「世界に一つだけの花」の原典は仏教!(共産主義ではありません)
前記事で“多様性”に触れたついでに、この件で気になっていたメディア記事について書きます。
昨年、反共メディアとして有名な『大紀元』にてこのような記事を読みました。情報工学博士(筑波大学准教授)、掛谷英紀氏の記事です。
みんな大好きなSMAPの名曲、『世界に一つだけの花』へ奇妙なバッシングをされています。
創作物にどのような感想を持つのも自由だから、批判レビューなら全然構わないのですが、明らかに根本的な知識がないために勘違いされていると思ったので指摘しておきます。
〔2024/8/19 冗長過ぎたため一部省略〕
Contents
『世界に一つだけの花』は共産主義の歌だった…!?
冒頭リンク記事から引用します。
2003年にリリースされたこの歌は大ヒット曲となり、当時は中学校などでも盛んに歌われたようである。当時の中学生と言えば、現在30歳前後の世代である。この曲がヒットしていた当時、私には一つ疑問があった。それは、この曲の歌っている人たちが、その歌詞をどのように解釈していたかである。私は二つの正反対の解釈がありうると思っていた。
一つは、自分は素のままでも独自性のある存在なのだから、宝飾品やブランド物のバックで飾らなくてもいい、特別なものは欲しがらない、他人の富や成功に嫉妬しないという解釈である。もう一つは、自分はもともと特別な存在なのだから、何の努力をしなくてもいい、それでも社会から支援されて十分なお金をもらう価値のある人間だという解釈である。実は当時、周囲の人にこの歌詞をどちらの意味で解釈しているか何度か聞いてみたことがある。誰に聞いても、そこまで深く考えていないという回答だった。ただ、深く考えていなくても、無意識にどちらかの解釈をとっているはずであると私は思っていた。
当時存命だった筑紫哲也は、この曲をいたく気に入っており、「反戦歌」として持ち上げていた。この歌詞を反戦歌と捉えるのは、どちらかというと後者の解釈をしているのだろうと考えていた。私は、前者の解釈ならこの歌はいい歌だと思うが、多くの子どもたちが後者の解釈で歌っているとしたら、将来困ったことになるのではないかと恐れていた。それから約10年後、この懸念は現実のものとなった。子どもの頃、世界に一つだけの花を歌って育った学生には、その歌詞に後者の意味で影響を受けたと思われる振る舞いが、しばしば見られるようになったのである。そのエピソードを2つ紹介しよう。…
とのことで。
つまり冒頭でご紹介したとおり掛谷氏は
「『世界に一つだけの花』という曲は共産主義プロパガンダの歌だ」
と考えられているわけです。
【参考リンク】『世界に一つだけの花』 歌詞
確かに、左翼プロパガンダが隠された歌やコミックなど、悪質な洗脳創作は世の中にたくさんあります。それに『世界に一つだけの花』で歌われた話はまるで近年の左翼が叫ぶ「多様性(多神教)」のよう。多神教を禁ずるキリスト教社会においては、左翼的だと受け取られることでしょう。
筑紫哲也氏などもそのように解釈して持ち上げたのだと思います、「反戦」という意味は全く分かりませんが。
※多様性=多神教の考え方については前記事ご参照ください。
でも「『世界に一つだけの花』という曲は共産主義プロパガンダの歌だ」という考えは全くの勘違い。
作詞した槇原敬之さんが共産主義者であるかどうか私は知りませんが、この詩のモデルとなった話は共産思想ではなく仏教経典です。
この話は私の恩師からも聞いたことがある
実は『世界に一つだけの花』と全く同じ話を、私は中学校の卒業式の日に担任教師から聞きました。(まだこの歌が存在していなかった頃)
卒業する我々へ「仏教の経典にある話」と前置きして贈ってくれたのは、このような話……
「花の種は、成長すればそれぞれ違う花を咲かせるようにできています。あなたたちも同じように一人一人違う個性と能力を持った種なのです。だから他の人と比べてはいけません。少し変わっていると言われて指を指されたりしてもくじけずに、あなたたちなりの、個性ある花を咲かせてください!」
どちらかと言えば皆と同じように生きられない“少し変わった子”で、自己否定ばかりしていた私はこの話を聞いてたまらず泣いてしまった覚えがあります。あれは担任教師の、愛する生徒たちに贈る最高のエールでした。(考えてみればあの先生は左ではなかったのですね。その翌年に亡くなってしまったのですが、愛情深く信念のある素晴らしい女性教師でした)
それから何年も過ぎて、SMAPの歌で『世界に一つだけの花』を聴いて驚きました。あの時の担任の話が歌詞になっているではないですか!
