「世界に一つだけの花」の原典は仏教!(共産主義ではありません)

「世界に一つだけの花」の原典は仏教!(共産主義ではありません)

前記事で“多様性”に触れたついでに、この件で気になっていたメディア記事について書きます。

昨年、反共メディアとして有名な『大紀元』にてこのような記事を読みました。情報工学博士(筑波大学准教授)、掛谷英紀氏の記事です。

『「世界に一つだけの花」の後遺症』

みんな大好きなSMAPの名曲、『世界に一つだけの花』へ奇妙なバッシングをされています。

創作物にどのような感想を持つのも自由だから、批判レビューなら全然構わないのですが、明らかに根本的な知識がないために勘違いされていると思ったので指摘しておきます。

 

『世界に一つだけの花』は共産主義の歌だった…!?

冒頭リンク記事から引用します。

2003年にリリースされたこの歌は大ヒット曲となり、当時は中学校などでも盛んに歌われたようである。当時の中学生と言えば、現在30歳前後の世代である。この曲がヒットしていた当時、私には一つ疑問があった。それは、この曲の歌っている人たちが、その歌詞をどのように解釈していたかである。私は二つの正反対の解釈がありうると思っていた。

一つは、自分は素のままでも独自性のある存在なのだから、宝飾品やブランド物のバックで飾らなくてもいい、特別なものは欲しがらない、他人の富や成功に嫉妬しないという解釈である。もう一つは、自分はもともと特別な存在なのだから、何の努力をしなくてもいい、それでも社会から支援されて十分なお金をもらう価値のある人間だという解釈である。実は当時、周囲の人にこの歌詞をどちらの意味で解釈しているか何度か聞いてみたことがある。誰に聞いても、そこまで深く考えていないという回答だった。ただ、深く考えていなくても、無意識にどちらかの解釈をとっているはずであると私は思っていた。

当時存命だった筑紫哲也は、この曲をいたく気に入っており、「反戦歌」として持ち上げていた。この歌詞を反戦歌と捉えるのは、どちらかというと後者の解釈をしているのだろうと考えていた。私は、前者の解釈ならこの歌はいい歌だと思うが、多くの子どもたちが後者の解釈で歌っているとしたら、将来困ったことになるのではないかと恐れていた。それから約10年後、この懸念は現実のものとなった。子どもの頃、世界に一つだけの花を歌って育った学生には、その歌詞に後者の意味で影響を受けたと思われる振る舞いが、しばしば見られるようになったのである。そのエピソードを2つ紹介しよう。…

とのことで。

つまり冒頭でご紹介したとおり掛谷氏は

「『世界に一つだけの花』という曲は共産主義プロパガンダの歌だ」

と考えられているわけです。

【参考リンク】『世界に一つだけの花』 歌詞

確かに、左翼プロパガンダが隠された歌やコミックなど、悪質な洗脳創作は世の中にたくさんあります。それに『世界に一つだけの花』で歌われた話はまるで近年の左翼が叫ぶ「多様性(多神教)」のよう。多神教を禁ずるキリスト教社会においては、左翼的だと受け取られることでしょう。

筑紫哲也氏などもそのように解釈して持ち上げたのだと思います、「反戦」という意味は全く分かりませんが。

※多様性=多神教の考え方については前記事ご参照ください。

多様性、LGBTQ+、夫婦別姓… 共産主義政党(左翼)が掲げるジェンダー政策の意味とは?

 

でも「『世界に一つだけの花』という曲は共産主義プロパガンダの歌だ」という考えは全くの勘違い。

作詞した槇原敬之さんが共産主義者であるかどうか私は知りませんが、この詩のモデルとなった話は共産思想どころか、真逆の仏教経典です。

この話は私の恩師からも聞いたことがある

実は『世界に一つだけの花』と全く同じ話を、私は中学校の卒業式の日に担任教師から聞きました。(まだこの歌が存在していなかった頃)

卒業する我々へ「仏教の経典にある話」と前置きして贈ってくれたのは、このような話……

「花の種は、成長すればそれぞれ違う花を咲かせるようにできています。あなたたちも同じように一人一人違う個性と能力を持った種なのです。だから他の人と比べてはいけません。少し変わっていると言われて指を指されたりしてもくじけずに、あなたたちなりの、個性ある花を咲かせてください!」

どちらかと言えば皆と同じように生きられない“少し変わった子”で、自己否定ばかりしていた私はこの話を聞いてたまらず泣いてしまった覚えがあります。あれは担任教師の、愛する生徒たちに贈る最高のエールでした。(考えてみればあの先生は左ではなかったのですね。その翌年に亡くなってしまったのですが、愛情深く信念のある素晴らしい女性教師でした)

それから何年も過ぎて、SMAPの歌で『世界に一つだけの花』を聴いて驚きました。あの時の担任の話が歌詞になっているではないですか!

