「出師の表」わかりやすい現代日本語訳【原文・書き下しあり】

〔2015年筆〕

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「出師の表」とは何か? 世界で一番やさしい解説

現代日本語訳と原文

『出師表』

陛下の忠実なる家臣である諸葛亮が申し上げます。

先帝は大いなる事業を始めながら、志半ばにして崩御されました。
今、天下(この中国大陸)は分裂し、我々の国も疲弊しております。
これはまことに危急存亡の秋(とき)と言えます。

※〔訳者註〕危急存亡の秋: 今にも終わりとなる危機が目前に迫っている重大な時期であること

それにも関わらず、陛下の兵士たちは任務を怠ることがありませんし、陛下の忠実なる家臣たちは自分のことなど後回しで身を粉にして尽くしております。
これはひとえに先帝から受けてお返ししきれなかった格別な恩を、先帝の遺児である陛下にお返ししたいという衷心からの想いがあるためなのです。

陛下はあの偉大な先帝の遺児であり、先帝の後を継がれた“唯一の希望の光”なのです。
どうかその生まれ持った素晴らしい徳を活かし、ご自身を大切にされてください。
(先帝から受け継いだあなた本来の意志で、あなたの威徳を開花させてください*)

陛下がご自身の威徳を輝かせるためには、陛下が志を強く持ち陛下の考えで行動することが必要です。
そのためにも、心が卑しく、欲に溺れているだけのくだらない人々の話に耳を傾けてはなりません。
(名は挙げませんが、誰のことかお分かりになるだろうと思いながら書いております*)
またどうか世間で話されているような、くだらない話を本気にして義を忘れることのなきよう願います。
陛下の忠臣たちの真心があなたに届く道を塞いでしまうようなことだけは、決してなさらないように。

宮廷と政府とは、同じ考えで統一して動かなければならないものです。
(わざわざこのように申し上げるのは、現在、宮廷の方針が政府と離れているからです*)
賞罰を与える基準は分かりやすく統一しなければならず、人物についての評価にも人によって差異があってはならないのです。

法律は司法に照らして公平でなければなりません。
悪いことをした者は罰する。
善いことをした者には賞を与える。
このような賞罰は、陛下の公平なお心をもって判断すべきです。
私心により、その時々の気分で誰かを贔屓して法律を曲げるようなことがあっては絶対になりません。

侍中(陛下の側近、相談役)や侍郎(重要省の長官)である郭攸之・費い・董允たちは、心が清く忠実な臣下たちです。
先帝が選んで陛下に遺したのですから、その誠実さに間違いはありません。
この者たちを信じて頼りにしてください。
私なども仕事の大小に関わらず彼らを頼りにして、助けてもらっているから抜かりなく仕事が出来るのです。
彼らを頼れば必ず陛下の利益となることでしょう。

将軍の向寵は真っ直ぐな性格で公平な人間です。
また軍事に通暁しているので以前、試しに用いてみたところ、先帝が彼を評価して「有能である」と仰いました。
このため重用し軍隊の指揮を任せているものです。
私も軍隊のことでは彼によく相談し、兵たちを団結させ(軍隊内のコミュニケーションを向上してもらい)、兵たちそれぞれの能力を考慮して適材適所で配置することが出来ました。

どうかこのような忠実な者たちを重用してください。

賢く忠実なる家臣を重用してくだらない人物を遠ざけたから、かつて前漢は栄えました。
これとは逆にくだらない人物を重用し賢く忠実なる家臣を遠ざけたから、後漢は傾きました。

先帝とは、よくこのことを話し合ったものです。
あの方はいつもため息交じりで後漢が衰えた桓帝と霊帝の時代を嘆いてらっしゃいました。

陛下の側近や文書省(重要省)の長官、私の補佐官、幕僚長たちはことごとく貞節で、義のために命を惜しまない者たちばかり。
私の願うことは、陛下がこの者たちを信じて頼りにし漢室が再び栄える日が訪れることです。

私はかつて若い頃、南陽という土地で畑を耕して生計を立てていた者です。
貧しい衣服を着て毎日ただ本ばかり読んでいるような貧乏人で、この戦乱の世でどうにか生き延びることだけを考えており、現在のように世間の人々に名を知られることなど全く望んでいなかったのです。