『世界に~』が流行り出した世の中を眺め、私は「仏教って凄いな」と思っていました。人を励まし、前向きな気持ちにさせる普遍的な真理があります。
そんな人間の心を勇気づける仏教経典が「共産思想」であるわけがありません。正反対のものです。
槇原敬之さんの背景を調べてみた
しかし、もしかしたら槇原氏に左翼プロパガンダの意図があったのか? 一応疑いを持って槇原氏について検索してみると、共産主義者どころか創価学会員(笑)だという噂が流れていました。デマとのことですが。
おそらくその噂が出るきっかけとなったのが『世界に一つだけの花』だろうと思いました。
創価学会も仏教系の宗教団体※です。もしかしたら、創価学会が配っている仏典に書いてあったため誰かが「槇原は学会員!」という話をネットに書き込んだのかもしれません。
※創価学会は仏教系とは言っても日蓮宗を信仰する団体。日蓮宗は日本の仏教のなかで唯一、白蓮教:中華キリスト教の流れを汲み一神教の性質を持ちます(輪廻転生否定・折伏=強制改宗・異教徒弾圧)。一般の日蓮宗寺院は現代で過激な教義を実行していませんが、創価学会は原理主義のようなもので一神教教義を実行している。このため要注意と言われているのです。信者たちは、「唯我独尊、反洗脳」の経典を見ていてもスルーしているのでしょうね。でも記憶のどこかに残っていれば、目覚める可能性があります。実際に学会員の二世、三世は団体から離れることが多いようです。
この歌が仏教経典であることの裏取り
具体的に何の経典からの引用なのか、私の中学のときの恩師は言っていませんでしたが、今検索して調べてみると下のような解説ページがたくさん出てきました。
掛谷氏はほんの五分、検索ボックスに入力して調べることさえしてみなかったのですかね?? (冒頭記事では検索さえしない学生を責め「最近の若者は世界に~の弊害で思考停止」などと言っているのに。ブーメラン…)
『世界に一つだけの花』の語源や由来は仏教にある、と聞きましたが、本当でしょうか。
私はこの歌を初めて聞いた時、「これは仏教の知識のある人が書いたんだろうな」と感じましたが、やはりそうでした。
「世界に一つだけの花」の作詞・作曲を手がけた槇原敬之さんは、自身のある不祥事により、逮捕されてしまった際、
自分を見つめ直すために仏教に出会い、影響を受けたみたいです。
その時に「人生」をテーマにして、書き上げた楽曲の一つが『世界に一つだけの花』だそうです。
…
『No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one』という歌詞はブッダの有名な言葉、
『天上天下、唯我独尊』(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)のことです。「広い世界の中で大宇宙広しといえども、唯一人、自分にしか出来ない尊い使命を持って生まれて来たのだ」という教えを基に書かれた、と言われています。
影響を受けた仏教の話とは、浄土真宗でよく読まれる『仏説阿弥陀経』の一節、
「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
という部分に感銘を受けて歌詞が書かれました。「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、
青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、
赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ」つまり意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に「赤い花が青い花になる事はないし、なる事も出来ない」というような意味です。
以上で充分でしょうか。
というわけで、掛谷さんの解釈は誤っているとお分かりいただけたかと思います。
どうしてこのような勘違いをなさったのか?