『世界に~』が流行り出した世の中を眺め、私は「仏教って凄いな」と思っていました。人を励まし、前向きな気持ちにさせる普遍的な真理があります。

そんな人間の心を勇気づける仏教経典が「共産思想」であるわけがありません。正反対のものです。

槇原敬之さんの背景を調べてみた

しかし、もしかしたら槇原氏に左翼プロパガンダの意図があったのか? 一応疑いを持って槇原氏について検索してみると、共産主義者どころか創価学会員(笑)だという噂が流れていました。デマとのことですが。

おそらくその噂が出るきっかけとなったのが『世界に一つだけの花』だろうと思いました。

創価学会も仏教系の宗教団体※です。もしかしたら、創価学会が配っている仏典に書いてあったため誰かが「槇原は学会員!」という話をネットに書き込んだのかもしれません。

※創価学会は仏教系とは言っても日蓮宗を信仰する団体。日蓮宗は日本の仏教のなかで唯一、白蓮教:中華キリスト教の流れを汲み一神教の性質を持ちます(輪廻転生否定・折伏=強制改宗・異教徒弾圧)。一般の日蓮宗寺院は現代で過激な教義を実行していませんが、創価学会は原理主義のようなもので一神教教義を実行している。このため要注意と言われているのです。信者たちは、「唯我独尊、反洗脳」の経典を見ていてもスルーしているのでしょうね。でも記憶のどこかに残っていれば、目覚める可能性があります。実際に学会員の二世、三世は団体から離れることが多いようです。

この歌が仏教経典であることの裏取り

具体的に何の経典からの引用なのか、私の中学のときの恩師は言っていませんでしたが、今検索して調べてみると下のような解説ページがたくさん出てきました。

掛谷氏はほんの五分、検索ボックスに入力して調べることさえしてみなかったのですかね?? (冒頭記事では検索さえしない学生を責め「最近の若者は世界に~の弊害で思考停止」などと言っているのに。ブーメラン…)

世界に一つだけの花の語源・由来・意味

『世界に一つだけの花』の語源や由来は仏教にある、と聞きましたが、本当でしょうか。

私はこの歌を初めて聞いた時、「これは仏教の知識のある人が書いたんだろうな」と感じましたが、やはりそうでした。

「世界に一つだけの花」の作詞・作曲を手がけた槇原敬之さんは、自身のある不祥事により、逮捕されてしまった際、

自分を見つめ直すために仏教に出会い、影響を受けたみたいです。

その時に「人生」をテーマにして、書き上げた楽曲の一つが『世界に一つだけの花』だそうです。

『No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one』という歌詞はブッダの有名な言葉、
『天上天下、唯我独尊』(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)のことです。

「広い世界の中で大宇宙広しといえども、唯一人、自分にしか出来ない尊い使命を持って生まれて来たのだ」という教えを基に書かれた、と言われています。

影響を受けた仏教の話とは、浄土真宗でよく読まれる『仏説阿弥陀経』の一節、
「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
という部分に感銘を受けて歌詞が書かれました。

「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、
青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、
赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ」

つまり意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に「赤い花が青い花になる事はないし、なる事も出来ない」というような意味です。

以上で充分でしょうか。

というわけで、掛谷さんの解釈は誤っているとお分かりいただけたかと思います。

どうしてこのような勘違いをなさったのか?