ところが先帝は、私を卑しい者として見下すことがありませんでした。
そして、(まさかあり得ないことに*)ご自身がこの無名な貧乏人のあばら屋を三度も訪ねてくださり、(年下で世間知らずの私に対して同じ目線で*)今後のことをご下問なさいました。

私はこれに心から感激し、この方に生涯を捧げる決心をし、先帝は私が付き従うことを許してくださいました。
後に国家の危機に遭遇して敗戦の際に重要な命令を受けました。
あれからもう二十一年になります。

先帝は私が慎み深いことをご存知だったようです。
そのため崩御に臨んで、私にこの国の重大な仕事を託されました。

ご下命を賜って以来、私は朝から晩までこのことについて考え、心休まる時はありませんでした。
仕事を他人に任せてしまうことで先帝のご遺志が果たせず、先帝の賢明さを傷付けてしまうことを最も恐れたのです。
そこで五月、瀘を渡り不毛の地に深く分け入りました。

今はもう南方は治まり、軍隊の道具も十分に整っております。
まさに今、軍隊を率いて北の中原(当時の大陸の中心地)を平定すべき時です。
我々臣下一同の不才をもって最大限の能力を注ぎ、賊たち(漢皇帝を傀儡としている者たち)を追い払って、漢室を復興させ元の都に戻すべきなのです。

これこそ私が先帝のご恩に報い、陛下の忠実な臣下としての職分を果たすための仕事です。
国内の仕事は、郭攸之・費い・董允たち国内の高官に任せます。
私は軍隊を率いて出征致します。

どうか私に北伐と漢室復興のご命令を下してください。
もし私が仕事を果たすことが出来なければ、私の処罰を決め、先帝の墓にご報告致します。

もし郭攸之・費い・董允ら国政を任された者たちが民に恩恵を与えることがなければ、彼らを処罰し、彼らの怠慢を明らかに致します。
陛下もまたご自身でよくご判断され、善い行いとは何であるかを賢い家臣たちに諮り、よく調べて善い言葉を聞き入れ、先帝のご遺詔(遺言)を深く心にとどめ追い求めてください。

私は、有り余るご恩を受けて感激にたえません。

今、成都を遠く離れるにあたってこの表を前にし、涙が落ちて言うべき言葉さえ分からなくなりました。

 

kei訳 (超訳含む) 2015年/平成二十七年,於日本国-東京

書き下し(読み下し)

先帝創業未だ半ばならずして、中道に崩殂(ほうそ)す。
今天下三分し、益州疲弊す。これ誠に危急存亡の秋(とき)なり。
然れども侍衛の臣、内に懈(おこた)らず、忠志の士、身を忘るるは、蓋(けだ)し先帝の殊遇を追いて、これを陛下に報いんと欲するなり。
誠に聖聽を開張し、以て先帝の遺德を光(かが)やかし、志士の気を恢弘(かいこう)すべし。妄(みだ)りに自ら菲薄し、喻えを引き義を失い、以て忠諫(ちゅうかん)の路を塞ぐべからざるなり。
宮中府中は俱に一体たり、臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、異同あるべからず。
若し姦をなし科(とが)を犯し、及び忠善を為す者あらば、有司に付してその刑賞を論じ、以て陛下平明の理を昭(あき)らかにすべし。篇私(へんし)して内外をして法を異にせしむべからざるなり。

侍中・侍郎の郭攸之・費褘・董允らは、これ皆良実にして、志慮忠純なり。ここを以て先帝簡拔(かんばつ)してもって陛下に遺せり。
愚おもえらく宮中の事は、事大小となく、悉(ことごと)く以てこれに咨(はか)り、然る後施行せよ。必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)し、公益するところあらん。
將軍の向寵は性行淑均(しゅくきん)にして、軍事に曉暢す。昔日に使用され、先帝これを称して能と曰(い)う。ここを以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚おもえらく宮中の事は、悉く以てこれに咨れ。必ず能く行陣をして和睦し、優劣ところを得しめん。
賢臣に親しみ、小人を遠ざけるは、これ先漢の興隆せし所以(ゆえん)なり。小人に親しみ、賢臣を遠ざけるは、これ後漢の傾頹(けいたい)せし所以なり。先帝在りし時、つねに臣と此事を論じ、未だ嘗(かつ)て桓・靈に嘆息痛恨せずあらざるなり。
侍中・尚書・長史・參軍は、これ悉く貞良死節の臣なり。願わくは陛下これに親しみこれを信ぜよ。則ち漢室の隆、日を計りて待つべきなり。