たぶん掛谷氏は仏教の知識をお持ちではなかったのでしょう。(彼はキリスト教系一神教の宗教信者? または法輪功の信者さんではないかと推測します)
左翼だった筑紫哲也氏も当然、日本の伝統文化の知識など持たなかったのだと思います。
さらに言うと、掛谷氏は共産思想を哲学論理としてはよく理解されていないようです。
「多様性」と聞くと脊髄反射でサヨク!!と叫ぶ。そのような表層だけでのレッテル貼りをして、本質どうかということが見えない人は、基本的なことを何も勉強していないのです。だから仏教と、キリスト教圏における「多様性」の争点を同じものと勘違いしてレッテル貼りしてしまう。
このような脊髄反射だけで生きることこそ「思考停止」と呼びます。
『世界に一つだけの花』ほんとうの解釈は厳しい
ところで、私は中学のときに恩師からこの「花」の仏教説法を聞いたとき、掛谷氏が言うところの“前者の解釈(自分は素のままでも独自性のある存在なのだから…嫉妬しない)”よりさらに進んで、「自分独自の個性を解放して開花させなくては!」と思いました。
そして、それはとても厳しい道だとも思ったものです。
日本語で「唯我独尊」は我がままの意味で使われていますが、それこそ掛谷氏と同じ勘違いをしています。
花々がその花を咲かせるためには、太陽や雨の恵みもあるけれど、植物自身も努力して成長しなければなりません。人間も同じで、「オンリーワン」になるほど大変な努力が必要なことはありません。しかも孤独です。
「オンリーワンになれ」とは、実は優しくも厳しいエールなのです。誰かのコピーとなることは許されず、奴隷になることも許さないのですから。
「信者は迷える羊」
「人民は共産党の奴隷」
と教えて人を支配することしか考えない一神教、共産主義とは正反対です。
左翼は「過大な自己評価を持つ人」ではなく、真逆の「自分が無い人」
「天上天下唯我独尊=きみはとても尊い、唯一無二の存在。誰の奴隷になってもいけない」
このような仏教の考え方を正しく身に付けた子は、決して共産思想の奴隷にはならないでしょう。自分という核を持つ精神に、人を奴隷化する洗脳思想は入り込むことができないからです。
上の記事で挙げられている例、「自分で考えない世代の出現は『世界に一つだけの花』の弊害だ」という話も言いがかりですね。たとえば「ゆとり教育」や学校での左翼ソーカツ教育で「考えさせず奴隷化する訓練」など、別の要因があると思います。
また、掛谷氏は「根拠のない自己肯定感が左翼思想へ導く」などと言っているがこれも正反対で、自己肯定感のない子が共産思想などカルト思想に洗脳されて団体の奴隷となることが分かっています。
社会で革命するときも同じく、それまで庶民の精神文化を支えてきた思想を破壊して自信を奪うのが革命の第一ステップです。その穴に共産思想を忍び込ませて人民を洗脳、「自分を持たないロボット」として奴隷化します。
参考。人間の自己肯定感を潰すことが、共産思想などに洗脳するときの最初のステップとなる:
掛谷氏の記事から再び引用。
日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることである。
これは正解でしょう。しかし、そのように社会を怨むようになった左翼たちは過大な自己評価を持っていた人なのではなく、正反対に社会で虐げられてきて嫉妬心を抱いている者です。
「オンリーワン」で自分の現状に満足している人は社会や文化を憎むことはあり得ませんし、破壊思想を持つこともないでしょう。だって「今のままでいい」と思っている現状を壊したくない(笑)ですから。
それに、そもそも嫉妬心こそが左翼の原動力なのですから、まさか「きみは世界に一つだけの花、嫉妬しなくていい~♪」なんて歌うわけがない。そんな歌が流行ったら革命ができなくなってしまうではありませんか、左翼にとって非常に困ることです。
“弱者”のいない社会に革命なし。
マルクス以降、「弱者をたきつけて利用する」のが共産主義革命の伝統手法。
〔略〕
掛谷氏の本『人類の敵 共産主義勢力から自由を守る方法』感想
彼が反共メディアで書いたコラムをまとめた本があります。
私はこれをタイトルに惹かれて購入し、ワクワクしながら読みましたが、残念ながら共産思想の根本的なことがよく分かっていない方だなという感想を持ちました。
〔冗長過ぎたため書籍の感想、法輪功の話は略〕
補足 掛谷英紀さんという個人について
当記事は掛谷英紀さん個人を誹謗中傷するために書いたわけではないので、悪しからず。あくまでも『世界に一つだけの花』に対する基礎的な知識の誤りを指摘するために書きました。「多様性」というキリスト教圏だけの争点に日本が巻き込まれ、左翼の思うつぼで「共産革命」されたら困りますので。日本はもとから多神教の国です。前記事参照
掛谷英紀さんはイラネッチケー(NHKを受信しないための装置)というありがたい物を開発された方。冒頭にリンクした記事以外では私も多くの記事に賛同します。最近では左翼テレビの関係者の犯罪へ苦言を呈したため左翼から誹謗中傷攻撃されているようですが、このような攻撃は名誉毀損で訴えたほうがいいですね。なぜ左翼だけが一般人を「名誉毀損」で訴えることができ、一般人は左翼を訴えることができないのか? ここは共産国なのでしょうか。
掛谷さんの記事で、たとえば去年末のこちら『今必要なのは「中国共産党から国民を守る党」』など、激しく同意です。日本の選挙報道ではどこの党も中国に関して一切触れませんが、日本国民の多くが最も気にしている論点は「中国共産党侵略からの防衛」。なおかつ、日本国内の左翼=共産主義者からの防衛も気になります。それを党名またはマニュフェストで堂々と掲げる党があればおおいに議席を伸ばすでしょう。反中不反中(中華民族を打倒して共産主義の国を新たに造ろうと叫ぶ、東アジアの新左翼)の詐欺師に騙されないよう注意が必要ですが。
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