たぶん掛谷氏は仏教の知識をお持ちではなかったのでしょう。左翼だった筑紫哲也氏も当然、日本の伝統文化の知識など持たなかったのだと思います。

さらに言うと、掛谷氏は共産思想を哲学論理としてはよく理解されていないようです。

「多様性」と聞くと脊髄反射でサヨク!!と叫ぶ。そのような表層だけでのレッテル貼りをして、本質どうかということが見えない人は、基本的なことを何も勉強していないのです。だから仏教と、キリスト教圏における「多様性」の争点を同じものと勘違いしてレッテル貼りしてしまう。

このような脊髄反射だけで生きることこそ「思考停止」と呼びます。ご注意いただきたいです。

 

『世界に一つだけの花』ほんとうの解釈は厳しい

ところで、私は中学のときに恩師からこの「花」の仏教説法を聞いたとき、掛谷氏が言うところの“前者の解釈(自分は素のままでも独自性のある存在なのだから…嫉妬しない)”よりさらに進んで、「自分独自の個性を解放して開花させなくては!」と思いました。

そして、それはとても厳しい道だとも思ったものです。

日本語で「唯我独尊」は我がままの意味で使われていますが、それこそ掛谷氏と同じ勘違いをしています。

花々がその花を咲かせるためには、太陽や雨の恵みもあるけれど、植物自身も努力して成長しなければなりません。人間も同じで、「オンリーワン」になるほど大変な努力が必要なことはありません。しかも孤独です。

「オンリーワンになれ」とは、実は優しくも厳しいエールなのです。誰かのコピーとなることは許されず、奴隷になることも許さないのですから。

「信者は迷える羊」

「人民は共産党の奴隷」

と教えて人を支配することしか考えない一神教、共産主義とは正反対です。

 

左翼は「過大な自己評価を持つ人」ではなく、真逆の「自分が無い人」

天上天下唯我独尊=きみはとても尊い、唯一無二の存在。誰の奴隷になってもいけない」

このような仏教の考え方を正しく身に付けた子は、決して共産思想の奴隷にはならないでしょう。自分という核を持つ精神に、人を奴隷化する洗脳思想は入り込むことができないからです。

上の記事で挙げられている例、「自分で考えない世代の出現は『世界に一つだけの花』の弊害だ」という話も言いがかりですね。たとえば「ゆとり教育」や学校での左翼ソーカツ教育で「考えさせず奴隷化する訓練」など、別の要因があると思います。

また、掛谷氏は「根拠のない自己肯定感が左翼思想へ導く」などと言っているがこれも正反対で、自己肯定感のない子が共産思想などカルト思想に洗脳されて団体の奴隷となることが分かっています。

社会で革命するときも同じく、それまで庶民の精神文化を支えてきた思想を破壊して自信を奪うのが革命の第一ステップです。その穴に共産思想を忍び込ませて人民を洗脳、「自分を持たないロボット」として奴隷化します。

参考。人間の自己肯定感を潰すことが、共産思想などに洗脳するときの最初のステップとなる:

洗脳とは何か? 価値観を破壊する洗脳から身を守る方法

掛谷氏の記事から再び引用。

日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることである。

これは正解でしょう。しかし、そのように社会を怨むようになった左翼たちは過大な自己評価を持っていた人なのではなく、正反対に社会で虐げられてきて嫉妬心を抱いている者です。

「オンリーワン」で自分の現状に満足している人は社会や文化を憎むことはあり得ませんし、破壊思想を持つこともないでしょう。だって「今のままでいい」と思っている現状を壊したくない(笑)ですから。

それに、そもそも嫉妬心こそが左翼の原動力なのですから、まさか「きみは世界に一つだけの花、嫉妬しなくていい~♪」なんて歌うわけがない。そんな歌が流行ったら革命ができなくなってしまうではありませんか、左翼にとって非常に困ることです。

“弱者”のいない社会に革命なし。

マルクス以降、「弱者をたきつけて利用する」のが共産主義革命の伝統手法。

洗脳されたロボットは自信も個性もゼロの「空っぽ人間」

もう一度確認のため述べると、人間は自分への自信というものを失わせて初めて奴隷ロボットにすることが可能となります。だから左翼が求めているのは「自己肯定感ゼロで自分のない無思考の空っぽ人間」です。個性があり、独自視点で考えることができる人間ほど左翼にとって邪魔なものはありません。

ところが左翼が一見ゴーマンで「過大な自己評価」を持っているように見えるのは、左翼思想という聖書に従っているからです。自分がなく無思考の人間ほど、カルト教団の聖書などを絶対的に信奉することによって“虚偽の自信”を持ちます。だからカルト信者たちは、教祖や幹部から命令されれば恐ろしく傲慢に嘘をついたり、殺人などの残虐行為を行います。