臣はもと布衣(ほい)、躬(みずか)ら南陽に耕す。いやしくも性命を乱世に全うし、聞達を諸侯に求めず。
先帝、臣の卑鄙(ひひ)なるをもってせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)し、三たび臣を草廬の中に顧み、臣に諮るに当世の事を以てす。これに由りて感激し、遂に先帝に許すに驅馳を以てす。
後に傾覆(けいふく)に値(あ)い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ず。爾來、二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知る。故に崩ずるに臨みて臣に寄するに大事を以てす。
命を受けて以来、夙夜(しゅくや)憂嘆し、託付(たくふ)の効あらずして、以て先帝の明を傷なわんことを恐る。
故に五月瀘を渡り、深く不毛に入る。
今、南方すでに定まり、兵甲すでに足る。三軍を獎卒し、北のかた中原を定むべし。庶(ねが)わくは駑鈍(どどん)をつくし、姦凶を攘除(じょうじょ)し、漢室を興復し、旧都に還さん。
これ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。

斟酌(しんしゃく)損益し、進みて忠言を尽くすに至りては、則ち攸之・褘・允の任なり。
願わくは陛下、臣に託するに討賊興復の効を以てせよ。効あらざれば則ち臣の罪を治め、以て先帝の霊に告げよ。
若し徳を興すの言なくんば、則ち攸之・褘・允等の慢を責め、以て其の咎を彰らかにせよ。
陛下また自ら謀りて、以て善道を諮諏(ししゅ)し。雅言を察納し、深く先帝の遺詔を追うべし。臣、恩を受け感激に勝(た)えず。
今、遠く離るべし。表に望みて涕零(なみだお)ち、云うところを知らず。

 

原文

臣亮言。
先帝創業未半而中道崩殂。
今天下三分、益州疲弊。此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於內、忠志之士忘身於外者、蓋追先帝之殊遇、欲報之於陛下也。
誠宜開張聖聽、以光先帝遺德、恢弘志士之氣。不宜妄自菲薄、引喻失義、以塞忠諫之路也。
宮中府中俱為一體、陟罰臧否、不宜異同。
若有作姦犯科及為忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭陛下平明之理、不宜篇私、使內外異法也。

侍中・侍郎郭攸之・費褘・董允等、此皆良實、志慮忠純。是以先帝簡拔以遺陛下。
愚以為宮中之事、事無大小、悉以咨之、然後施行。必能裨補闕漏、有所廣益。
將軍向寵、性行淑均、曉暢軍事。試用於昔日、先帝稱之曰能、是以眾議舉寵為督。
愚以為營中之事、悉以咨之。必能使行陣和睦、優劣得所。
親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也。親小人、遠賢臣、此後漢所以傾頹也。先帝在時、每與臣論此事、未嘗不歎息痛恨於桓、靈也。
侍中・尚書・長史・參軍、此悉貞良死節之臣也。願陛下親之信之。則漢室之隆、可計日而待也。

臣本布衣、躬耕於南陽、苟全性命於亂世、不求聞達諸侯。
先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、遂許先帝以驅馳。
後值傾覆、受任於敗軍之際、奉命於危難之間。爾來二十有一年矣。
先帝知臣謹慎。故臨崩寄臣以大事也。
受命以來、夙夜憂嘆、恐託付不効、以傷先帝之明。
故五月渡瀘、深入不毛。
今南方已定、兵甲已足。當獎率三軍、北定中原。庶竭駑鈍、攘除姦凶、興復漢室、還于舊都。
此臣所以報先帝、而忠陛下之職分也。

至於斟酌損益、進盡忠言、則攸之・褘・允之任也。
願陛下託臣以討賊興復之効。不効、則治臣之罪、以告先帝之靈。
若無興德之言、則責攸之・褘・允等之慢、以彰其咎。
陛下亦宜自謀、以諮諏善道。察納雅言、深追先帝遺詔。臣不勝受恩感激。
今當遠離。臨表涕零、不知所云。

句読点は現代日本の書籍『正史蜀書』(徳間書店)にならい、打ちました。

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