「孔明マキャベリスト」? マキャベリ推し世論の欺瞞と真実
- 2021.06.10
- 古代中国史
- どんな人? 人物紹介, プロパガンダ, 三国志ジャンルの犯罪, 諸葛亮(孔明)
最近の三国志ジャンルでは「孔明は冷酷無情なマキャベリスト!」という話が大量にばらまかれているようです。
確かにフィクションのイメージではマキャベリスト的なところもありますが、史実はどうだったのでしょうか?
ここでは人物紹介記事の補足として、史書に残る諸葛亮の言動を実際に引用し考え直してみます。
★解説を飛ばして本題(孔明はマキャベリストだったのか?)へ飛びたい方はこちら。
★先に基礎的な話を知りたい方はこちら。初心者の方向け記事です:
Contents
マキャベリストって、何?
そもそも言葉の意味がよく分からないという方もいるはずなので、用語の解説をしておきます。
“マキャベリスト”と聞けば、その語源を知らない人でもなんとなく「冷たくて残酷なリーダー」というイメージを思い浮かべるのではないでしょうか?
サイコパスっぽいイメージもあるかもしれません。
たとえば漫画のキャラクターで言えば、『天空の城ラピュタ』のムスカとか。
東洋の歴史人物では、織田信長が最もマキャベリストのイメージに近いです。
曹操もよくマキャベリストと呼ばれていますが、それは勘違いでしょう。曹操は日本で織田信長ふうのキャラクターに作り変えられたのですが、全て嘘。史実の彼は非合理なことも数多くしているので、正確な意味でのマキャベリストとは言えません。
史実の曹操はかなり非合理:
マキャベリスト、語源は思想家の名前
では正確な話を。
“マキャベリスト”の語源は、イタリアの思想家ニコロ・マキャベリです。彼の著した『君主論』を信奉する人々を「マキャベリスト」と呼んだのが始まり。
『君主論』は一言でいえば、独裁者のために説かれた恐怖統治論です。ファシズムや共産思想の統治手法のもとになったと言われています。
「民衆は愚かだから恐怖で脅して大人しく従わせるべきだ」という、独裁者にとっては都合の良い内容。
ここから、『君主論』に説かれたような利己主義者、独裁志向を持つ人のことを広い意味で“マキャベリスト”と呼ぶようになったのです。
具体的にはどんな人がマキャベリスト?
まるで『君主論』で説かれた思想のように、こう考えている人が“マキャベリスト”と呼ばれます。
・目的のためなら手段を選ばず
・他人をコントールするため嘘をつくことは正義である
・弱者は切り捨てて強者(自分)だけが勝ち残る世界が理想
・暴力による恐怖政治は奨励される
等々
「完全リアリスト」で「利己主義エゴイスト」という感じですね。
正確にはサイコパスとは違うのですが※、利己主義で嘘をつく、他者を従わせるために積極的に暴力を用いるところが共通しているため重なる部分はあります。
※サイコパスは感情を抑制できないために暴力をふるう。後でどうなるかを考えていない点、何事も計算で行う合理主義マキャベリストとは少し違います。
サイコパスについての解説はこちら:
孔明はマキャベリスト? 偏見なく史実を見れば分かること
本題です。
はたして、世の中で言われている通り諸葛孔明はマキャベリストなのでしょうか?
史実を探る前にまず、この言説の信頼性を考えるため、いったいいつから・どのような状況で「孔明マキャベリスト論」が叫ばれるようになったのか観察しましょう。
(他記事と重複します。ご存知の方は読み飛ばしてください)
どうしても孔明をマキャベリストにしたい人々。彼らの裏事情
昨今、ネットの書き込みでも学者の書籍でも、
「孔明は冷酷なマキャベリストだった! 民を恐怖政治で虐げ、奴隷を使い、えげつない謀略で統治した独裁者である」
と声高に叫ばれています。
このようなネット書き込みは2000年代から増え始めました。2012年頃?からは、大学教授の肩書をもつ学者たちまでもが出版した書籍のなかで「孔明はマキャベリスト!!」という論を大声で叫び始めました。
彼らの話は、実は全て史書の根拠がない、主観のみで創られたフィクションです。
ネットはともかく学者まで自分の空想を「史実」と呼び書籍を出すなど信じられないですか? そんなことはありません。彼らの背景を知れば当然と思えるでしょう。
たとえば、現在の代表的な「孔明マキャベリスト論」の論者は渡邉義浩、早稲田大学孔子学院長です。(他にも大勢いますが今は最も目立っているのがこの人)
なお、孔子学院とは外国における中国共産党のプロパガンダ機関のこと。中国共産党の“御用学者”たちが捏造史プロパガンダを叫んでいるわけです。つまり彼らの叫ぶ「孔明マキャベリスト論」とは、中国共産党が創作した歴史であるということになります。