しかし聖書を失い命令が無い状態では、信者は自分というものがゼロなので足を一歩出すことすらできません。

ハンナ・アーレント『凡庸な悪』で記された、凶悪な殺人を行ったナチス幹部が裁かれるときは弱々しく自分の意見さえ言えない人間となっていた、という事実はこのことを表しています。

「自分」も「個性」も失った盲従者たちが殺戮を起こすのが、ナチスや共産国の全体主義社会なのです。

参考:哲学者ハンナ・アーレントの名言に見る「思考し続ける大切さ」より

彼女は人間と動物の違い『人間性』とは、人間同士が『互いに異なった個性をもつ人間である事を認め会う事』であると考えた。

そして全体主義とはその人間性を破壊するものだと定義した。

ここで表現された「人間性」こそ、まさに『世界で一つだけの花』で説かれている仏教思想です。

 

掛谷氏の本『人類の敵 共産主義勢力から自由を守る方法』感想

掛谷氏はおそらく思想哲学の構造や、共産主義が生まれた歴史背景もよくご存知ないのでは?と思います。

彼が反共メディアで書いたコラムをまとめた本があります。

『人類の敵 共産主義勢力から自由を守る方法』

私はこれをタイトルに惹かれて購入し、ワクワクしながら読みましたが、残念ながら共産思想の根本的なことがよく分かっていない方だなという感想を持ちました。おそらくマルクスという思想家についても、あまりご存知ないのでは?と思います。

このため「共産主義者(左翼)」への批判はその都度見かけた左翼の行動まとめという感じ。

データを用いて「左翼はエロ本と残虐な本しか読まない傾向がある」、「左翼は学術論文でこれだけの嘘をついている」と結論を出す話はとても興味深かったのですが、「何故そうなるのか」といった根本的な話は一切ありません。(あったとしてもご自身の印象論。言ってしまえばただの敵対宗教への悪口で、理論がない

もちろん、「共産主義勢力から自由を守る方法」も具体的なことは何もありませんでした。一応「なにか別の神を信じろ」と説かれるのですが、一神を崇めたら共産主義者と同じ穴のムジナになるだけだからお断りですね。

推測するに……掛谷氏は理系の学者さんなので、思想哲学のジャンルは苦手なのではないかと思います。たしか上書籍の冒頭でもご自身でそのように書かれていた気がします。(この書籍は売ってしまって手元にないため確認できず。間違っていたらすみません)

それと、もしかしたら掛谷氏自身もキリスト教などの“一神教徒”なのかもしれません。だとすれば『世界に一つだけの花』へ敵対心を抱いても当然でしょう。でもそうだとすれば、共産思想と同じ穴のムジナ。仏教が嫌いだからといって、言いがかりをつけるのはやめていただきたいです。

 

『大紀元』を運営する法輪功は一神教ベースであるらしい

以前にも触れたことのある話ですがもう少し詳しく書いておきます。

掛谷氏がコラムを掲載されている『大紀元』は、中国共産党や世界中の共産主義者の蛮行を仔細に報道している反共メディアです。

あれほどディープで細かい情報を提供してくれるメディアは他にないので、中国の侵略から世界を護りたいと思っている方なら頼もしく思っていることでしょう。

この『大紀元』を運営するのはご存知、「法輪功(ほうりんこう)」という宗教団体。中国共産党から弾圧され信者が虐殺されたために、反共の活動をしているとされています。

宗教団体運営とはいえ即、そのメディアを偏見の対象とすべきではありません。法輪功を「カルト」と呼んで憎んでいるのは中国共産党員と左翼です(自分たちのほうが最凶カルトだろうに)。

『大紀元』に宗教団体へ入信するよう勧誘する宣伝記事はあまり無いし、何より共産党に関する情報が正確なため、私もニュース記事としてはありがたく参考にさせていただいております。

ただニュース記事以外のコラムでは、時々明らかな誤りや矛盾がありますね。

ここで引用した掛谷氏の記事もそうだし、曹操や始皇帝を称える記事も同様。中国共産党の弾圧に抵抗しているなら、中共を象徴している曹操・始皇帝を称えるのはおかしい。まして民衆弾圧の大虐殺という蛮行を称えるとはあり得ない。

法輪功が称えている曹操の蛮行:

