてきた曹操においては、「戒めが実現した」と言えるのではないかと思います。
反対に、三国時代当時から今に至るまで、大勢の人々に慕われ愛されてきた劉備・関羽・張飛・諸葛亮…等の蜀漢人物は、真の意味で勝利した※と言えるはずです。
※「真の意味で勝利」について
2023/3/19追記です。当時の現実に関して「真実の勝利を得た」などとご都合主義なことを、私自身は考えていませんので念のため。諸葛亮は当時現実に戦争で勝利する義務がありました。それができなかった故に姜維ら後輩へ重荷を背負わせ、息子の命まで若くして散らし、…さらに後主にあのような屈辱的な言葉を使わせることになりました。その現実を考えれば、「真実の勝利」などという曖昧な言葉でごまかすことはできません。諸葛亮は義務を果たせなかった責めを負うべきなのです。ただし遠く高い視点、神々や後世の人々の視点から見れば、中華の思想文化を育てたという意味で確かに蜀は「真実の勝利」を得たと言えます。その文化は今も強靭な免疫として残り、現代ディストピアをも消滅させる力さえ持ちます。ここで表現した“勝利”とはその次元の話。つまりあくまでも、現代における結果の話です。
今、蜀漢人物たちは嘘八百の歴史捏造で無実の罪を着せられ、筋の通らない誹謗中傷を浴び続けています。しかしそれこそ、洗脳されてロボットとなった「嘘つき工作員による書き込み」。たとえ洗脳されたのだとしても人間であることを自ら放棄し、真実を捻じ曲げ善悪反転した者には想像を絶する悲惨な未来が待っていることでしょう。お気の毒なことです。
異民族や自国民を大量虐殺し、信じがたいほどの嘘を世界中にばらまいている悪魔国家が戒めを受けることは避けられません。いっとき世界支配したかのように見えたとしても、必ず崩壊して消滅、未来永劫「悪魔の国」として罵詈雑言を浴び続けることになるでしょう。人を虐げ苦しめた“悪”は、最後に徹底して真の敗北を味わうことになるのです。
いっぽう、正しい心を持つ人は最後に必ず報われます。
これを“至誠(しせい)天に通ず”といいます。
天で待つ先輩方は我々を見ています。文革という地獄を経ても「天道」を忘れなかった現代中国人のように、どれほどの地獄を味わったとしても人の心を失わずに行きましょう。
『琅琊榜』より再掲。2015年、現代華人の言葉:
2022/3/17追記
この『正議』についての解説文は、「認知戦」という新たな軍事定義と同じだという勘違いを与えるかもしれません。
現代「認知戦」でのプロパガンダによる強制された民意もどきは、ここに書いた自然発生的に下から沸き上がった本当の民意とは異なります。
民意を見えない力として信じることには変わりありませんが、そのためにはあくまでも強制ではない真の民意であることが必要です。
以下「認知戦」との違い詳細:
注釈
※1
「華夏(かか)」とは「中華」にほぼ同義です。漢民族の祖先、夏民族の地を指します。参照:
※2
史実の項羽は釜茹でされていませんが、ここは処罰を受けて悲惨な死を遂げる者の喩えです。当時の人にはこう言えば通じた表現と思います。実際の項羽は劉邦軍との闘いに敗れ、寄ってたかって斬られて死にました…これはこれで充分に悲惨な死に方だと思いますが、「釜茹で」のほうが最大級に悲惨な死の喩えとして中華圏ではよく用いられます。現代でさえドラマに使われていますし、SF小説『三体』にも出てきましたね。「項羽は釜茹でにされてない。諸葛亮はうろ覚え、バーカバーカ」と恥三などアンチたちが嘲笑していますが、つくづく幼稚で恥ずかしい者たちです。
※3
人類社会の絶対法則を説いています。本来、悪業の罰は本人が受けるべきなのですがね。この時代はまだ仏教が中華圏で一般的ではなかったのですが、もしあれば「曹操は業の報いを来世で受ける」と表現していたのかもしれません。
※4
王莽はクーデターで前漢から政権を奪った人物。陳崇や張竦はその追従者。つまりここは、「相手は脅迫されて書かされている工作員だよ」と言っています。
※5
世祖、光武帝は後漢の始祖(建国者)。
※6
「神器を盗む」とは文字通りに神器を盗んだことと、皇帝を傀儡にしたことを表します。「曹操は帰還の途中に毒で死んだ」と言っているのは史実と異なりますが、この当時はそのような情報が流れていた可能性があります。あるいは諸葛亮がそう読んでいたのかもしれません。国の要人が戦場付近で死亡した場合、たいていすぐには公表されず、数か月後あるいは数年後に公表されることもあったからです。
※7
蘇秦、張儀ともに縦横家で弁論にて世を動かした。驩兜は堯に叛いた悪神。夏禹、后稷は悪口を言いようがない神様。…つまりここは現代に置き換えて言うなら、「詭弁を用い善悪反転するのは労力の無駄だよ、サヨクども」みたいな意味。
原文
正議
作者:諸葛亮 蜀漢
昔在項羽,起不由德,雖處華夏,秉帝者之勢,卒就湯鑊,爲後永戒。魏不審鑒,今次之矣;免身爲幸,戒在子孫。而二三子各以耆艾之齒,承僞指而進書,有若崇、竦稱莽之功,亦將偪於元禍苟免者邪!
昔世祖之創跡舊基,奮羸卒數千,摧莽彊旅四十餘萬於昆陽之郊。夫據道討淫,不在衆寡。及至孟德,以其譎勝之力,舉數十萬之師,救張郃於陽平,勢窮慮悔,僅能自脫,辱其鋒銳之衆,遂喪漢中之地,深知神器不可妄獲,旋還未至,感毒而死。子桓淫逸,繼之以篡。縱使二三子多逞蘇、張詭靡之說,奉進驩兜滔天之辭,欲以誣毀唐帝,諷解禹、稷,所謂徒喪文藻煩勞翰墨者矣。夫大人君子之所不爲也。又軍誡曰:「萬人必死,橫行天下。」昔軒轅氏整卒數萬,制四方,定海內,況以數十萬之衆,據正道而臨有罪,可得干擬者哉!
维基文庫 https://zh.wikisource.org/zh-hant/正議 より
句読点および「!」は現代人の付け足しです。
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