Wikipediaより
中国共産党が何故、「諸葛亮は“我が曹操様”を見習った残虐マキャベリスト」ということにしたいかというと、独裁を民衆に受け入れさせたいからです。特に異民族(ウイグル・チベット)弾圧を正当化するためです。
ほんとうは曹操の虐殺を正当化して民に独裁を受け入れさせたかったのですが、中国国民の間ではいくら強制しても曹操人気が高まらず、ほとんど失敗しました。現在、プロパガンダを鵜呑みにして曹操信者になっているのは共産党員と無知な日本人だけ。
このため中国一般に人気な蜀のうち、諸葛亮をプロパガンダの看板に掲げるため人物像を書き換えることにしたわけです。こうして目下、中共とそのお抱え学者たちは「孔明マキャベリスト」と書き換えた人物像をばらまいています。
中国共産党のプロパガンダはこちらが原点です:
真実の孔明は、“反マキャベリスト”。史書を読み込めば本性が見えるはず
「孔明はマキャベリスト」と叫んでいる人たちには上記の事情がある。
この真相に気付けば、「孔明マキャベリスト論」がにわかに怪しく思えてくるはずです。
ミステリ小説の最終章でどんでん返しに驚いたときのように、もういちど冷静な目で諸葛亮に関する史書を読み返してください。思い違いをしていたことに気付くでしょう。そして必ず正反対の本性が見えてくるはずです。
“泣いてばかりいる”マキャベリストなど存在しません
まず何よりも諸葛亮の記録には、「泣いた」という話がとても多いです。
実はただこれだけでも孔明がマキャベリストだったことを否定できます。泣くほどデリケートな人間に冷酷なマキャベリストになることは絶対不可能だからです。
『曹操はサイコパスだった!』の記事で書いた通り、諸葛亮は現代の精神分類でスキゾイドだったと見られます。これは共感性があまりにも高過ぎて心をブロックしている状態。繊細過ぎる性格HSP(超高感度人間)がベースとなり、症状が重くなったときにスキゾイドへ移行するものです。心をブロックしているため見た目には淡泊で冷たくも見えるのですが、内心は同情心でつぶれかけています。
共感性が高いということは、他者の痛みを我がことのように感じる能力が高かったと言えます。とうてい残虐な行いなど無理です。立場上、刑罰などを行わなければならないときは非常に苦しんだでしょう。だから「泣いて馬謖を斬る」となる。
現代の性格分類MBTIでは、INTP。思考力が高いので合理主義ではありますが、道義心の縛りを持つため「目的のためなら手段を選ばず」を実行するのが難しい人だと言えます。このことは、「奇策を避けた(トリッキーな戦術を使うのが苦手だった)」という記録文で裏付けられるでしょう。
現代なら当たり前… 奔放な法正を諫めた言葉がマキャベリスト扱いに
「孔明はマキャベリスト」と主張する人々がまず根拠として挙げるのは、諸葛亮の法家としてのイメージです。
実際、亮が法には厳格であったと、陳寿も『蜀志・諸葛亮伝』で次のように評しています。
蜀の国内では、みながかれを敬愛し、厳格な政治が行われたにもかかわらずこれを恨む者がなかったのは、かれの配慮が公平で、賞罰が厳正だったからです。
しかしこれをもってマキャベリストだと称するのは早合点です。
法に厳格=民を虐げる独裁者、ではないからです。
法学的な話になるためここでは詳しく語りませんが、諸葛亮の「法に厳しい」とは独裁者の圧政ではなく、「約束ごとを守る」といった信義に基づく法的精神です。これは東洋思想で考えると、法家と言うよりは儒家の考えに近いと思います。
法正へ説いた当たり前な話
王隠『蜀記』に引用された諸葛亮のものとされている、この発言も「孔明マキャベリスト」の根拠となっているようです。
諸葛亮の法を守る姿勢が厳しかったので、法正が諫めたところ諸葛亮はこう言った。
「“漢の高祖は法を緩やかにしたから民に感謝された、だから今も蜀で法を緩やかにすべきだ”という、あなたのお話。それは片面しか見ていない考え方だ。秦は法を厳格にし過ぎたために民の恨みを買っていた。だから民が号令しただけで国が崩壊した。…
それと反対に我々がここへ来る前の蜀は、法の適用がいい加減だった。今ここで我々がいい加減な法の適用をすれば、人心を失う」
(要約)
裴松之が言うには「諸葛亮にはこのとき自ら法を適用する権限がなかった。故にこの話は嘘だ」とのこと。
確かに彼が述べているように、このときまだ諸葛亮が刑を執行する権限は持っていませんでした。だから「苛烈な政策で民から恨みを買った」という話はおそらく作り話。
ただ、法を守ることの大切さを説明する内容としては正しいと私は思います。たぶん、諸葛亮がどこかの場面で上のように発言したことは事実でしょう。