曹操ってどんな人?〔後編〕 曹操による虐殺・拷問処刑リスト。全て史実です

また、中共による道教や仏教への弾圧には批判しますが、儒教への弾圧は批判どころか称賛する意識が感じられます。ウイグル・チベットへの弾圧については、一般のニュース記事では批判するが下のようなコラムでは暗に称えるメッセージを発信しています。

これら信念と相反するはずの矛盾するコラムについて、もしただの勘違いなら撤去していただきたく何度かメールしたのですが、完全に無視をして頑なに掲載を続けています。どうやら私の読みは正解と考えて良さそうです。

参考:

かつて蜀に存在した?孔明の生まれ変わり

『大紀元』がどうしてこのような矛盾した記事を掲げるのかと言うと、単に「宗教団体は嘘をつくのが当たり前だから」というわけでもなくて、法輪功の教義のベースが一神教だからでしょう。

「法輪功は気功を学ぶための団体で、道教や仏教など中華の伝統的な思想を信仰している」

と宣伝されているのですが、下の記事を読むと明らかに終末思想に基づく一神教。どうやら中世のキリスト教と道教を併せた教義であることが分かります。

大紀元『悪魔が世界を統治している』

推測ですが、「白蓮教(びゃくれんきょう)」などを源流とする中華キリスト教団体の一種ですね。何も知らない日本人が近付くのは危険です。(ただし輪廻転生を否定していないため仏教・多神も受け入れていると思われ、日蓮宗原理主義よりはマシかもしれない)

【危険という理由】白蓮教を調べてください。中華キリスト教の蛮行もなかなかのものです。

この通り法輪功も一神教であるため、同じ一神教の共産主義に対抗するときコラムなどで矛盾が出てしまうのだと思います。全体主義キリスト教の考えが基本なのですから。

一神教では「それぞれの花が世界で一つだけの花」という個性など許されませんし、個人を神の奴隷から解放する自己肯定など持ってはならないのです。

『大紀元』に寄稿している人はこの宗教団体の信者とは限らないのですが、上の記事を読む限りどうやら掛谷氏は信者のようです。あるいは一般的なキリスト教団体の信者か。

日本人、保守界隈の皆様へ

香港デモ以降のSNSでの活躍により、『大紀元』へ良いイメージを抱いている保守の方は多いと思います。おそらく法輪功はここ数年、日本人の信者を増やしていることでしょう。

しかし上に書いたとおり法輪功も一神教。東洋の伝統である多神教を認めない全体主義、同じ穴にいらっしゃるムジナさんです。

法輪功が反共で活動されていることは大変ありがたいのですが、一神教が一神教を倒してもただ支配者が入れ替わるだけ。奴隷にとっては状況は変わりません。

『大紀元』はニュースを参考にするにとどめましょう。無考えに宗教団体へ入信してはなりません。

 

補足 掛谷英紀さんという個人について

当記事は掛谷英紀さん個人を誹謗中傷するために書いたわけではないので、悪しからず。あくまでも『世界に一つだけの花』に対する基礎的な知識の誤りを指摘するために書きました。「多様性」というキリスト教圏だけの争点に日本が巻き込まれ、左翼の思うつぼで「共産革命」されたら困りますので。日本はもとから多神教の国です。前記事参照

掛谷英紀さんはイラネッチケー(NHKを受信しないための装置)というありがたい物を開発された方。冒頭にリンクした記事以外では私も多くの記事に賛同します。最近では左翼テレビの関係者の犯罪へ苦言を呈したため左翼から誹謗中傷攻撃されているようですが、このような攻撃は名誉毀損で訴えたほうがいいですね。なぜ左翼だけが一般人を「名誉毀損」で訴えることができ、一般人は左翼を訴えることができないのか? ここは共産国なのでしょうか。

掛谷さんの記事で、たとえば去年末のこちら『今必要なのは「中国共産党から国民を守る党」』など、激しく同意です。日本の選挙報道ではどこの党も中国に関して一切触れませんが、日本国民の多くが最も気にしている論点は「中国共産党侵略からの防衛」。なおかつ、日本国内の左翼=共産主義者からの防衛も気になります。それを党名またはマニュフェストで堂々と掲げる党があればおおいに議席を伸ばすでしょう。反中不反中(中華民族を打倒して共産主義の国を新たに造ろうと叫ぶ、東アジアの新左翼)の詐欺師に騙されないよう注意が必要ですが。

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