おそらく前の状況がカットされたうえ、誤った話で盛られているのです。
推測される事実の状況は、こう。
法正が法律に基づかずに私怨で人を処罰していたのに対し、諸葛亮が批判を述べた。その批判に抵抗するため、法正が「お前は厳し過ぎる」と言った。そこで亮は、やむをえず丁寧に法を守ることの大切さを説いた… と考えられます。
劉備たちが来るまでの蜀は、法があっても勝手に読み替えるなど適当な運用をしていました。そのような不公平のほうが人々の恨みを買っていたはず。だから、「法はちゃんと運用しなければなりませんよ」と法正さんに説明したわけです。
現代なら自明の法的精神を話しているだけなのですが、漢代は当たり前ではなかったのでバランス主義を用いて説明したのだと思います。
この話をもって「マキャベリスト」と呼ぶのは不当な言いがかりだし、マキャベリズムの定義としても誤っています。
マキャベリが説いたのは、独裁者が独裁者自身のために、上から民をコントロールするため苛烈な法を用いるということ。法は権力者のためにあるという考えです。
ここで孔明が説いているのは、上と下との約束事を守る「信義」です。それは法が縛るのは民ではなく、運用する権力者のほうだという意味になります。――これは法学上で言って、マキャベリとは反対の考え方です。
書ききれない日常的な発言、行い
他にも、下位の者に叱責されたときに「その通りだね。ゴメン」と謝っている。
何より、過労死するまで自分を責めて追い込んでいる。※…等々
書ききれないので引用を省きますが、これらの言動を見てなお「利己主義者」と謗る人がいるなら、もう頭がおかしいか何かの宗教思想を頑なに信じている者としか言えないでしょう。
※過労死について:最近の左翼たちは、孔明が過労死したという事実があると自分たちの主張「孔明は悪い独裁者論」が覆されて困るので、この事実まで書き換えようとしています。下記事参照。
結論
以上の記録文からこう結論付けられます。
孔明はマキャベリストではありません。
異民族の統治法、少々言い訳がましい“仮面マキャベリスト”
最後に南方統治についての話を添えます。
孟獲を七度捉えて七度解放したというエピソードは、捕虜や奴隷を持たなかったという意味でもあります。また、平定後は地元の人に統治を任せて蜀の軍隊を引き揚げています。…中国共産党とは完全に逆ですね。
ここに「厳格だった」というイメージというまるで逆に思えるはずの、本人の発言を引用します。長いですが書籍からそのまま引用。( )内は筆者の解説です。
…こうして(異民族に慕われているリーダー孟獲を)七度釈放して七度捕らえたとき、なお釈放してやろうとすると、孟獲は立ち去ろうとせず、「閣下のご威光はまことに神のようです。われわれ南中の人間は二度と謀反しないでしょう」(と言った。)
かくてテン池(益州郡の郡治)まで進出した。南中諸郡の平定が終わると、それぞれの地方の豪族を起用して、各地を治めさせることにした。ある人が諫めたところ、諸葛亮はつぎのように答えた。
「この地にもしわれわれ漢族の長官を置けば、軍勢を駐留させなければならないが、そうなると兵糧をどこから調達するか。これがまず問題だ(地元住民から食料など物資を奪うのはダメだ、と言っている)。異民族はこのたびの敗北で、父や兄を死なせているから、漢族の長官だけを置いて、官軍を駐留させなければ、かならず禍根を残すことになる。これが第二の問題だ。また異民族はこれまでたびたび重大な罪を犯しており、みずからもその罪の重さを承知しているから、漢族の長官を置けば、自分たちが信用されていないものと思うだろう(罰せられるという恐怖を抱く。恐怖統治となってしまうから漢族統治はダメ)。これが第三の問題だ。現在、わたしは、軍勢を駐留させず、兵糧も運ばず、統治をゆるやかにすることによって、異民族と漢族の関係をゆるやかに保つようにしたいので、このようにするのだ」
〔『漢晋春秋』〕
『諸葛亮伝』裴松之注 徳間書店P163より
何だか色々と言い訳めいたことを述べていますが、賢い人が読めば、ただ人道的な対処をしたいだけという思惑があることを見抜くと思います。
「ああだこうだ言い訳してるけど、本音はアイツらをかばいたいだけでしょ?」と、鋭い虐めっ子に見抜かれて攻撃されてしまうタイプですね。
しかしあまり賢くない人がこれを読めば、言葉そのままに受け取って「諸葛亮は兵糧節約したいから、自分たちの利益のために軍を引き返しただけ。やっぱり利己主義のマキャベリスト」と誤解するでしょう。
他人を納得させるためにことさら「あなたの利益。合理」を強調して説得しようとする。マキャベリストを装う。これは、“仮面マキャベリスト”とも言える振る舞いかもしれません。
当時の事情。この発言に至った背景
現代でもそうですが、“乱を起こした”…つまり自分たちへ敵対した異民族へのこうした穏健な対処は、国内で大反発を招くものです。
当時も、乱のリーダー孟獲や捕虜を解放し続けたことで大批判が巻き起こっていました。
(国内で反発を招いたのは上の記録文からも読み取れることですが、私の感覚で現実そうだったと思います。実際は書かれていない以上の大騒ぎとなっていたはずです。すでに乱のリーダー孟獲や、捕虜たちを解放し続けたことで大反発を招いて騒ぎとなっていましたから、さらに軍隊を退き穏健な統治をしようとした諸葛亮へ批判が噴出したのです。…ちなみに、当時は「愚策」「悪政」としてあまりにも批判の声が高かったため、記録者が馬謖の進言だったということにして責任を彼になすりつけたと推測されます。私が思うに、孟獲たち捕虜を解放した始まりから全て南方政策は諸葛亮の考えたことです)
それで、諸葛亮はどうにか批判している人たちをなだめようとして、このように合理的な説明をして納得させようとしたわけです。
だからこの話を曲解してマキャベリストと呼ぶのは狂っています。 現実の諸葛亮の行いを見れば、一国二制度も踏みにじった中共と真逆であると分かるのでは?
ただし表現に誤解を招く部分があったのは否定できません。
諸葛亮は道理=合理と考えるタイプ。国と民、異民族の関係もWinWinを貫きます。強者だけが得をしてはならず、対等に利益を得られる関係でなければならない。そのような道理を説いたところで他人には伝わりにくいだろうと思うために、“あなたの利益”を強調して合理的な言葉で他人を説得しようとします(実際、究極の合理は道理と等しいのは真理であるし)。ところが人によっては前面の合理しか理解せずに、利己主義を説いた言葉と浅く解釈してしまう。それで「マキャベリスト」と呼ばれたりするのでしょう。
よかれと思って相手が理解できそうな言葉を選ぶ、そんな“仮面マキャベリスト”だったところが後世このような支障を生じさせたなら、諸葛亮は反省すべきです。
…個人的な話ですが筆者もよくこのような合理表現を使うため、気を付けねばと思いました。なるべく本音の本心を表現しておかねばなりませんね。
まあ、左翼は史書に何が書かれていたとしても捻じ曲げて悪く言える生物。本人が何を言い残していようと無視して、自分たちが目的とする「マキャベリスト」というイメージを捏造するだけですが。それでも一般の方が真実を知る手がかりとして、本音を表現し残しておくべきです。たとえば「私は他民族を踏みにじるようなことをしたくない!!」という本音などを。
共産国の統治法
ちなみに中国を始めとする共産党の統治法はこうなります。
自治だけでは不安だから押しつぶして合併するのは共産主義の方式で、そのおかげで(中共中国は)75年続いてきた。しかしこの方式は「ここまででよし」とする限界がない。
いかがでしょうか?
南方の人々の自治に任せようとして反対派を押し切り撤退した孔明と、衛星国の自治に任せることができないので潰してしまう共産国。孔明と共産国の政策は正反対だと分かるのではないでしょうか。
時代ごと、その時々に住民の意向があると思います。自治だけが優れているわけではなく統一だけが悪ではない。北海道・沖縄は日本から切り離されるべきではないし、台湾・チベット・ウイグルは共産国に呑み込まれるべきではない。
あくまでも住民が主体、住民の希望が重要です。どのような政策が住民・国民にとって最も幸福と言えるか。それだけを考えながら選択すべきです。
私は何故、孔明がアンチ・マキャベリストだと主張しているのか
私がこのように反論しているのは、別に孔明のことを「イイ人」と思って欲しいからではありません。
中国共産党が、チベット人・ウイグル人弾圧を諸葛亮を使って正当化しているからです。
たかが歴史人物、お遊びの歴史趣味ならどのように誤解されようが構わないと思います。しかし、犯罪を正当化する目的のために人物像を捻じ曲げて利用するのは許せません。
まして人々を殺すために利用するとは!!
私は絶対にこの嘘をばらまいている者たちを許さない。天から罰が降るよう祈り続けます。
ただの趣味で三国志を眺めている人へ、プロパガンダを鵜呑みにして「孔明マキャベリスト論」を信じ拡散するなら同罪です。あなたの曲がった思い込みでウイグル人を死地へ追いやることになる。今すぐ認識を改めてください。
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